番外編1∶ゼファルドとタリシャ
「……お前、魔力持ちね? 行くあてがないなら、私と一緒に来るといいわ」
頭上から降るような声音。
ゼファルドは泥だらけの手で、ゆっくりと顔を上げた。
夕日を背に立つ龍族の女性――タリシャ。
濃紺に見える長い髪をかんざしで無造作にまとめ、金色の瞳がゼファルドを覗き込んでいる。
歳は……大人だが、どこか儚げで、手を伸ばせば触れられそうな不思議な存在感を持っていた。
(……綺麗だな)
しかし、ゼファルドはそんな言葉を素直に吐けるほど、平坦な人生を送ってきたわけではない。
「うっせー、ブス」
ゴンッ!
タリシャが笑顔のまま、軽く拳を落とす。
「いった!」
「まったく……初対面でそれはないでしょう?」
ゼファルドは頭を押さえながら、彼女を睨みつけた。
「お前みたいなのに拾われるほど落ちぶれてねーよ」
「じゃあ、そのまま野垂れ死ぬ?」
「……チッ」
ゼファルドは舌打ちしながら立ち上がった。
満身創痍の体で、これ以上意地を張るのは無理だ。
むしろ天涯孤独の孤児の身でここまでよく生き延びたと思う。
「ついておいで、チビすけ」
「チビじゃねぇ!」
タリシャは笑いながら、彼の先を歩いていった。
――こうして、ゼファルドとタリシャは出会った。
---
タリシャは、ゼファルドをエルヴァント王国の魔法院に預けた。何でもこの国にはレギオンとかいう知り合いの龍がいるらしい。
「じゃあね、ゼファルド。しっかり勉強しなさいよ?」
ふらりと現れては美しい金色の瞳で微笑む。
「こんにちは、ゼファルド。少し背が伸びたんじゃない?」
「……いつかおまえより大っきくなってやる」
「はいはい、楽しみにしてるわ。」
手をひらひらと振って、気まぐれに姿を消す。
そんなタリシャの態度に、幼いゼファルドは反発しながらも、心のどこかで彼女の訪れを待つようになった。
そして、歳月は流れてゆく。
青空の下、魔法院の中庭で剣術の模擬試合が行われている。
対戦相手は木刀を跳ね飛ばされ転がり、荒い息の中悔しげにゼファルドを見あげた。
「クソ!また負けた!お前、何回優勝すんだよ!」
その言葉にゼファルドは笑う。
彼は剣技においても魔法においても類まれな才覚を示し、魔法院の首席として頭角を現し始める。
ーーだが、彼の心は満たされなかった。
タリシャは変わらず時折、学舎を訪れた。
無邪気に笑い、からかい、頭を撫でる。
(……俺は、もう子供じゃない)
タリシャを待つ時間は、いつしか "保護者に対する依存" から "男としての焦燥" に変わっていった。
---
ゼファルドが十八歳になった春。
タリシャは、いつものようにふらりと現れた。
「魔法院を首席で卒業なんて、私も鼻が高いわ、ゼファルド」
「へぇ、じゃあ何か褒美をくれよ」
「いいわよ? 何が欲しいの?」
「……タリシャと同じ時間を生きたい」
その瞬間、タリシャの微笑みが ほんのわずかだけ 淡くなった。
「……それは駄目よ、ゼファルド」
(やっぱりな)
何度も聞いた答えだった。
龍であるタリシャと、人間の自分。
時間の流れが違う。
タリシャは、変わらない。
(なのに、俺だけが……)
成長し、老いていく。
「何でだよ」
ゼファルドは憤る。
タリシャは、静かに言った。
「私は、レギオンみたいに契約相手を縛りたくないのよ」
「……は?」
「お前は自由に生きたらいいわ」
「……っ!」
ゼファルドは拳を握る。
(違う。俺が欲しいのはそんな自由じゃない)
俺だけが時間に押し流されていくこの現実に、耐えられないんだ。
---
それから十年。
二十八歳になったゼファルドは、エルヴァントの筆頭魔導師となった。
エルヴァント王に重用され、未来を約束された存在。
その才能は国中に知れ渡り、「ゼファルド」 の名は広く知られるようになった。
だが――もう一つ彼を有名にしたものがある。
「タリシャ!! 俺と契約してくれ!」
「駄目よ、しないわ。ゼファルド」
このやりとりだった。
エルヴァントの城壁の上。
街を一望できる場所で、いつものように繰り返される問答。
ゼファルドはタリシャを睨む。
「なんでだよ。俺はお前と――」
「しないの」
「……っ!」
「私は、ゼファルドが契約なしでも生きていける人間になってほしいのよ」
タリシャは、優しく笑った。
ゼファルドは、奥歯を噛みしめた。
(……だったら、どうすれば)
この焦燥と執着を、どこにぶつければいい?
彼女に触れる方法はないのか?
契約を拒まれ続ける日々。
だが、それでもゼファルドは諦めなかった。
「……だったら、何か褒美をくれよ」
「またそれ?」
タリシャは笑う。
「いいわよ。何がいい?」
「……お前の時間を、少しでいいから俺にくれ」
「…………」
その時、タリシャは――ほんの少し、悲しそうに笑った。
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