第十八話 山の中へ
夜明け、太陽が昇る頃に三人は屋敷を出た。目指す先は干上がってしまった川、そしてその先の水源である。アレクシアはいつものコルセットスカートから乗馬用のブリーチズにブーツ、サーラもエプロンドレスから、用意されたキュロットに履き替えていた。デルマはいつもの乗馬用ブリーチズだ。彼女がスカートの類いを履くのは、やむにやまれぬ社交の場ぐらいだろう。
「なんてこと……」
川のあった場所に着いた途端、アレクシアは深い嘆息を零した。村人の言うとおり、完全に干上がっている。逃げ遅れたのか、所々に息絶えた川魚が横たわっていた。
「昨日まではちゃんと流れていたのよね?」
「ええ、少なくとも私が昼過ぎに水を汲みに来た時までは」
「上流でせき止められているようには見えないわ。……まるで、土が全て吸い上げてしまったみたいよ」
とにかく水源へ。アレクシアが流れの跡に沿って上流へと登っていく。デルマとサーラも、彼女に続いた。暫く歩けば山道に入り、不意に冷たく湿った空気が三人を包んだ。
「……」
目の前に続く鬱蒼と生い茂る植物と、木の根が剥き出しになった土の道を見てサーラが足を止める。ごくり、と喉を鳴らせば、アレクシアは振り返った。
「サーラ?」
「……」
「……怖い?」
「べ、別に……」
「もしかすると危険かもしれないわよ」
「もしかしなくても危険ですよ」
「……」
「……サーラ、今なら戻れるわ。屋敷の留守番を――」
「あ、あたし、決めたから……あんた達を見張るって……」
サーラの声は震えながらも、はっきりとしていた。その意思を変えようがないと、二人にはっきり自覚させるに充分であり、アレクシアとデルマは顔を見合わせるほかなかった。
「……そうね、そうだったわね。でも無理だけはしちゃ嫌よ、サーラ」
「私たちの傍を離れるな。それから……そんな啖呵を切るなら、せめて自分の身を守る努力はしろ」
そう言ってデルマが寄越してきたのは、小さなナイフだった。獣から身を守れるような物ではなかったが、手のひら大の飾り気のないそれを手渡された途端、サーラは微かな安堵を覚えた。
木々をかき分け、歩いて行く。先頭はデルマだ。土に獣の痕跡がないかを注意深く探りつつ、進んでいく。アレクシアやサーラの歩幅に合わせているようで、その早さはゆっくりだった。
「アレクシア様、あの大岩です」
デルマが足を止め、前方を示せば、あの時と変わらず、大男よりも大きな岩が道を塞ぐように置かれている。
「これが皆の言う〝でっかい岩〟ってことね……」
大岩に近寄り、それを見上げる。冷静になって周囲を見てみれば、これを避ける道すら無いように思えた。岩自体もよくよく見れば奇妙だ。長い間ここにあるというが、苔むしていない。
「……壊せると思う?」
「不可能ではないですが、あなたの助けが必要ですね」
「へっ?」
二人の会話に目を丸くしたのはサーラだ。見上げるほどの大岩を、アレクシアはデルマに壊せるかと聞いた? ――どうやっても壊れなさそうなこれを?
「あまり自信がないわ……だって……」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「? どうしたの、サーラ?」
「壊すって?」
「これをよ? そうしないと通れないし」
「何言ってるんです? 常識で物を考えてくださいよ、こんなのてこでも動かないでしょう!?」
サーラの声に元気が戻ったのに、アレクシアは思わず口を緩めた。彼女のずけずけとした物言いに安心さえする。
「そうね、普通なら……傷すらつけられないし、梃子を使っても動かないわ」
「じゃ、じゃあ何するんです……」
「デルマなら出来るのよ」
「はあ?」
「人ぐらいの岩ならですよ。あの大きさだとアレクシア様の〝祝福〟を授からなければ無理です」
デルマが帯刀している山刀を手のひらで軽く叩く。平然と言ってのける彼女に、サーラの顔は引きつっている。
「そう、問題は私――私が、もう祝福の力を使えないこと」
アレクシアの声が沈み、サーラはそちらを見た。白い手を眺めながら、アレクシアは目を伏せている。
「もう? 祝福って、すごく偉い女の人が使う魔法ですよね?」
「正確には大聖女及び聖女、許可された聖女候補が使う祈りの力よ。……私は許可された聖女候補だった。去年まではね」
「去年までは?」
「聖女になる資格を失ってしまったの。……力が使えなくなったから」
「それって」
「言っておくが悪魔と契約したから、ではないぞ」
先回りして釘を刺したデルマに、サーラは眉根を下げる。その様子に苦笑しながら、アレクシアは言葉を続けた。
「……私が神からの御力を出力出来なくなっただけ。その原因は分からない……でもそれは、きっとヨナーシュにとって充分な裏切りだったのよ……今なら分かるわ」
「……ヨナーシュ」
「王太子殿下よ。私の元婚約者」
あの手紙を書いた人間だ。サーラの胸はどきりと跳ね、手紙を盗み見た気まずさを思い出して俯いた。
「彼がエリーズ様と出会ったのはその後なのかも。……私は大聖女になれなかった穴埋めの為に仕事に没頭した。彼に申し訳が立たなかったから。せめて政務だけは、誰よりもこなそうとした。そう、せめて、出来ることだけは……」
「…………」
淡々と語るアレクシアの言葉を、二人は静かに聞き入っていた。デルマの顔には隠せない後悔が滲み、サーラの顔には困惑と、微かな同情が混じっていた。ややあって、口を開いたのはサーラだった。
「ねえ、アンタさ……」
「……! 二人とも、岩から離れて!」
サーラの言葉を遮り叫んだのはデルマだ。その声にアレクシアとサーラは弾かれるように大岩の方を見やり、驚愕に目を見開いた。
岩が、動いている。
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