第二十話 水源
「村にいた人間って……」
アレクシアの言葉に、サーラは声を上擦らせた。それって、つまり水源に行けなくなった原因は村ってこと? 自分達の井戸を涸らした原因は、自分達の村――?
「少なくとも、何かの理由で水源には行って欲しくなかった。このゴーレムは川が干上がった直接的な原因ではないわ……」
アレクシアは一度言葉を切り、今自分が立っている倒れたゴーレムの巨躯、その傍の地面を見やった。ばらばらに砕けたゴーレムの右手――石の群れが、ぴくぴくと動いている。再生しようとしているのは明白だった。
「とにかく、この子を止めましょう」
「出来るの?」
「ええ、デルマ。この管を切ってちょうだい」
「はい」
デルマの手つきは鮮やかだった。ゴーレムに繋がれた万物素管――それは硬い木の根のようなものだったが、それを山刀で切り落とした。その刹那、ゴーレムの巨躯は驚いたように、軽く揺れた。
「この紋章を無効化すれば――」
アレクシアがしゃがみ、紋章に手を当てる。まじまじと観察してみるが、間違いなく祖母の形見であった竜骨の護符に刻まれたものと同じである。
(おばあさまは、この村に縁があった……と考えるのが自然ね……)
指でなぞる。刻まれた線が淡く輝き、耳鳴りのような音が微かに響く。
「岩の巨人よ、在るべき姿に戻るべし、物言わぬ善き物、永久の安らぎを」
アレクシアが無力化を命令すれば、輝きが一瞬増した。しかしすぐに収まり、ゴーレムから発せられていた気配が、ゆっくりと消えていった。
再生しようと地面を這っていた石も、もう動いていない。ゴーレムが物言わぬ岩になったのを確かめればアレクシアはほっと安堵の息を吐き、紋章を撫でた。
「これで安心よ。デルマ、怪我は?」
「ありません。……ですが、一休みしますか?」
「…………」
デルマの言葉にアレクシアは開かれた道を見た。緑深い奥から、今までよりもずっと冷たい空気が流れ込んできている。――近い。
「いいえ、私は大丈夫。サーラは?」
「あ、あたしはなんにもしてないよ! 見てただけだし……」
「怖かったでしょう?」
「…………ちょっとだけ。でも、水が近いと思うんだ。さっきから水の音がしてる」
道の奥を睨む彼女の言葉にアレクシアは目を丸くし、微かに首を傾げた。
「耳が良いのね」
「多分、だよ。早く確かめたい……この先にちゃんと水源があるのか、どうして村の誰かが、こんなのを作ったのか」
「そうね。それなら行きましょうか」
デルマも頷き、歩き出す。足早にサーラも続いた。アレクシアは一度、幾年月の役目を終えて眠りについた岩を、見やった。
「アレクシア様!」
サーラの声に呼ばれる。今行くわ、と声を上げてアレクシアは前を向いた。
◆
すぐに、辿り着いた。目の前に揺蕩う澄み切った水に、サーラは声を上げた。
「水!」
泉へと駆け寄ろうとするサーラをデルマがそっと留める。その金の眼差しは用心深く、周囲を眺めていた。やがて泉の傍に立つ木を見やり、その根の先を目で辿った。
「木の根が下流への流れを塞いでいますね。見てください、あの木の根……ぐるりと泉を囲うように張られている」
あそこです、デルマが指させば確かに、元は水の流れがあったであろう沢の跡が見えた。そこへの入り口を木の根が阻んでいる。あれさえどうにかすれば、すぐに泉の水は流れていくだろう。
「じゃあ、あの木の根を切っちゃえば……!」
「どうやら、それほど簡単なことじゃないらしいな。見てみろ、サーラ」
デルマが指し示した先――泉の木を二人は見た。するとザワザワと枝葉が揺れ、その幹が捻れていく。ヒッ、とサーラが息を呑めば、生い茂る緑の中から、人の影が現れた。
「ドリアード!」
それは美しい女だった。長く豊かな髪に花を散りばめた女が人間ではないことはすぐに分かった。彼女は瞬きなくこちらを見つめている。――ドリアード、木の精。
「彼女が泉の水をせき止めているのね」
「ええ、……根を下手に傷つければ怒りを買います」
デルマの声は微かに強ばっていた。先ほどのゴーレムは人造物だが、今度は精霊だ。どう動くか予想出来ない。既にこちらを縄張りに踏み込んだ侵入者として見ていてもおかしくはないだろう。
「でもここまで来て、引き下がれないよ。どうにかして、あの根っこをどかしてもらわないと」
サーラが低い声で呟く。それはそうなのだけど、とアレクシアは困ったようにドリアードを見ている。暫く、お互い動かずに見つめ合うという膠着状態が続く。
「ああ、もう!」
じれったいとサーラが声を上げた。ゆっくりと深呼吸したと思えば、デルマが止める間もなく、ずかずかと泉の木へと歩いて行く。ざわざわと梢が揺れたのに一瞬、足を止めたが、しかし意を決して、木の枝に座すドリアードを見上げた。
「あんたのせいで、川が干上がってるの! あの根っこをどうにかしてよ!」
サーラが例の根を指さすのを見て、デルマは軽く頭を抱えた。臆病なのか肝が据わってるのか、分からない。精霊相手にあんな直接的な言い方をして大丈夫なのだろうかと、慌ててサーラに歩み寄る。
「………」
対してドリアードは沈黙を守っていた。否、少しばかり驚いているのかもしれない。瞳孔のない目を見開き、じっとサーラを見つめている。
「黙ってないでなんか言いなよ! 何のワケあってここの水をせき止めてるのさ!」
「サーラ、落ち着きなさい……それに、ドリアードは喋らないんだ」
「あんたの気まぐれで皆死にそうなんだ、いい迷惑だよ!」
サーラの言葉に、ドリアードは枝葉をさわさわと揺らした。まずい、とデルマが前に出ようとしたところで、今度はアレクシアが叫んだ。
「二人とも!」
アレクシアが見ていたのは泉だった。その真ん中がぷかりと盛りあがったかと思えば、泉全体に波紋を作る。小さな波とともに、やがて泉全体が揺れた。
現れたそれは蛇に見えた。滑らかな白い鱗を持つ蛇。泉を一巻きにできるほどの尾を持った大蛇。しかし尾から上は、ヒトの男だった。がっしりとした戦士のような体躯、彫刻のように整った顔立ちは険しい。尾と同じ色をした髪から雫を垂らしつつ、彼はアレクシア達を睥睨している。
「我が泉に許可無く足を踏み入れ、我が美しき妻を害するのは誰だ!」
泉のあるじ。アレクシアはすぐに悟った。そして彼の怒りに触れたことに気がつき、さあっと血の気が引いた。
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