第6話:クリティカルシンキング、本質という名の審判
第6話:クリティカルシンキング、本質という名の審判
午前11時15分。
午前の戦場が静まり返るはずのこの時間、フロアにけたたましい着信音が鳴り響いた。
視界の【ミニマップ】で赤く点滅していた「理不尽の波動」が、受話器を通じて実体化する。
「……はい、株式会社クリエイティブ・ズー営業部、鈴木です。ええ、株式会社ギガ・トレードの馬場様ですね。お世話になっております」
受話器から漏れるのは、鼓膜を物理的に削るような怒号。
僕の網膜に、敵のステータスが重畳表示される。
【Enemy:モンスタークライアント『馬場』がスキル『無理難題(インポッシブル・要求)』を発動】
【属性:自己中心的・根性論】
【攻撃内容:仕様変更を伴う即日納品、及び無償の追加対応】
「鈴木さん! 君んとこの社長とはツーカーなんだよ! いいから今すぐ、あのデザイン案を全部やり直して、今日の17時までに持ってきてくれなきゃ困るんだ! できないなら、契約解除だぞ!」
受話器越しに漂う、加齢臭にも似た「威圧」のバフ。
かつての僕なら、ここで「申し訳ございません」と平伏し、佐藤さんに泣きつきながら深夜まで残業という名の「毒沼」を彷徨っていたことだろう。
だが、今の僕の脳内には、深夜5時。
VR世界の深淵、霧が立ち込める図書室で、智慧の蒐集家クロがボソリと呟いた言葉が刻まれている。
『鈴木さん。……あなた、その「問い」を疑っていますか? 目の前の難題は、解かなければならない「本質」ですか、それともただの「ノイズ」ですか?』
『本質、ですか?』
『そう。使うべきは【クリティカルシンキング】――前提を破壊する審判の術式。相手の言動をそのまま受け取るのは、バグだらけのコードを修正せずに回し続けるのと同じ。なぜその要求が必要なのか、目的をゼロから再定義しなさい。……まぁ、それができないから馬鹿な顧客は吠えるんですけど』
現実世界のノイズが消え、馬場という男の怒鳴り声が「無価値な音声ファイル」に分解されていく。
「術式展開――【審判:クリティカルシンキング】」
僕は懃懃無礼な敬語を維持したまま、静かに口を開いた。
「馬場様。少々失礼いたします。……今、仰った『デザインの全修正』ですが、それは『馬場様が今日中に上司を納得させるための道具』が欲しいという理解でよろしいでしょうか?」
「はあ!? 何言ってんだ、俺はデザインが気に入らないから……!」
「いいえ。鑑定の結果、このデザインは先週の打ち合わせで馬場様が『完璧だ』と仰ったものです。不備はありません。……ただ、先ほど御社のHPを確認したところ、御社の事業方針が昨日変更されていますね? つまり、馬場様が恐れているのはデザインの質ではなく、『方針転換に対応できていないという上司からの評価』……違いますか?」
「…………っ!!」
受話器の向こうで、呼吸が止まる音がした。
【弱点看破:成功】
【敵の『威圧』バフが解除されました】
「全修正は必要ありません。本質は『新方針に合致した一部の文言修正と、社長説明用のロジック補足』です。それなら15分で終わります。……馬場様。今、私を怒鳴り続けて時間を浪費するのと、私と協力して15分で『完璧な報告資料』を完成させるの、どちらが御社の、そして馬場様の『利益』になりますか?」
ドゴォォォォォン!!
論理のトドメが、顧客のプライドという名の脆い城壁を粉砕した。
「……あ、ああ。……分かった。……じゃあ、その、15分でやってくれるんだな?」
「ええ。観測に感情は不要ですから。すぐに修正案を送ります」
【スキル:クリティカルシンキングが発動】
【無意味な残業イベントを消滅させ、MPを80吸収しました】
受話器を置くと、背後で佐藤さんが、持っていたクリアファイルをポロリと落としていた。
隣では田中さんが、エナジードリンクを飲むのも忘れてこちらを凝視している。
「……鈴木さん。今、あの『ギガ・トレードの狂犬』を手懐けたの……?」
田中さんの眼鏡の奥が、かつてないほど鋭く、そして熱を帯びて光った。
「手懐けたわけではありません。相手が解くべき問い(イシュー)を見失っていたので、補助しただけですよ。……さあ、佐藤さん。17時までに終わるはずだった仕事が15分で終わりました。浮いた時間で、先ほどいただいたハーブティー、淹れてもいいでしょうか?」
「は、はい……っ! 喜んで……! 私、お湯、沸かしてきます!」
佐藤さんが、ゲームの最高設定でも描けないような、眩しい桃色の笑顔を浮かべて給湯室へ走っていく。
その背中に重なるのは、解像度が上がり、色彩を取り戻しつつある「現実」の景色。
【メインヒロイン:佐藤小春の笑顔により、全ステータス異常が回復】
【現実の彩度が2.0%向上:佐藤さんの髪から、花の香りのエフェクトが発生中】
不純物なしの本質を突く快感が、睡眠不足の脳を研ぎ澄ませていく。
「……あら、私の分はないの?」
田中さんが、少しだけ不服そうに、けれど誇らしげなドヤ顔で僕のデスクに身を乗り出した。
「もちろんです、田中さん。パーティーメンバー(戦友)のMP管理も、観測者の務めですから」
午後の陽光が射し込むオフィス。
そこはもう、ただの魔王城ではない。
僕たちが、ロジックという剣で奪還しつつある、僕たちの世界だ。
【本日残りMP:1070/1200】
【現在の称号:本質の審判者】




