第十五話 露見
翌日、王都からの使者はアレクシアから出来上がった仕事を受け取り、屋敷を辞した。一刻も早くこの村から立ち去りたい態度を臆面も出さずに去って行った彼を屋敷の前で眺めながら、アレクシアはぐったりとした様子でため息を吐く。
「…………上手くいけばいいのだけど」
「これきりになさってください。もう関係のない彼らにお節介を焼いてもいいことなんてありませんよ」
「デルマ、聞いてくれる?」
「はい?」
「私、仕事にちょっとだけ悪戯をしたわ」
「はぁ?」
「…………」
無言のままアレクシアは我が家に入った。結局、昨夜はベッドに入った後もほとんど眠れなかった。微睡んでは悪い夢を見て目を覚まし、また微睡むを繰り返したのだから疲れが取れるはずもない。
(頭が痛い……)
デルマは今日は何もするなと言ったが、そうはいかない。王都からの仕事に邪魔をされたが、村の仕事も残っている。それだけはやってしまおうと書斎に向かうと。
「あ……」
「あら、サーラ。おはよう」
「お、お、おはよう、ございます……」
廊下でサーラと鉢合わせした。使者が泊まった客室のシーツを抱え、どもりながら挨拶をしてくる彼女に、アレクシアは首を傾げた。
「どうしたの?」
「い、いえ……別に……お休みになるのですか? お部屋のシーツは取り替えましたので……」
「ううん、もう少しやることがあるの。村のこと。……ありがとう、サーラ。昨日も一人に任せきりでごめんなさい」
アレクシアの言葉に、サーラはぽかんとした顔をさせた。彼女の瞳には困惑と、微かな畏れがあったのだが、アレクシアはそれに気づかなかった。
「あ、あたし……アレクシア様……」
「? サーラ?」
「…………なんでも、ないです……あの、午後から家に戻ります……明日の朝に帰りますんで、夕食、いらないです」
「……分かったわ。デルマにも伝えておくわね」
アレクシアが微笑み了承すれば、サーラはぺこりとお辞儀をして足早にその場を立ち去った。どこかよそよそしい――元々、彼女はどこかよそよそしいのだが、それとは別の何かを感じ取り、アレクシアは微かに眉尻を下げた。
◆
久しぶりに帰ってきた家は、随分と散らかっていた。使った皿たちは桶に入れっぱなしで洗った気配もないし、床にはごみが散らばっている。ベッドのシーツはくしゃくしゃのままだ。そこには脱ぎっぱなしのシャツやズボンが丸まっている。
(あたしが戻らなかったらどうするつもりなんだろう!)
ここにはいない恋人に対してため息を吐きながら、サーラはまずシーツと衣服を水桶で洗濯し、外に干した。箒を握り埃を掃き出し、床を磨く。汚れのこびりついた皿を丁寧に洗い、食糧棚の中身を見た。――ろくなものがない。
ちらりとテーブルを見やる。そこには芋とニンジン、今朝デルマが獲ってきたウサギ肉があった。アレクシアがサーラに持たせたのだ。夜に恋人と食べて、と。
籠を手に取り、小さな桶の中に芋とニンジンを転がす。水を入れて洗っていく。ゲルトは水だけは仕事をした。……といっても、誰かに言いつけて持ってこさせているだけだ。
の傾きかけた外を見やる。いっそ食事の準備だけして屋敷に帰ってしまいたい自分に気がついて、サーラは唇を噛んだ。それは出来ない。ゲルトが帰ってくれば、多分アレクシアのことを聞いてくるだろう。
(言うべきなの? アレクシアが悪魔憑きだってこと……でも……)
答えが見つからず、サーラはため息を吐いた。
帰ってきたゲルトは、真っ赤な顔をしていた。おそらく酒場で酒を飲んでから戻ってきたのだろう。家で待っていたサーラを見るなり、顔を歪めて、テーブルのスープと焼いた肉を見た。
「なんだそりゃあ」
「……夕食だよ。屋敷から材料を持ってきたから」
「おいおい、持ってきた、じゃなくて、〝くすねてきた〟だろ?」
ニタニタと笑いながらゲルトはテーブルについた。持っていた酒瓶(多分勝手に持って帰ったのだと、サーラは思った)を呷りながら、焼いたウサギ肉を引っ掴む。
「オレが野菜や肉を持って帰ってこいっていつ言った? 違うだろ!」
「っ…………」
「お前が持って帰ってこなきゃなんねえものは何だ? ああ?」
「……じょ、情報……アレクシアの……」
そうだ、分かってるじゃねえか。ウサギ肉を貪りながら、ゲルトは頷いた。それで、オレが望むものは持って帰ってきたのか?と問う眼差しに、アレクシアは俯いた。
「き、昨日だけど王都からお客様が来た……立派な服を着て……アレクシアと話した……」
「ああ、村のやつらが話してたぜ。馬に乗って知らねえ野郎が屋敷へ向かっていったってな。それがどうした?」
「その人は……アレクシアに仕事を渡して……アレクシアはそれをやらなくちゃいけなかった」
「なるほどな、あの女は仕事をほっぽり出してこの村に来たわけだ。責任感のカケラもねえな……そんな奴が統治権だなんて笑わせらぁ!」
「…………」
せら笑うゲルトを、サーラは見つめた。アレクシアに責任感がない? そうだろうか、少なくとも、彼女はその仕事から逃げず、一日でやり遂げていた。
「で、でも……アレクシア、王都から来る前にちゃんとやってたって言ってたし、その仕事だって夜遅くまでかかったけどやってた。それに、今日も――」
「おいサーラ」
「……」
「お前、あの女に丸め込まれてるんじゃねえだろうな?」
ゲルトの低い声に、サーラは顔を強ばらせた。彼の目は危うくぎらついて、サーラをじっと睨んでいた。サーラがのろのろと首を横に振れば、フン、と鼻で笑う。
「これだからお前は馬鹿なんだ。オレがこうして諭してやらねえと、簡単に丸め込まれるんだからよ! ……それで、他には?」
「…………他には……」
サーラの脳裏には、あの手紙の内容がちらついていた。ゲルトにそれを言えば、きっと彼は大喜びだろう。それについてアレクシアを責めるに違いない。もしかするとこの村からも追放するかもしれない。
(そうしたら村はまた元に戻る。……水を汲んでこの家のことをする生活に、あたしは戻らなきゃいけない……)
サーラの目が泳ぐのを、ゲルトは見逃さなかった。言い渋る彼女に、不愉快な気分になった。
「お前、なんか隠してるな?」
「え……あ、あたし……なにも……」
「オレの目を誤魔化せると思ってんのか!?」
テーブルに己の拳を叩きつけ、ゲルトが声を荒げる。ひゅ、とサーラが息を呑み、目を見開いて彼を見つめた。彼女の小さな身体は、がたがたと震え、いつ殴られるか分からない恐怖に身を竦ませている。
「おいサーラ! お前を養ってやってるのは誰だ!?」
「……ッ、げると……」
「そうだ、オレだ! 馬鹿なお前を養ってやってるオレに、お前は隠し事をするのか!?」
椅子が音を立てて倒れ、立ち上がったゲルトはサーラの髪の毛を引っ掴んだ。いたい、と顔を歪めるサーラに顔を近づけ、ゲルトは彼女を罵る度に、その口から酒の匂いが漏れた。
「言え!」
「あ、……アレクシアが、悪魔憑きだって、……王太子様の手紙に……!」
口にした瞬間、サーラは奇妙な感覚を抱いた。それは最初、安堵であったが、しかしすぐに、強烈な後悔の念が、彼女を襲ったのだ。しかしそれも、自分の恋人が、自分を突き放した痛みにかき消えた。
「そうか、そうか! あの女……悪魔憑きだからここに追放されたのか!」
ゲルトの声は満足感に上擦っていた。あのいけ好かない女が持つ、最大の弱味を握ってやったという優越感に酔っていた。これであの女を好きにすることが出来る。なんなら、その功績で村を守った立役者だ。彼の妄想は膨れ上がり、とどまることはなかった。
「サーラ! よくやった、お前はやれば出来る子だ! これであの女を領主の座から引きずり下ろせる! 何が統治権だ、村長はあの女のことをデュラン家の女だとかワケの分からねえことを言っていたが……とんだ詐欺師じゃねえか!」
「で、でもゲルト! あたし、アレクシアのこと、そうは思え――」
サーラの言葉は遮られた。ゲルトが彼女の手を、踏みつけたからだ。痛みに声をあげ、サーラは蹲った。
「そうは思えないようにするのが悪魔憑きだろうが!」
「…………」
「ったく……馬鹿は物事を分かっちゃいねえ……やっぱりオレがいないと、お前は生きていけねえなあ……」
大げさにため息を吐きながら、ゲルトはサーラの腕を引っ張り上げた。がたがたと震える彼女に笑みを向け――ドンドン、と乱暴に扉が叩かれる音がして、ゲルトは舌打ちした。こんな時間になんだ?
「どうした?」
扉を開ければ、そこには仲間がいた。顔を青ざめさせている。ただならぬ様子に、ゲルトは片眉を上げた。
「か、川が……干上がって……」
仲間の言葉に、ゲルトは血の気が引く音を聞いた。そしてすぐに、ある結論に思い至った。
「あの女の仕業だ!」
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