それぞれの違和感
セザールがロベルが城を出たと告げにきてくれたのは、それから一時間ほど後のこと。
セザールと一緒に中庭の回廊を通って部屋へと戻る途中、見慣れない人物が視界の隅に入った。
「セザール卿、あの方は?」
「彼が小伯爵を連れてきたバレリー・カミユです」
私たちのいる回廊から、バレリーがいるところまでは距離がある。バレリーは誰かと話しているところのようだが、相手の姿はこちらからだとちょうど柱の死角となり、誰なのかがよく見えない。わかるのは、メイドのお仕着せを着ていることだけ。
「ここからは私一人で大丈夫ですから、卿は、彼が話している相手が誰か、こっそり見てきてもらえませんか?」
黙ってうなずいたセザールに後は任せて、私はルオンが待っているはずの部屋へと急いだ。
◆◆◆
ルオンの報告で、ロベルがろくでもないことを考えていることがわかった。
「あいつ、やっちゃう?」
「さすがにそれはダメ!」
ルオンが言うには、ロベルはとんでもない妄想をしているらしい。
「あいつ、ディアがまだ自分のことを好きだと思ってるよ。だからもう一度、ディアと婚約するんだってさ」
「はあ? どういうこと? 彼はレイラ嬢と婚約したじゃない……」
ルオンから聞かされた話に、私は呆れるしかなかった。そして、彼らがこれからしようとしていることにも。
「あいつはしばらく、バレリーってやつの屋敷に滞在するみたいだから、ディア、気をつけて」
「ええ。でも、彼らが何をたくらもうと、私にはルオンも毛玉ちゃんもがいるから、問題ないわ」
すると、扉をノックする音がした。
「お嬢様、今よろしいですか?」
セザールが先ほど頼んだ件の報告にやって来てくれたのだ。
「中庭でバレリーと話していたのは、メイドのネリーでした。話の内容まではわからなかったのですが、どうも二人は恋仲のように見えました。……しかし、バレリーは軽い男ですから、以前も別のメイドと会っているところを見たことがありますし、他にも関係を噂されている女性がいます。なので、何人もいる恋人の一人か、あるいはネリーが一方的に熱を上げているだけかもしれませんが」
まだ公爵家の使用人すべての顔と名前を覚えることは難しいが、ネリーはよく顔を合わせるメイドの一人で、顔と名前が一致する。
時々、私の侍女のカーラを手伝ってくれているのも目にしていたし、素朴で真面目な仕事ぶりの、好感の持てるメイドだ。そんなネリーが、あのいかにも軽そうなバレリーと付き合っているなんて。
「そう……ありがとう。ネリーのこと、注意して見ておいてくれる? 小伯爵を連れてきたバレリーと関係があるというのが、少し気になるの」
「承知しました。何か怪しい動きがあればお知らせします」
ネリーのことは、モルガンにも注意するように言っておこう。
セザールが部屋を出て行ったあと、私もモルガンのところへ向かった。
◆◆◆
ノルマンは配下の騎士たちと共に、モントロー城から馬で一日駆けて、国境近くに位置するルキュレ鉱山にたどり着いた。
数人の坑夫が、大きな虎の姿をした精霊を見たという報告があったからだ。
「この辺りだそうです」
目撃した坑夫に聞き取りしてきたステファンが、その場所へとノルマンを案内した。
そこは、この鉱山にいくつもある坑道の一つで、使われなくなって久しい廃坑の入り口の近く。
ルキュレは魔石鉱山だ。魔石とは、地の底から滲み出た濃い瘴気が、長い年月をかけて圧縮され、結晶化したもの。ゆえに瘴気から生まれる、あるいは瘴気に引き寄せられるとされている魔物の出没が多い。それに反して、清らかな気を好む精霊が自ら進んで現れることはあり得ない。精霊師に浄化のために導かれでもしない限り。
ソードマスターの域に達した者は、微細な気配や変化に敏感だ。ノルマンが予測していた通り、ここにはわずかに気の乱れが感じられる。
それは魔物や精霊といった、空間を歪めて現れる存在の残滓。併せて耳鳴りのように、低い音で煩わしく響く残響を捉えた。
(魔力の痕跡?)
なぜ魔力が?
この感覚は、ここに現れたというものが魔法による存在であったということを表している。
精霊は魔法を使わない。そして精霊師も、魔法師とは別物だ。
ここに漂う不快な残響は、自然界に反する事象を起こす魔法がここで行われたことを示している。
片や精霊は、自然界の気そのもの。自然の一部だ。だから、このような残響を残すことはない。
だとしたら、抗夫たちがここで見たのが精霊だと言うのは、おかしな話となる。
魔物と精霊は、子どもでもひと目で見分けがつく。だから抗夫たちが、精霊と魔物を見間違えたはずもない。
精霊の瞳は宝石の輝きを持ち、魔物の眼は禍々しく赤い。
しかも、この世界を統べる神の理によリ、瘴気により形を成す魔物は、虎のような崇高な生き物の存在の姿をとることができない。神のしもベとされる生き物と同じ姿を成せるのは、自然の気から生じる精霊に限るからだ。
そして、同じ姿をした精霊は、二体といない。精霊はすべて、固有の姿を持つのだ。
「主君、何か感じますか?」
「ああ……。抗夫たちが見たものは、本当に虎の姿をしていたと?」
「確かに虎だったと言っています。大きな虎の精霊だったと」
再び領内に現れた、仇と言える精霊。前回は、魔物とともに現れて村を襲い、住人たちを殺めた。そして、助けに向かったノルマンの両親も犠牲となったことを忘れることはできない。
(だが、どこか引っかかる……)
この違和感は何なのか?
王都で少年が見たという、銀毛の虎の精霊。その場から去っていった馬車を追わせたものの、不審なほど何もつかめなかった足取り。
すべては見間違いだったのか。
ノルマンは騎士たちと共に付近を一通り探索し、残っていた魔物を一掃すると、城への帰路についた。
◆◆◆
その日の夕刻、私の部屋の扉がノックされた。開けると、ネリーだった。
「お嬢様、ジュール様からお言伝を預かりました。至急ご覧ください、とのことです」
差し出された封書を開くと、『兄上についてお話しておきたいことがあります。庭園のはずれの温室でお待ちしています。他の者には聞かれたくない内密なお話につき、必ずお一人でいらしてください』とある。
怪しすぎるでしょ?
こんな辺りが薄暗くなった時間に、人目につかない温室に呼び出すなんて。
第一、普通なら、敵意むき出しの人物からの不審な呼び出しに応じるほうがおかしい。
敵の魂胆は見え見えだけれど。
「ルオン、毛玉ちゃん、ついてきてくれる?」
「はあーい。あいつ、ほんと余計なことばかりするよな……」
そうぼやくと、ルオンは姿を消した。ルオンの気配だけが近くに感じられる。
部屋の扉の外には、護衛のセザールが立っている。こんな時間に外に出ると知られたら、絶対に護衛のためついて行く、と言われてしまう。
だが、高位精霊のルオンに勝る護衛はいないし、何よりルオンを見られてはいけない。私が精霊師であることは、まだ知られてはいないのだから。
「毛玉ちゃん、表にいるセザール卿を、少しの間、眠らせてくれない? あ、悪夢を見せちゃだめだよ。簡単には目覚めたくないような、すごくいい夢を見せてあげてね」
毛玉が頷くように、ぴょんっ、と跳ねた。
そっと扉を開けると、床に座り込むようにしてセザールが眠っている。寝顔がいい笑顔だ。
きっと、私の身を案じてノルマンがつけてくれた最強の護衛騎士なんだろうけど、今日はそのお心遣いを無にします。心から、ごめんなさい。でも、代わりにルオンと毛玉を連れていきますから、大丈夫。
彼を起こさないように、忍び足で部屋を出た。
そのガラスの温室は、広大な庭園の端といっていい場所にある。
昼間はよく、庭園の散歩からここまで足を延ばしていたが、この時間に来るのは初めてだ。
辺りがすっかり闇に落ちた中、温室の中にいくつも設置された魔石ランプが、ガラス越しにぼんやりと光を滲ませている。
入り口の扉に手をかけようとした私は、背後に人の気配を感じた。
同時に、強い刺激臭のする布で鼻と口が覆われる。
「――んっ!」
抗う間もなく、眠るように意識が落ちた。




