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第16話:コーチング技術、愚者を英雄に覚醒させる問い

第16話:コーチング技術、愚者を英雄に覚醒させる問い


 深夜3時30分。


 超高精度フルダイブVR世界――『育成の荒野ビギナーズ・フィールド』。

 僕は今、一人のレベル1のNPC(モブ兵士)を引き連れ、低級モンスターであるゴブリンの群れと対峙していた。

 しかし、戦闘は全く成立していない。モブ兵士は怯えて剣を振るえず、結局僕がレイピアでゴブリンを全滅させ、落ちた経験値アイテムを彼に無理やり拾わせている状態だった。


「ほら、拾ってください。これであなたのレベルは上がります。最も効率的なレベリング(育成)です」


「鈴木さん。あなた、まだ『ティーチング(教える)』と『コーチング(導く)』の違いが分かっていないのね」


 呆れたような声と共に、荒野の風を切り裂いて現れたのは、【剛腕の再生屋】サリーだ。

 数々の無名キャラクターを英雄へと育て上げてきた彼女は、僕がモブ兵士の足元に集めた経験値アイテムを、優美な杖でチリリと消し去ってしまった。


「なっ……。何をされるのですか、サリーさん。これでは彼が育ちません」


「育たないのはあなたのやり方よ。あなたが代わりに敵を倒し、『正解』を与え続ける限り、この兵士は一生『指示待ちのモブ』のまま。現代組織論において、部下のポテンシャルを覚醒させる必須スキル――それは【コーチング】よ」


「コーチング。相手に問いを投げかけ、内面から答えを引き出す技術ですね」


「ええ。相手の中に眠る『物語ストーリー』の主導権を、本人に握らせるの。目標(Goal)、現状(Reality)、選択肢(Options)、意志(Will)。この『GROWモデル』に沿って問いを立てなさい。答えを与えられた者はロボットになるけれど、自ら答えを見つけた者は『主人公』に化けるわ。……さあ、彼に『問い』を投げなさい」


 サリーの言葉が、僕の脳の構成線を書き換えていく。


【Skill:コーチング技術(GROWモデル)を習得しました】

【効果:対象の『自己解決能力』を強制起動させ、モブを戦力ヒーローへ昇華させる】


 ──脳のアップデートから、わずか3時間後。


 午前8時45分。


 現実世界、クズ社の営業フロア。

 朝礼直後から、営業二課の島で、鼓膜を物理的に削るような罵声が響いていた。


「おい伊藤! 今月まだアポゼロってどういうことだ! マニュアル通りに1日100件電話しろって言ったよな!? 気合が足りねえんだよ、気合が!」


 吠えているのは雑賀課長だ。

 その標的にされているのは、今年配属されたばかりの新人営業、伊藤くん。

 彼の顔面は蒼白で、目からは完全にハイライトが消え去り、「すみません、僕がダメなんです……」と念仏のように繰り返している。


【Enemy:雑賀課長がスキル『精神論の押し付け(レガシー・ティーチング)』を発動】


【Target:新人・伊藤の『自己効力感(HP)』が残り1まで減少しています】


(あぁ。自分が作った時代遅れのマニュアルの欠陥を、新人の『気合不足』にすり替える。典型的すぎるクソゲーの詰み(デッドエンド)ルートですね)


 僕は静かに立ち上がり、伊藤くんの元へ歩み寄った。


「雑賀課長。少々よろしいでしょうか。伊藤くんの『アポ獲得クエスト』、私が1時間ほどサポート(観測)させていただきます」


「あぁん? 鈴木、お前が代わりに電話してやるってのか? 甘やかすな! 自分で血を流さなきゃ育たねえんだよ!」


「代わりに電話はしません。彼自身の足で、彼自身の獲物を狩らせます」


 僕は伊藤くんの腕を掴み、雑賀課長の不満げな声を背に、彼を空き会議室へと連行した。


「す、鈴木さん……。すみません、僕、本当に営業に向いてなくて。マニュアル通りに商品のメリットを話しても、すぐ切られちゃうんです……」


 伊藤くんは机に突っ伏し、今にも泣き出しそうだった。

 僕はノートパソコンを開き、黄金のグリッドを彼の脳内へと接続リンクさせる。


「術式発動――【育星の対話(GROWコーチング)】」


「伊藤くん。マニュアルを一旦捨てましょう。僕の『問い』にだけ答えてください。……まず【Goal(目標)】です。お客様に電話をかける目的は何ですか?」


「え? そ、それは……アポを取ること、です」


「違います。それは『我々』の目的です。お客様にとってのゴールは何ですか?」


「お客様の……ゴール? あ、えっと……『自分の会社の課題を解決すること』……?」


「その通り。では【Reality(現状)】。今のマニュアルは、その課題解決について語っていますか?」


「……語ってません。『弊社のシステムはこんなに安くて便利です』って、売り込みばっかりです」


 伊藤くんの目に、微かな光が灯り始める。


「素晴らしい観測です。では【Options(選択肢)】。お客様の課題を先に聞き出すには、電話の第一声で何を言うべきでしょう?」


「……売り込みじゃなくて、『最近、御社の業界でこういうお悩みありませんか?』って、質問を投げかける……?」


「完璧なロジックです。最後に【Will(意志)】。そのあなた自身が導き出したスクリプトで、今から1件、かけてみませんか?」


「……やります。僕の作ったシナリオで、試してみたいです!」


【Skill:コーチングがクリティカルヒット!】

【対象:伊藤の『自己効力感』が全回復し、ステータスが『モブ』から『戦士』へ進化しました】


 15分後。


 フロアに戻った伊藤くんは、雑賀課長のマニュアルをゴミ箱に捨て、自ら書き直したメモを見ながら受話器を握った。


「お世話になります。……ええ、そうなんです。最近、御社の業界で『在庫管理の遅れ』が課題になっていると伺いまして。もしよろしければ、他社様がどう解決されたか、情報交換だけでも……」


 数分後。


 受話器を置いた伊藤くんの顔は、歓喜で紅潮していた。


「す、鈴木さん! アポ、取れました! ギガ・トレード様の関連会社からです! 僕の話を『面白い』って聞いてくれました!」


「な、なんだと……!?」


 様子を見ていた雑賀課長が、信じられないものを見る目で伊藤くんを指差す。


「マ、マグレだ! たまたま運が良かっただけだろ!」


「いいえ、雑賀課長」


 僕は伊藤くんの前に立ち、冷徹なロジックの銃口を課長へ向けた。


「これはマグレではなく、伊藤くん自身が構築した『再現性のある構造ロジック』です。押し付けられたマニュアルを読むだけのロボットを量産するのは、もうやめにしませんか。あなたの『教え』は、我が社の貴重な人材アセットを腐らせる強酸でしかありません」


 ドゴォォォォォォン!!!


 雑賀課長の「指導者」としてのちっぽけなプライドが、物理的に砕け散る。

 彼は顔を真っ赤にしながらも、反論のロジックを持たず、逃げるように自分の席へ戻っていった。


【クエスト:新人の覚醒コーチング 完全攻略】

【営業二課の生産性が自動的に上昇し始めました】


「鈴木さん! 本当にありがとうございました!」


 伊藤くんが90度の角度で頭を下げるのを見届け、僕は自席へと戻る。

 すると、隣の席で佐藤さんが、少しだけ頬を膨らませて僕を見ていた。


「……鈴木さん。伊藤くんにつきっきりで、1時間も会議室にこもってましたね。伊藤くんの顔、すごく輝いてました」


 佐藤さんの声に、微かな『嫉妬スパイス』のデバフが混じっている。


「ええ。彼は優秀な戦士になりますよ。……ですが」


 僕は、佐藤さんのデスクに綺麗にファイリングされた顧客リストを一瞥した。


「彼が先ほどアポを取れたのは、佐藤さんが事前に『見込みのある顧客』だけを完璧にリストターゲティングしてくれていたからです。僕も彼も、あなたが作ったこの『土台インフラ』の上で踊っているに過ぎません。……このギルドの真の主軸は、佐藤さんですよ」


「えっ……! そ、そんな……私なんて、ただリストを作っただけで……っ!」


 佐藤さんの顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まる。

 嫉妬のデバフは消し飛び、代わりに極上の献身と全肯定のバフが、僕の疲労しきった脳細胞を甘く包み込んだ。


【メインヒロイン:佐藤小春の愛情バフが限界突破しました】

【現実の色彩がさらに鮮明化:鈴木のMPが全回復しました】


 人を動かし、組織を書き換える。

 このクソゲーを『神ゲー』にリビルドする日は、そう遠くないかもしれない。


【本日残りMP:1800/2400】

【現実の解像度:35.0%(佐藤さんの笑顔が、4K画質を超えました)】

【鈴木の獲得称号:『愚者を導く賢者』】


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