泥まみれの伯爵令嬢
「……あ、ちょうど村に着いたようだな。リュラルという村だ」
ノルマンの言葉に、窓の外を見る。
公爵家の騎士たちと、モントロー家の紋章のついた馬車に気づいた人々が、一斉に笑顔を見せて集まってきた。
「公爵様だー!」
馬車から降りた私たちに、子どもたちが近寄ってくる。
「みんな、元気にしていたか? 困ったことはないか?」
ノルマンが幼い少年の頭を撫でると、少年は私の顔をじーっと見つめた。
「ねえ、公爵様。このお嬢様は?」
「ああ、きみたちにも紹介しないとな。このご令嬢は、ディアロッテ嬢だ。俺の婚約者だ」
「えーっ、本当? じゃあ、結婚するの?」
「ああ。来年には結婚して、公爵夫人になる人だ」
「へえーっ、公爵様、よかったね! すっごくきれいな奥様だね」
「そうだろう? 俺もそう思っているよ」
何の衒いもなくそう口にしたノルマンに、聞いている私のほうが気恥ずかしい……。
子供たちに屈託のない笑顔を見せるノルマンに、冷血公爵の面影は微塵も見えない。ほんと、誰が何を見て、そんな失礼なあだ名をつけたのか。
それに……。
私が婚約者であることを、堂々と口にしてくれるなんて。
ロベルはいつも婚約者が私であることを、人には曖昧に誤魔化して答えていたから。
慣れないことに、なんだか胸がこそばゆい。こんな気持ちになったことも、ロベルとの婚約中には決してなかった。
(本当に優しい人っていうのは、こういう人のことだろうな……)
ノルマンに代わる代わる話しかける子どもたちを微笑ましく眺めていると、こちらに向かって神官らしき青年が歩いてきた。
彼の姿を認めたノルマンが、笑顔で声をかける。
「ラファエル、久しぶりだな!」
「公爵様にご挨拶申し上げます」
「子どもたちも皆、元気のようで何よりだ」
「お隣にいらっしゃるのは……?」
「ああ、俺の婚約者、ディアロッテ・サルグミン嬢だ」
「そうでしたか。この地にご到着されたとのこと、噂にはうかがっていましたが、こんなに早くお目にかかれて光栄に存じます。ディアロッテ様、ラファエルと申します。この村の神殿で、神官を務めております」
ラファエルは、胸に手を置いて頭を下げ、丁寧に挨拶してくれた。
ノルマンの説明とラファエル自身の話により、彼は神殿で親を亡くした子どもたちを引き取り、面倒を見ているのだとわかった。
「公爵様が十分に支援してくださるおかげで、子どもたちは健やかに過ごせています。本当に公爵様には感謝しかございません」
その言葉に、周りにいた子どもたちが、うんうん、と大きく頷いた。その中から一人の少年が進み出て、ノルマンの腕を引いた。
「ねえねえ! 僕たち、公爵様に絶対見てほしいものがあるんだ!」
子どもたちが案内してくれたのは、神殿の近くの畑だ。大した広さではないが、さまざまな季節の野菜が実りの時期を迎えていた。
よく見れば、育てるには少し条件があるため、あまり育てられることのない種類の野菜もある。
「すごいわ。珍しい野菜も育てているのね」
感心した私に、子どもたちは得意げに胸を張って答えた。
「これ、みんな僕たちが育てたんだよ! すごいでしょ? 実は神官様にも手伝ってもらったけどね」
「そうか。立派に育てたな!」
ノルマンが案内してくれた少年の頭を撫でると、他の子たちも次々と自慢する。
「僕も水やりをしたよ!」
「私は毎日、虫がついていないか、見に行ったんだから!」
「俺だって、種を蒔いて、毎日いつ芽が出るか、待ってたんだから」
興奮する子どもたちを宥めながら、ラファエルが言う。
「この畑の実りは、この子たちの食事を賄うだけでなく、村の人々にも必要があれば分けているんです」
「そうか……。それは何よりだな」
満足そうにノルマンが頷く。
モントロー領では、魔石の鉱山地帯から時折、高濃度の瘴気を含んだ風が吹き下ろしてくる。すると、瘴気に弱い作物は枯れてしまう。そのせいで、育てられる作物の品種が他の領地より極端に限られていることが悩みの種だ。
実りの豊かな畑を眺めていると、私は生まれ育ったサルグミン領を思い出す。今は王都で暮らしていた私だが、幼い頃は領地の館で暮らしていた。
サルグミン領は、商業より農業が盛んな地。領地の税収の半分が農作物によるものだ。だから、凶作での損害が大ダメージとなったのだった。
幼い頃、父の領地視察に兄と一緒について行くこともあった私は、その収穫を見よう見まねで手伝うこともあった。
それに領主の城に隣接した畑は、珍しい品種の野菜などを栽培する試験農場となっていた。
領民たちを豊かにするには、今と同じ手間と収穫量で、少しでも収益を高く上げられるようにするのが一つの手だ。そのために、他領ではあまり栽培されていないが実は需要があり、王都では高値で取引される品種を育ててみることだとして、研究者を雇い、試験的な栽培や品種改良を行っていた。
これには私も興味があり、試験農場によく出入りして、研究者の話を聞いたり、農作業を手伝ったりしていたのだ。
ここでも、そんなことができたらいいかもしれない。
あとでノルマンに話してみようと思いながら、畑を眺めていた私は、収穫を終えて土だけとなった一角の端に、まだ青々とした葉や茎が高く積まれているのが目に入った。
あれは……。
近づいてみると、やはり思っていたものだった。
「これは捨ててしまうの?」
私についてきた少女に尋ねると、無邪気な笑顔で答えてくれた。
「そう! これはお芋の葉っぱだから、捨てるものなの。こうして乾かして、カラカラに乾いたら、暖炉で燃やすの」
「そうなのね。でも、これ、食べられるって知ってる?」
少女が驚いたように私を見た。
「ほんと? えーっ、でもこんなの、美味しくないに決まってるよー。ディアロッテ様は食べたことあるの?」
「ええ。確かに見た目は美味しくなさそうよね。でもこれ、けっこう美味しいのよ」
「どんな味なの?」
「うーん……。食べてみる? ラファエル様に頼んでみましょうか?」
この芋の茎は、煮込んで簡単な味付けをすれば美味しく食べられるものだし、乾燥させれば、いい保存食になる。
今では廃れてしまった食材だが、古い文献では、王国内でよく食べられていたものだった。サルグミン領では次の凶作への備えとして保存食の研究を進めた結果、古書の中に発見した食材だ。
私も半信半疑ながら実際に調理してみると、これが意外に美味であり、保存食としても優れていた。何より、本来なら捨てるだけであった部分が食べられるのであるから、いいことづくめだ。
畑に投げ捨てられていた茎と葉を急いでかき集めたせいで、私の両手とスカートは泥だらけになってしまった。
とりあえず手についた泥をはたいて落とすと、スカートの泥も手で払う。そんな私を見て、ノルマンが目を丸くした。
「ディアロッテ嬢、どうしたんですか? そんなに泥をつけて……」
「ああ、こんなの大したことないです。それより、厨房を少し貸してもらえないかなと……」
ラファエルに頼んで神殿の厨房を貸してもらった私は、大勢に見守られながらその芋の茎や葉をナイフで刻んでいた。
「本当にそれが食べられるのか……」
ノルマンが信じられないといった表情で私の手元を凝視する。
「はい。うちの領では食べていました。出来上がったら、食べてみてくださいね」
「しかし、あなたは手際がいいですね……。伯爵家のご令嬢なのに、料理をされたご経験が?」
驚きを隠さないノルマンの反応は、もっともなものだ。高位貴族の令嬢が自ら厨房に立つなんて、趣味のお菓子作りならともかく、平民が食べるようなものを料理するなんてことはないだろう。
「サルグミン家は、華美なものより質素を良しとする家風なんです。ですので、こういうことを私がしても咎められることはないんですよ。変わっていると思われるかもしれませんが……」
ほんの少しの塩で炒めて、果物の汁を煮詰めて発酵させた調味料で味付けすると、たちまちいい香りが厨房内に立ち込める。
ノルマンとラファエルには、それぞれ少しだけ小皿に盛って手渡した。
残りを大皿に盛りつけてテーブルに置くと、待ち構えていた人々がそれぞれのスプーンで少しずつすくって、味見をする。
「えっ? 何? 食べられるじゃん!」
「うまいなあ……」
「あれが食べられるなんて!」
「私、これ好きな味!」
「もう少し食べたーい!」
子どもも大人も問わず、驚きの声に溢れた。
ノルマンも一口口にして、驚いたように目を見張る。
「あれがこんな味に……」
「ディアロッテ様、思いがけないことを教えていただきありがとうございます。これは人々に広く知らせねば……本当に人の役に立つ知識です」
ラファエルは神官らしく、神を崇めるかのように胸の前で両手を組み、目を伏せた。
「これ、よく乾燥させて風通しのいい日陰に吊るしておけば、いい保存食になるんです。それで、食べる時には、きれいな水に少しつけておいてから、火を通して味付けすればいいんですよ。そのまま煮込んでもいいですし、細かく刻んでスープに入れても美味しいです」
「なるほど……。食材の乏しい時期にはうってつけですね! 芋だけじゃなく、葉や茎まで食べられるとは……」
ラファエルの言葉に、大人たちも感心したように頷いていた。
気がつけば、大皿はすでにきれいに空になっている。
「ねえ、あれ、もっと食べたーい」
「僕も―」
名残惜しそうにまだスプーンを握り締めている子どもたちに、私は微笑んだ。
「じゃあ、まだ畑に積んであったよね。あれ、全部持ってこようか?」
「うんっ!」
「私も行くー!」
「僕も手伝うよ」
子どもたちと一緒に、私はまた畑に出て行くことにした。
我先にと走って、畑へと向かっていく子どもたち。
その後を追う形になった私に、一人の少年が話しかけてきた。




