第5話:タイムマネジメント、優先順位という名の聖域
第5話:タイムマネジメント、優先順位という名の聖域
午前8時45分。
三時間弱の仮眠から僕を叩き起こしたのは、スマートフォンのアラームではなく、脳内に直接響く【システムメッセージ】だった。
【警告:本日も極度の睡眠不足により、現実世界の解像度が15%低下しています】
【バフ効果:『境界の消失』により、オフィス内のオブジェクトがダンジョン化されました】
オフィスに入ると、そこには見慣れた事務机ではなく、至る所から「付箋のコウモリ」が飛び交い、「未処理書類の蔦」が絡みつく魔窟が広がっていた。
そして僕のデスクの前には、本日最初のレイドボスが陣取っている。
「あ、鈴木く〜ん。おはよ。ちょっとこれ、急ぎでお願いできるかな?」
粘りつくような声の主は、営業二課の雑賀課長だ。
現場に混乱を撒き散らす「無能の体現者」。
彼の頭上には【種族:寄生虫】と、巨大な【デバフ:思考停止】のアイコンが不気味に揺れていた。
「……おはようございます、雑賀課長。その『急ぎ』という言葉の定義について、まずは同期させていただいてもよろしいでしょうか」
「え? 定義? いやいや、そんな難しいことじゃなくてさ。昨日の会議で出たショート動画の件、社長がやっぱり気になるって。とりあえず市場調査のデータを全部、今日中に見やすくまとめておいてよ」
彼が差し出してきたのは、出所不明の膨大な紙資料の束。
僕の視界が赤く染まり、鑑定ログが走る。
【エネミー:雑賀課長がスキル『サイレント・アサイン(無言の押し付け)』を発動】
【荷重デバフを感知:このタスクを受諾した場合、本日中のMPが枯渇し、安眠クエストが失敗します】
(……やれやれ。自分の『考えたくない』という怠惰を、他人の『時間』で埋めようとする。典型的なリソース泥棒ですね)
昨夜、深夜4時。
VR世界の時計塔。
超効率の火竜タカスケが、ロケットエンジンの燃焼テストをしながら僕に言い放った言葉が蘇る。
『鈴木さぁん、君の時間は有限なんだよ。全部やろうとする奴は、結局何も成し遂げられない。使うべきは【アイゼンハワーマトリクス】――時間の聖域化だ』
『時間の、聖域化……』
『重要度と緊急度でタスクを四つの領域に引き裂け。特に、他人の「緊急(思いつき)」に振り回される「第3領域」は、最速で切り捨てるか自動化しろ。……まぁ、僕ならそんな課長、物理的に宇宙へ飛ばしますけどね?』
現実世界の解像度が、一気に「タスクの重要度マップ」へと書き換わる。
「術式展開――【聖域化:アイゼンハワーマトリクス】」
僕は雑賀課長の差し出した資料を、受け取らずに指先で弾いた。
「雑賀課長。残念ながら、そのタスクは現在、私の【第3領域:緊急だが重要ではないゴミ】に分類されました。処理の優先順位は最下位です」
「は、はあ!? 君、課長の僕に向かって何を言って……!」
「ロジックをご説明します。現在、私は社長直轄の『既存顧客解約防止クエスト』を遂行中です。これは会社の売上(HP)に直結する【第1領域:重要かつ緊急】の任務。……一方で、課長の仰る調査資料は、具体的な出口戦略もABテストの設計もない『単なる暇つぶし』です。これを優先した場合、会社は今月1,000万円を失いますが……その責任、課長が肩代わり(身代わり)してくださるのですか?」
ドォォォォォン!!
第一撃。雑賀課長の【威厳】に大きな亀裂が入る。
「く、っ……しかし社長が……!」
「社長なら、昨日私が『構造的に論破』済みです。もし不満があるなら、論理武装(MBAスキル)を整えてから再度挑んでいただけますか。……あぁ、その間、こちらの『自動集計マクロ』を差し上げます。これを回せば、課長の低スペックな脳でも3時間後には資料が完成しますよ。……時間は有効に使いましょう。人生は短いのですから」
僕は彼の手元に、昨日田中さんと共同開発した「自動化の呪文書(Excelマクロ)」を叩きつけた。
【スキル:タイムマネジメントが発動】
【エネミー:雑賀課長の『丸投げ』を無効化しました】
【雑賀課長は『アイデンティティ喪失』の状態に陥っています】
雑賀課長が泡を食って退散した直後、背後から「フフッ」という涼やかな笑い声が聞こえた。
経理部の田中さんだ。眼鏡の奥の瞳が、面白そうに細められている。
「ナイス攻略。鈴木さん、あの寄生虫をあんなに鮮やかに処理するなんて。経理部にも一人欲しいわ、あなたみたいなデバッグ担当」
「田中さん、おはようございます。彼はバグというより、もはや仕様ですからね。慣れればどうということはありません」
そこへ、少し慌てた様子で佐藤さんが駆け寄ってきた。
「鈴木さん! 今の、凄かったです……! 雑賀課長、いつも私にも無理難題を押し付けてくるのに、あんなに小さくなって逃げていくなんて……!」
佐藤さんの表情が、朝の光を受けて高画質なエフェクトのように輝く。
「あの、これ! 昨日のお礼にって田中さんと選んだんです。……『安眠のためのハーブティー』。帰り、飲んでくださいね?」
【メインヒロイン:佐藤小春の信仰度が15上昇しました】
【現実の解像度が1.2%向上:オフィスの灰色が、少しだけ鮮やかに見えます】
「ありがとうございます、佐藤さん。……ですが、それを飲むのは、まだ先になりそうです」
僕の視界――【ミニマップ】。
営業フロアの奥から、さらなる理不尽の波動――「顧客からの無茶振り」という名のガーゴイルがこちらへ向かってくるのが見えた。
さて、本日のメインクエストを始めようか。
この不毛な労働を、僕たちの誇りある戦場に書き換えるために。
【本日残りMP:1150/1200】
【現在のデバフ:慢性的な腰痛(姿勢制御に微弱なノイズ)】




