血塗れの騎士
エントランスで出迎えた彼は、戦闘の証である、顔や服にこびりついた血や泥のシミも生々しい。その姿に一瞬、私は息を詰めた。
それに気づいたのか、彼は頬をこすり、こびりついた血糊を拭う。
「ずいぶんと待たせてしまった。申し訳ない」
血に汚れた姿に似つかわしくない、穏やかな声音だ。そこに恐ろしさは感じられない。
姿だけ見れば、王都での禍々しい噂通りと思えてしまう。でも、本当の公爵様は、どうなのだろうか。
「公爵様、ディアロッテ・サルグミンでございます。三日前にこちらに着きまして、公爵様のお戻りをお待ちしておりました」
さっきはとっさに怯んでしまったが、魔物の血も人の血も、私もある意味、見慣れていたはずだ。
精霊師として派遣された先で、魔物に傷つけられた人の流す鮮血を目にすることもあれば、人に傷つけられ、血飛沫を飛ばしながら荒れ狂う魔物に出くわすこともあったのだから。
「こんな姿ではなんだな。着替えてから改めて挨拶させてもらうことにする。またのちほど」
私はとりあえず自室に戻ってノルマンを待つことになった。
カーラに身支度をしてもらっていると、それがちょうど終わる頃、ノルマン自ら私の部屋まで迎えに来てくれた。
「ディアロッテ嬢。遠いところ、ご苦労だったな。急な話で迎えが間に合わず、申し訳なかった……」
そう言って頭を下げてくれたノルマンからは、通り一遍の社交辞令ではない、私を思いやる気持ちが垣間見えた。
「いえ、公爵様。どうぞ頭をお上げください。急がねばならなかったのは、私のほうの都合でしたし、ここまでの道中を護る騎士の方たちを遣わしてくれたではないですか。そのお心遣いに感謝しております」
気のきくカーラは部屋を出ていき、今、部屋にはノルマンと二人きり。
今の彼は、噂の異名とは程遠い、穏やかな好人物にしか見えない。
ノルマンも私の顔に覚えがあるのだろう、口元を悪戯っぽく緩めてみせた。
「先ほどの出迎えで、俺のあんな姿を見ても、あなたは平気な顔をしていたな。大したものだ。度胸があるのか? 感心したよ。……ところで、俺とまさか、初対面とは言わないよな?」
その言葉に、醜態をさらした記憶が蘇り、赤面する。
「あ、はい……。でも、先ほどホールで拝見するまで、公爵様があの時の方だとは思ってもいませんでした。あの時は私、酔っていましたものでお名前もうかがうことなく……」
「そうか……。ではあなたは、顔も知らない男のところへ嫁いでもかまわなかったと?」
「それは……モンタナ侯爵夫人からのお話に、間違いがあるはずないと信じていました。それに、政略による婚姻には、そういうことも珍しくはありませんから」
「確かにな」
「でも、これほどまで急に、私が押し掛けるようになってしまったのには、私のほうでの事情もありました。それについては、夫人がお手紙で公爵様にお伝えしたということでしたが、そういうことですので、私のほうが謝らないといけないですね」
「いや、その必要はない。……夫人がどんな人を探してくるのか、心配だったのは本心だが、あなただと聞いて、少しほっとしていたんだ。まったく知らない人ではなかったし……それにあなたは、意外に楽しい人のようだからな」
そう言ってノルマンは、思い出したかのように、ふっ、と口元を抑えて笑った。
あっ……楽しい?
聞き捨てならない気もしたが、私がしでかしたことだ。少なくともあの醜態を目にして、軽蔑されてはいないようだから、よしとしよう。
「そう思っていただけるのなら、私も安心しました」
想像していたのとは違う彼の人柄に触れ、緊張に張り詰めていた肩の力が抜ける。
この人のどこが冷血? 噂なんて、やっぱり当てにはならないものだ。
ノルマンは「続きはまた、晩餐の席で」と言い残して、部屋を出て行った。
その夜の晩餐はノルマンと二人きり、終始なごやかな中に終わった。
他愛のないおしゃべりから、お互いのことについて。
家族以外の異性と二人きりで、こんなにたくさん会話したのは初めてかもしれない。でも、少しも嫌な気がしなかったのだ。
ロベルとの会話は、いつも大して続かなかった。
会話を続けるため、私は無理して話題を探していた気がする。それなのに、いつだってロベルはどこか上の空。
パーティーで私と話している最中、他の人に声をかけられれば、何のためらう素振りもなく、そちらへ関心を向けてしまう。まるで私なんて、そこにいなかったかのように。
(私への興味なんて、まったくなかったってことなんだよね。……今さら気づくなんて)
「これからお互いのことを、時間をかけて知っていこう。俺は、あなたのことを知りたいと思っている。あなたもそうだと嬉しい。それにあなたには、この領地のことも知ってもらわないとな」
私のことを知りたい。そんなふうに言ってもらえたのは初めてだ。
ロベルにそんなことを言われたことがあっただろうか。ロベルと婚約していた時には、私がないがしろにされていると思うことばかりだった。ロベルと会話した後は、かえって寂しくなった記憶のほうが多い。
(この人となら、そんな気持ちにならずに済むのかな……)
王国法では、貴族の婚姻には婚約から結婚まで最低一年の猶予を設けることが定められている。この猶予期間は、意図的に画策された急な婚姻による、爵位や資産の簒奪への抑止力となるのだ。
一年後には正式な婚姻を結ぶことが許される。それまでの間、お互いを知るための時間を何度も重ねていけばいい……。
ノルマンとの会話は、とても心地いい時間だった。
「いい人、みたいだよね……」
晩餐を終えて部屋に戻ってからも、あの夜会の時、私の話を黙って聞いてくれたのと同じ、優しい温もりの余韻に浸りながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
◆◆◆
翌朝、ノルマンは早速、私を領地の視察に同行させてくれた。
以前の魔物の襲撃により、人々が被害を受けたエリアの復興具合を見に行くとのことだ。
その村へと向かう馬車の中で、ノルマンは公爵家が治める領地について説明してくれた。
「モントロー領は、王都や、他のどの領地よりも魔物の出現が多い。その原因は、国境に設けられている隣国との緩衝地帯である深い森と、魔石の埋蔵量が豊富な鉱山だ」
古来、その森には魔物が多く棲みついていた。森のあちこちに、瘴気の湧く亀裂が生じているからだと言われている。
亀裂から湧く瘴気は魔物を次々と生みだしていく。なので、その森に並の人間が立ち入ることは不可能となり、自然と互いの国を隔てる国境の盾となっていた。その森に蔓延る魔物は、一定の数を超えて縄張りを侵し合うようになると、一部が周辺の人の住む土地へと押し出されてくるのだ。
また、魔石は瘴気が長い年月をかけ、石化したもの。石化すれば瘴気の毒は抜けるが、当然、魔石の埋蔵量が多いほど、周辺に漂う瘴気も濃い。その瘴気から魔物が生じることもあるし、魔物を招き寄せることもある。
魔石鉱山は、モントロー領に莫大な富をもたらす主要な財源だ。よって、その鉱山に魔物が出現すれば、そこで働く労働力が失われ、鉱山は機能停止に陥る。それは必ず阻止しなければ、領内全体の死活問題となってしまう。
どれほどこの領では魔物の討伐が重要なのかということを、改めて理解する。
それなのに、なぜ?
私は以前から思っていた疑問を口にした。
「公爵様、なぜ、この領では、魔物の討伐に精霊を呼ばないのですか? 精霊師と精霊がいれば、公爵様が自ら危険を冒す必要もないはずですが」
「王都から来たあなたが、そう思うのも不思議はないな。しかし、それについては俺の私的な感情が最大の理由でもあるんだ……」
「それは、どのような……?」
詳しく聞きたいと思ったところで、馬車がガクンと速度を落とした。




