第十六話 昏迷
村は混乱に陥った。川が干上がったという知らせは瞬く間に皆に知られ、男たちも女たちも、暗闇に松明を灯し、広場に集まった。
「川が干上がったって本当かい!?」
「あそこで水が汲めなくなったら……オレたちはどうやって暮らしていけばいいんだ?」
皆、一様に不安げな顔をさせている。随分と前に井戸が涸れ、そして今日、川が干上がった。このまま、この村に住めなくなるのだろうか? しかし今更どこに移り住むあてがある? ここは既に国に見捨てられた村だ。徴税官すら、もう何年も来ていない。
絶望が徐々に村人たちに伝播していく。広場には異様な空気が漂い始めていた。
「皆、聞いてくれ!」
声を上げたのはゲルトだった。酒のせいで赤かった顔は元に戻り、顔を強ばらせた面持ちで皆を見渡す。その声に村人たちは静まりかえり、ゲルトが何を語るかを待った。
「井戸は涸れ、そして今、オレたちの川が干上がった! このままでは飲み水も、洗濯をする水も、作物を育てる水も無い! この村は終わる!」
ゲルトの言葉に一同は頷いた。一人の女が、不安が極限に至ったらしく、嗚咽を漏らし始めた。
「だが、どうしてそうなった!? 川が干上がるだなんておかしいだろ! あれは水源……山の泉から流れるものだ。そこで何かおかしなことが起こっているに違いない!」
「でも泉に向かう道は大昔から大岩に塞がれて通れなくなってるだろ? オレの爺さんが生きていたころには、もうそうなってたぜ!」
たしかに、と村人たちは頷く。ゲルトもそれには同調したが、すぐに首を振った。
「問題はそこじゃねえ。問題は、何故今、川が干上がったのかだ! ……聞いてくれ、皆。川が干上がった原因は……オレが考えるに、あの女だ!」
「あの女?」
「ッ……ゲルトまって……!」
「そうだ、あの王都から来た女だ! オレは聞いたんだ! あの女が王都から追い出された理由をよ!」
「理由?」
「あの女は、悪魔と契約した罪で、この村に追い出されたんだ!」
「悪魔?」
「あの女は悪魔憑きなのか!?」
「ああ、オレは突き止めた。あの女は王太子様に追放されたんだ……オレ達は押しつけられたのさ、あの女を!」
「でもそれが川と何の関係があるんだい?」
「考えてもみてくれ、悪魔と契約して、王都でいい暮らしをしていた女が、こんな村に追放されてどう思うかを! そりゃあ、川のひとつやふたつ、悪魔の力で干上がらせたくもなるだろう!?」
ゲルトの演説に、村人たちは困惑に顔を見合わせた。悪魔という聞き慣れない言葉と、新しい女領主の罪に彼らの不安は強くなった。ゲルトが村の若者たちを仕切っていることも、彼らの天秤を揺らすのには充分だった。実際、若者たちは、あの女をどうするかを低い声で、話し合っているように見えて、サーラは息を呑んだ。
「なんでもいいさ、川をどうにかしておくれ!」
女が声を上げた。女領主が悪魔憑きかどうかの真などどうでもいい、とにかく水をどうにかしなければいけないのだ。
「あの女に、川を元に戻させろ!」
「そうだ、領主なんだからどうにかしてもらわないと!」
「屋敷へ行こう! あの女を引きずりだして、なんとかさせよう!」
「そうだ、それがいい!」
「皆、ついてきてくれ! 悪魔に惑わされないように、皆で手を取り合おう!」
それがいい、それがいいと村人たちは頷きあった。松明を握りしめ、屋敷へと向かう。暫く、呆然としていたサーラも、彼らを追った。
(待って……皆、待って……どうしよう、アレクシアが殺されちゃうかも……!)
あの時、ゲルトに言わなければよかった。今から起こることを想像し、サーラは恐怖に震えながら皆に着いていった。
◆
「……川の方角で異変?」
「はい。見てみないと分かりませんが、〝水の気〟が急に消えました」
「水の気……この前、デルマが言っていた五行の話ね」
アレクシアの言葉に、デルマが頷く。水の気が急に消えたということは、あまり良い兆しではないだろう。
「今から行きましょう」
「もう夜更けです。危険ですよ……せめて日が出てから。それに、貴女も仕事で疲れ切っているでしょう?」
デルマの言葉に反論できず、アレクシアは頷いた。もし自分が考えていること、水の気が消えたということは、川に水が無くなったということではないか? ――それが当たっていれば、この村は混乱に陥るだろう。そうなる前に、対処しなければ。
「…………」
「デルマ?」
「外が騒がしいですね」
「え……?」
玄関の方を見やるデルマの横顔は厳しい。腰元の剣、その柄に触れる彼女をアレクシアはきょとんとした顔で見つめた。しかしその静寂はすぐに破られた。
領主を出せ! 悪魔憑きの女、出てこい!
外からの叫び声に、二人は身を強ばらせた。しかしすぐにデルマがつかつかと扉に歩み寄り、そしてアレクシアに振り返った。
「ここから一歩も出ないでください。――鍵をかけて」
「私も行くわ!」
「いけません! まずは私が出ます。彼ら、何をするか分かりませんから」
鋭い声で咎められ、アレクシアは何も言えなかった。デルマは音も立てずに部屋を出て、深夜の来客の応対をするために玄関へと向かったようだった。
「……いま、悪魔憑きの女って……」
微かに聞こえた言葉に声が震える。しかしここでじっとしているわけにはいかないと我に返り、アレクシアは部屋を出た。玄関ホールのすぐ隣、応接室に入り、そこの窓から様子を窺う。庭先で松明が揺れ、村人たち――先頭には先日言い争った男が立ち、デルマは彼と相対していた。
「こんな夜更けにいったいなんですか!」
「アレクシアを出せ! あの悪魔憑きの女だ!」
「まずは落ち着きなさい……何が起こったのですか?」
「これが落ち着いていられるか、川が干上がったんだぞ!」
「それでは原因を調べるべきですね。明朝――」
「原因? お前の主人のせいだろうが、オレたちは知ってるんだぞ! いいからアレクシアを出せ、奴隷のヤトルカ人に用はない!」
デルマの声は、感情を抑えているのか低かった。しかしその声色からは隠せないほどの怒りが、滲み出ている。
「その考えは飛躍しすぎていますよ。証拠も無くそんな事を言うべきではありません」
「じゃあどうして川が干上がった!? 説明してみろよ!」
「それを調べるために――」
「ほら見ろ、出来ねえじゃねえか! オレたちが納得する説明をよ!」
「…………」
窓の影からかろうじて見えるゲルトの顔は、松明に照らされていた。怒りとも嘲笑ともつかない表情で、デルマに詰め寄っている。その後ろに控える村人たちも、一人で相対するデルマに、疑りの眼差しを注いでいた。
「皆、不安がってる! どうして分からない!? 水がなきゃこの村は完全に終わりだ! 答えろ、あの女は何をした!? 何を隠している!?」
「アレクシア様は隠し事など――」
「悪魔憑きってことを隠していたじゃねえか! あの女、悪魔と契約したんだろ? ヤトルカの女を飼っている悪魔憑きの令嬢なんざ、オレたちの嫌がらせに川に細工をしたっておかしくはねえぜ! いいからとっととあのあばずれを出せ! 奴隷のお前じゃ話になら――」
ゲルトの言葉は、急に萎んだ。目の前で金色の瞳を怒りに燃やすヤトルカ人の女に、その冷たい殺気に勢いを削がれたのだ。
「……私のことはいい。アレクシア様をこれ以上侮辱するのは許さない」
「…………」
しん、と皆静まりかえった。皆が皆、デルマの怒りに言葉を失ったのだ。ゲルトも顔を引きつらせ、何かを言い返そうと口をぱくぱくと動かしている。――と、誰かが声を上げた。
「な、なんだっていいよ! とにかく川をなんとかしておくれ! ……そうじゃないと私たち、生きていけないじゃないか!」
アレクシアももう我慢がならなかった。デルマがこれ以上、謂れのない侮辱に晒されることは耐えがたかったし、なにより村人の悲痛な声が、彼女を動かした。窓を離れ、応接室を飛び出す。玄関の扉に手をかけて開けば、松明の灯火たちが揺れながら皆を照らしているのが見えた。
驚いた顔をさせているデルマ、呆気にとられているゲルト……ひどく傷ついた顔をしている、サーラ。そして不安げにこちらを見つめてくる村人たち。アレクシアはそれらを見渡し、口を開いた。
「そうはさせません。私が、川に行きます! そして、必ず川を……いいえ、村を元に戻します!」
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