第二十三話 やよい、正室の深い病と転封の波——奥向きが揺れ、別れが迫る
第二十三話
やよい、正室の深い病と転封の波——奥向きが揺れ、別れが迫る
その朝、医家の門が激しく叩かれた。
「奥向きより急使! お万の方様が倒れられた!」
やよいの胸が跳ねた。
玄道は薬箱を整えながら言う。
「やよい、これは“試し”ではない。本当の診療だ」
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◆ お万の方の“深い病”
大坂城奥向きは張りつめていた。
女中たちの不安が空気を震わせる。
御座所に入ると、お万の方は胸を押さえ苦しんでいた。
やよいは脈に触れた。
(細い……弱い……でも奥に熱……
“肝気鬱結”が進んで“痰熱”を生んでる……
気と熱と痰が絡んで胸を塞いでる……)
香の匂いが強すぎる。
奥向き特有の空気が病を悪化させていた。
侍女が震える声で問う。
「お万様は……助かりますか……」
「助かります。ただし急がなあきません」
やよいは薬草を選んだ。
半夏、枳実、蘇葉、黄連。
痰を散らし、胸を下ろし、気を巡らせ、熱を冷ます。
女中たちはざわめいたが、
やよいは火鉢の前で火を読み、匂いを嗅ぎながら煎じた。
(半夏は火が強すぎたら苦味……枳実は弱すぎたら効かへん……
黄連は煎じすぎたら冷えすぎる……ここや……)
薬湯を飲ませると、お万の方の呼吸が深くなった。
(……揺れが変わった……痰が動き始めてる……)
「胸が……軽くなったようだ」
御年寄・大崎局は静かに言った。
「見事だ。そなた……やはり本物だ」
退出しようとしたとき、襖の向こうから声がした。
「胸のつかえが取れたと聞いた。
奥向きの者たちが認めるなら、余も認めよう」
松平忠明の声だった。
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◆ 忠明転封の知らせ——奥向きが揺れる
数日後、奥向きはざわめいていた。
「忠明公が……大和郡山へ移られると……?」
「大坂は幕府の直轄になる……」
やよいは胸がざわついた。
御年寄・大崎局が言う。
「やよい。忠明公が去れば、奥向きは大きく変わる。
そなたの立場も揺らぐであろう」
(……わたし……どうなるんやろ……)
「そなたはそなたの医を貫けばよい。それだけだ」
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◆ お万の方の涙
お万の方がやよいを呼んだ。
「そなたの薬湯のおかげで、胸のつかえは軽くなった。
だが……忠明様が去られると聞いた」
やよいは手を握られた。
「そなたの医は本物だ。どうか自分を疑うな」
やよいの胸が熱くなった。
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◆ 忠明との“最後の対面”
夕刻、やよいは忠明に呼ばれた。
静かな部屋。
忠明は背を向けたまま言う。
「……そなたか、曲直瀬やよい」
やよいは深く頭を下げた。
「これまで……ありがとうございました……」
忠明はゆっくり振り返った。
「そなたの医は確かであった。
奥向きの者たちも認めておる」
やよいの目に涙が滲む。
「だが、余は去る。
そなたの道はこれから険しくなるであろう」
やよいは拳を握った。
「それでも……わたしは命を救いたいのです」
忠明は微笑んだ。
「ならば——そなたは必ず道を見つける。余が保証する」
やよいの涙が頬を伝う。
忠明は馬に乗り、最後に振り返った。
「曲直瀬やよい。
そなたの医は大坂の民を救う。
たとえ余が去ろうとも」
その背中が城を離れた瞬間、
大坂城の空気は一変した。
女中たちの不安、
御年寄の沈黙、
お万の方の涙。
そして——
やよい自身の立場も揺れ始めていた。
(……逃げへん……
命を救うために……
この道を歩くんや……)




