得難いあなた
「あの……」
ためらいがちに口を開いた少年は、私をじっと見つめる。利発そうな瞳が、くるっと輝いた。
「なあに? どうしたの?」
「ええと……ディアロッテ様は、サルグミン伯爵家のお嬢様なんですよね? だから畑で育つ作物にお詳しいのですか?」
「ええ、そうよ。サルグミン領は農業が盛んな土地なの。それで領地には農作物の研究者が大勢いたから、子どもの頃、よく彼らの話を聞いたりしていたのよ。でも、他の人より少しだけ詳しい、っていう程度よ」
「あの……僕、ディアロッテ様にお見せしたいものがあるんです……実は僕、畑で育てる作物を自分なりに調べたりしているんですけど……」
子どもたちが抱えて戻ってきた茎と葉を、今度はそこにいた神殿の使用人たちに調理の仕方を教えて任せると、私はさっきの少年が持ってきた紙の束を見せてもらっていた。
そのリュカという名の少年は、ラファエルがこの神殿で面倒を見ている孤児の一人だった。
両親を魔物の襲撃で亡くした彼は、残された姉と共に神殿で暮らしている。ラファエルが言うには、とても賢い子で、畑の作物が少しでも実りが多くなるように工夫してくれている、とのこと。
リュカが私に見てほしいと言った分厚い紙の束には、私たちが先ほど見た神殿の畑の作物についての詳細な記録が綴られていた。書物で学んだ知識と、農夫たちに聞き取りした話をもとに、少しでも多くの収穫を上げるために実践した試行錯誤と、その結果が細かく記されている。
「まるで研究者の報告書を見ているようだわ……」
私がつぶやくと、横から覗き見ていたノルマンも、しきりと感心している。
リュカは、私が紙をめくる手元を緊張の面持ちで見つめていた。言葉を発する余裕のないリュカを代弁するかのように、ラファエルが言う。
「リュカは、サルグミン領での研究や試みの話を耳にして、前々から憧れていたんですよ。だから、ディアロッテ様がサルグミン伯爵家のご令嬢と聞いて、自分がまとめてきたものをお目に掛けたかったんでしょう」
ラファエルの言葉を肯定するように、リュカが無言のまま、何度も頭を縦に振った。
「リュカは、本当に優秀な子なんです。探求心や辛抱強さもあり、研究者に向いていると思うんですが……」
ラファエルの顔が少し翳る。
「この村にいては、得られる知識に限界があります。この子の才能を十分に生かせる環境に置いてやることが、広く人々のためになると思うのですが、……どうしたらいいものかと私も悩んでいるのです」
今ここにいる子どもたちも、やがては働く年齢に達する。だが、この村で得られる職は限られている。その限られた中から選ぶことに不満のない子もいるだろうが、そうではない子もいる。ふさわしい場所が他にあるなら、できればそれを用意してあげたい。話を聞きながら、私に思いついたことがあった。
「ラファエル様、リュカには姉がいると言いましたよね?」
「はい。ジゼルといって、16歳になります。今のところは神殿の下働きをしてもらっていますが、いずれはどこかのお屋敷にお勤めしたいと聞いています」
「それはちょうどよかった! では、ノルマン様にお願いです。ジゼルさえよければ、私のメイドとして、城に連れて帰りたいのですが。私付きのメイドを雇う必要があると言っておいででしたよね? その場合、リュカも一緒に。いかがでしょうか?」
「ああ、もちろん。あなたが望むなら、そうしよう」
私の意図を汲んだノルマンの返事に、リュカが瞳を明るくした。
「では、ラファエル様、ジゼルに返事を聞いてきてもらえますか?」
「ありがとうございます。きっとジゼルも喜ぶと思います。領主様のお城で働けるなんて、またとないチャンスですからね」
「僕も姉さんに聞いてきます!」
一目散に駆けていくリュカを、ラファエルが追っていった。
まもなく戻ってきた二人の後ろから、一人の少女がついてくる。ジゼルと名乗った少女は私たちに礼を言い、弟のリュカと一緒に深々と頭を下げた。
これで私のメイドが一人決まった。
リュカとジゼルには後日、モントロー城に来るように言うと、私たちは帰途へとついた。
帰りの馬車の中、向かい合って座ったノルマンが、じっとこちらを見つめている。その視線の先をたどると、私のスカートにさっき払いきれなかった泥がまだ少し残っていた。
「あ、申し訳ありません……。お見苦しいところを。はしたないですよね……」
「いや、いいんだ。そのままで構わない。気になったというわけではなく……」
慌ててスカートの泥を払おうとした私を、ノルマンが優しく制した。
「意外だったんだ。あなたのような立派な伯爵家のご令嬢が、平民たちの前で土に触れるのも厭わなかったのが」
「うちでは、私だけでなく両親も兄も、領民たちの前でも平気で畑の土をいじったりしています。でも、確かに他のご令嬢なら嫌がるかもしれませんね」
くすりと笑った私に、ノルマンが笑顔を見せる。
「それに、あなたは物知りなんだな。あなたの知っていることを、これから遠慮なく領民たちに伝えてもらえると有難いんだが」
「私の知ることなど大したことではありませんが……それでもよろしければ。私の知っていることでお役に立つことがあれば、伝えていくようにいたしますね」
「ああ。ぜひ頼む」
ノルマンは、勝手に動いた私を責めるのではなく、認めてくれた。しかも、服に泥をつけたまま隣にいる私を、笑って受け止めてくれる人なのだ。
王都でノルマンのことを恐ろしがって陰口を叩いていた人々なら、きっとどちらの私も許してはくれないだろう。取り澄ました顔をして、何よりも貴族の名誉に重きを置く人たちなのだから。
(この人で良かった……)
胸いっぱいに何とも言えない心地よさが広がる。久しぶりに子どもたちと動き回った疲れのせいで、いつしかうとうとと私は瞼を閉じてしまっていた。
◆◆◆
執務室に戻ったノルマンは、不在の間の報告を受けるため、副官のステファンと執事のモルガンを呼んだ。
ステファンから手渡されたのは、モントロー騎士団が王都に放っている密偵たちからの報告書。
これに一通り目を通すと、ノルマンは表情を険しくした。
「愚かなことを。何かある前に、こちらも備えておかねば」
「そう言われると思いまして、手は打ちました」
「助かる」
「ところで……ディアロッテ嬢との視察はいかがでしたか?」
ステファンに問われて、ノルマンの頬が自然と緩んだ。
「そうだな……彼女はやはり面白い人のようだ。伯爵令嬢にしては、だいぶ規格外だ」
「主君のその顔。へえ……これはだいぶ気にいったようですね」
「俺の顔がどうした? あ、うん……まあな」
仄かに顔を赤らめて、ノルマンは片手で口元を覆った。だがすぐに気を取り直して、今日の神殿でのことを伝え、モルガンに命じる。
「近々、ディアロッテ嬢付きのメイドとして、あの村のジゼルという少女が訪ねてくるはずだ。一緒に来るリュカという弟にはふさわしい教育を受けさせるつもりだから、ディアロッテ嬢と相談して適切な教師を探してくれ。二人が着いたら諸々の手配を頼む」
「承りました」
用件を聞いたモルガンが部屋を出ていくと、ステファンが愉快なものを見るかのように言った。
「モンタナ夫人は、実に良い方を紹介してくれたようですね。さすがですね!」
「そうだな。悪い噂のある俺のところに来るのを嫌がらなかったんだから、普通のご令嬢じゃないんだろうな」
「ですねー。主君の噂は散々でしたからねー。絶対、只者じゃないですよ!」
「わかったから……もう、お前も自分の仕事に戻ってくれ」
まだ何か揶揄いたげなステファンの背中を押して扉の外に追い出すと、ノルマンは執務室で一人、物思いに耽った。
泥がつくのも厭わず、子どもたちと接するディアロッテに、亡き母の姿が重なる。
ノルマンの母もよく、村の子どもたちと、身分の隔てなく土に塗れるのも構わずに交流していた。だが母は、単なる公爵夫人ではなく騎士だ。騎士なら土に塗れるなんて、日常茶飯事。
だが、ディアロッテは違う。彼女は王都で、土や泥とは無縁の伯爵令嬢として育ってきたとばかり思っていたのに。
(善き誤算だった……か)
モルガンによると、ディアロッテは穏やかな性格で、城の使用人たちにも好意的に受け入れられているとのことだ。
初めは正直、王都に暮らしていた令嬢ゆえ、地味で退屈な辺境暮らしに苛立って、使用人に辛く当たったりしないかという不安もあった。だから、試すように彼女に用意した部屋は、あえて余計な手を加えず、とにかく掃除だけ徹底しておけばいいと命じたのだ。だが彼女は、その部屋に不満を漏らすどころか、満足していたようだと聞いて安堵した。
あえて魔物の返り血を浴びたままで正式な初対面を果たしたのも、彼女を試すためだった。常ならば、途中に立ち寄る神殿で、浴びた瘴気の穢れと共に、汚れた身も浄めてくる。しかしこれにも予想に反して、彼女は大して動じることなく迎えてくれた。
ステファンに言われるまでもない。自分はよい人と巡り会うことができたのだろう。
魔物の脅威にさらされているモントロー領では、美しく可憐なだけの公爵夫人では、とてもその役目を果たすことができない。
血に染まるノルマンを目にしても動じない、そして知恵も忍耐もある賢い人でなくては。だから彼女は得難い人だ。
この縁を取り持ってくれた侯爵夫人には、感謝しないと。
(彼女も同じ思いでいてくれるといいのだが……)
だが万が一、まだ彼女に断ち切れない思いがあるとしたら。
ノルマンは、先ほど目を通した密偵からの報告書に不快な思いで目をやった。




