第二十一話 泉のあるじ
へたん、とサーラの腰が抜けて地面に座り込むのが視界の端で見えた。
デルマは彼女を庇うように前に出て、怒りと共に現れた泉のあるじを見据えている。
「答えるがいい!」
白蛇の尾を持つ男が叫べば、その怒声に驚いたか木々から鳥が飛び立つ。このまま黙りこくっていても更に怒りを増すばかりだと、アレクシアは慌てて前に出て、一礼した。
「清らかな泉を守るあるじ様、どうか怒りを静め、お聞きください。私たちはこの泉の下流、ヌッツロース村から来た者です。井戸水の涸れは長く、そしてついに昨夜、川が干上がりました。ゆえに、その理由を調べるべく、ゴーレムの守護を破りこの泉へとやってきた次第です。――なにゆえ、あなたの美しき夫人ドリアード様は水をせき止めていらっしゃるのですか?」
「なにゆえ、だと?」
泉のあるじは苦々しい顔でアレクシアを睨み、ずるりと蛇の身を乗り出した。見れば見るほど彼は勇ましいかんばせで、人間であればさぞ人々の賞賛を浴びていただろう――そんな場違いじみた考えがよぎる。アレクシアはそれを打ち消し、後ずさりしたくなる足を叱咤するほかない。
「元はと言えば、貴様らが原因ではないか! あのゴーレムだって――ん……?」
泉のあるじが言葉を止め、まじまじとアレクシアを眺める。深い緋色の、鋭い目がきろりと光ったと思えば、彼は困惑を隠そうとせずに、目の前の少女を指さし叫んだ。
「なんだよ、デュランの娘じゃねえか!」
「えっ、デュラン!?」
デュラン。屋敷で見つけたメードの日記に書いていた名前だ。やはりあの屋敷はデュラン家のものに違いない。しかし、目の前の彼は自分をデュランの娘だという。何かの勘違いだろうか。
呆気にとられた顔のアレクシアに泉のあるじは呆れたように身を引き、更に言葉を続けた。
「久しぶりに来たと思ったら名乗りもしねえとは、どうなってやがる? いつぶりだ? それこそ、あの時ぶりじゃねえか。あの女はどうなった、ちゃんと処理できたのか? お前は……初めて見るな、どれの孫娘だ? 挨拶に来たってわけじゃなさそうだ……そんなことより、土だ。土をなんとかしねえと、川に水を流せねえぞ!」
一気にまくしたてられ、アレクシアは目を白黒させた。
流石に情報量が多すぎる、ええっと、ええっと、とまごつく彼女に、泉のあるじもいよいよ怪訝な顔をさせた。ドリアードが夫に近寄り、見上げると、泉のあるじはその華奢な肩をそっと抱き、顔を見合わせた。
まず一つ一つ、処理していかなきゃ。アレクシアは思い至り、そしてそれが彼の言葉を否定するものであることに気がつき、息を呑んだ。しかし精霊に嘘はつけない。
「…………その、私は、デュラン家じゃなくて……」
「いいや、デュラン家だ。」
「……私の生まれは、レイデン家です。アレクシア・レイデン……ここに来るまではそう名乗っていました。過日、王都からこの村にやってきたばかりで」
「…………お前の祖父母の名前は?」
「祖父はシモン・レイデン、祖母はアシュリー……祖母の家名はついぞ知り得ません」
「アシュリー!」
泉のあるじの声は、懐かしさに滲んでいた。ドリアードも祖母の名に反応したのか、そっと目を細め、首を傾げている。
「アシュリー、ああ、覚えているぜ! あの小さなお転婆――挨拶のときに泉に落っこちた、お転婆娘だ! お前はあの子の孫娘か!」
ちょっと待って。
アレクシアはいよいよ混乱した。つまり、祖母はこの村に住んでいて、嫁ぐ前の名前はアシュリー・デュラン。あの屋敷の住人だった、ということ?
(国王陛下は、全てを知っていて、ここに私を?)
途方に暮れ、返す言葉を失ってしまったアレクシアを見て、ドリアードはぽん、と泉のあるじの肩を強く叩いた。彼が驚いて、妻に顔を寄せると、ドリアードはそっと耳打ちをする。すると泉のあるじは、気まずそうな顔で、彼女を見た。
「す、すまん……いや、どうするか……参ったな……」
ぽり、と銀の髪を掻きながら泉のあるじは思案する。
「…………もうあたしにはさっぱりだよ、最初から言ってよ」
サーラが力なく呟けば、デルマも頷いた。もう警戒はしなくていいと悟り、彼女は一歩進み出、泉の主とその夫人に、恭しく一礼した。
「僭越ながら一度、お互いのことを話したほうが早いのではと」
「驚いた、お前、ヤトルカの娘か……いや、待て……」
「…………はい。しかし今はそれどころではありますまい。泉のあるじである貴方も、あなたの御力が正しく流れぬことに困っておられるはず。何があったのか、教えていただけませんでしょうか」
デルマの言葉にドリアードが再び泉のあるじに耳打ちする。すると彼は唸り、そしてゆっくりと頷いた。
「ドリアード、聡明なお前の言うとおりだ。そして、ヤトルカの娘の言葉も最もだ。――そうしようじゃないか」
泉の主――ナーガの言葉に応えるように、ドリアードはぱちん、と指を鳴らした。すると、アレクシア達の立つ地面の一部がむくりと盛り上がり、そこから蔦が現れる。それは複雑に絡み合い、みるみるうちに腰掛けの形を取った。
更にドリアードは自らの木に命じた。彼女たちにもてなしを。木は女主人の言うとおりに、またたくまにその枝に果実を実らせ、それを三人に差し出した。
「かけてくれ。女三人で山に登って、ゴーレムをやっつけたんだ。さすがに疲れているだろ?」
ナーガは三人を促し、そのすべらかな白い尾をゆっくりと這わせた。アレクシアもデルマも作られた蔦の椅子に腰掛け、サーラも一度、ためらいはしたが従った。
「お前は村の娘だな?」
「そ、そうだよ、です。名前はサーラ。」
「よし、サーラ、分かった……お前達はあの日のことをなんにも知らないわけだ。まあ、お前らヒトにとっては、随分昔のことになる。アレクシア、お前の婆さんが子どもの頃の話だ……」
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