偽りの悪女
ノルマンが不在の間、特にすることもなかった私は、また城の中を見て回ることにした。まだ、足を運べていない場所がけっこう残っていたからだ。
カーラは「ご一緒します」と言ったけれど、「城の中だから大丈夫よ。外に出るつもりはないから」と断って、一人で出てきた。正確には、猫のルオンがついてきたけれど。
城の上まで昇ると、領都が見渡せた。そのはるか先にぼんやりと見える山並みの中に、ノルマンが向かった鉱山がある。
「さすがに、これだけ歩くと疲れた……」
王城に匹敵する規模のモントロー城は、いちいち細かく見て回れば数日では足りないほどだ。うっかりヒールのある靴で部屋を出てきてしまったせいで、足が痛む。
腰かけられる場所を見つけて、靴を脱いだ。足裏にあたる石の冷たさが、なんとも気持ちいい。
「お嬢様、こちらでしたか」
一人の騎士がこちらに走ってくる。
「セザール卿、何かあったの?」
「モルガンから、お嬢様に至急お伝えするようにと。実は今、ジュール様のところに客人が訪ねてきているのですが……その……」
言いづらそうに頭を掻くセザール卿は、ノルマンが自分の留守の間、私の護衛を命じられている。
「そのお客様とは? 私にとって、あまりいい人じゃないみたいね」
「王都からの客なんですが……実は、ロベル・ショワジー小伯爵だと」
「えっ……?」
意外な人物の名に、思考が止まる。
「なのでモルガンが私に、お嬢様が鉢合わせすることのないよう、くれぐれも気をつけるようにと言いまして」
ああ、そういうこと……。
でも、ロベルの名を聞いても、不思議と何の感情も湧いてこない。それほど私にとって、もはや彼はどうでもいい存在になっていた。
いや、なぜロベルがここに?
「わかりました。……ところで、小伯爵は、ジュール様と以前から親しかったの?」
「いえ、それはないようです。小伯爵は、バレリー・カミユが連れてきたようですから」
「カミユ……? ああ確か、モントロー公爵家の傍系筋の子爵家でしたか?」
その家名は、書庫にあった一門の家系図に見た覚えがある。
「さようです。バレリーは、その子爵家の三男です。ですが、あまりいい噂は聞きませんね。ふらふらして、遊び人を気取ってる奴ですよ。カミユ家ではいないも同然の扱いだとか。そう言えば、王都に何のためかは知りませんが、よく出かけていると聞いたことはありますね」
ならば、王都でロベルと出会ったということか。
「二人は、何のためにジュール様に会いに来たのか、わかる?」
「いえ、そこまでは……。ですが、使用人をすべて応接室から出したということです。単なる世間話の類ではないでしょう」
ジュールは、理由はわからないけれど私に敵意を抱いている。そんな彼とロベルが顔を合わせるなんて。とにかく、私としてもロベルと顔を合わせるなんて御免だ。
「では、私はお客様がお帰りになるまで、ここにいることにします。セザール卿は、戻って彼らの様子をうかがっておいていただけませんか。そして、お客様がお帰りになったら、ここまで知らせに来てくれると助かります」
「承知いたしました」
セザール卿が戻っていくのを見て、小声でつぶやく。
「ルオン、今の話、聞いてたよね?」
「もちろん! 探ってくればいい?」
「よろしくね」
猫のルオンは、セザール卿の後を追って駆けていった。
◆◆◆
「なんだって? それは本当なのか?」
ジュールは、バレリー・カミユが連れてきた男の話に憤った。
(やっぱり、怪しいとは思っていたが、その通りじゃないか)
兄上は騙されている、あの女に。
今、バレリーの隣にいるロベル・ショワジーという男は、あの女の元婚約者だ。
「ディアは、本当は僕のことがまだ忘れられずにいるんです。僕とディアの婚約は、家同士が決めたものだと思われていますが、実は違います。ディアは、僕を子どもの頃からずっと慕ってくれていたんです。それなのに……」
ロベルはジュールに訴える。そんなロベルの肩に親しげに手を置き、バレリーも言う。
「僕も、ロベルから聞いて驚いたよ。社交界での噂とはまったく違っていたからね。だからさ、兄上思いのジュール様に、このことはぜひ伝えておかないとなってことで、彼を都からはるばるモントロー領にまで連れてきたってわけ。本人の口からじかに聞くのが一番信用できるだろ?」
「わかった。……カミユ子爵家の忠心に感謝しよう」
(気に入らない奴だけど……)
本当は、このバレリーという胡散臭い奴も、どこか計算高いカミユ子爵家も、ジュールにとってはそう易々と信用できる相手ではない。
でも、今回は別だ。まさに当事者であるロベルという男が、自分の口で話したことなのだから。これより確かなことはない。
ロベルは、自分が望んで婚約破棄をしたわけではなかったと言った。自分には、そんなつもりは毛頭なかったが、あの女が先に言い出したことだと。
ディアロッテというあの女は、ロベルという元婚約者が今も心にありながら、兄上の公爵という身分につられて婚約を承諾したのだ。いや、兄上の婚約者探しをモンタナ侯爵夫人がしているのを聞きつけて、恥知らずにも自分から名乗り出たに違いない。
「公爵様と婚約するために、ロベルとの婚約を破棄したってことなんだろうよ。サルグミン嬢は、損得で考えたんだろうな。ロベルもそう疑ってるんだろ?」
「ええ、まあ……」
バレリーの言葉に、ロベルは少し返事を濁す。目をそらしたのは、何かやましいことがあるからか?
とはいえ、やはりあんな怪しい女を、兄上と結婚させるわけにはいかない。公爵夫人の権威を得たら、どんな勝手な振る舞いをするか、わかったものじゃないから。
だが、執事のモルガンや使用人たちの話では、兄上はあの女をどういうわけか気に入っているらしい。
だとしたら、ジュールがいくらあの女を追い出したほうがいいと訴えても、兄上が聞いてはくれることはないだろう。いつものように穏やかな笑みを浮かべて、「大丈夫だ、お前は何も心配しなくていい」と言うはずだ。
だからなおのこと、ジュールだけでも騙されることなく、兄上のためにできることをしなければ。
「それで、小伯爵。あなたはどうしたいんだ?」
「僕は……ディアを取り戻したいんです。そしてもう一度、婚約をしたいと思っています。そのためなら何でもします」
「へえ……いい覚悟じゃないか、ロベル」
バレリーが口を開いた。
「だったら、少し手荒だが、確実な方法があるぞ。どうする? やるかい?」
バレリーの「手荒」という言葉に、ロベルは少しだけ躊躇する様子を見せた。




