第28話∶【経済戦争】琥珀の瞳に宿る謎
物価の値上がりが止まらない帝国の街。
ディアナはどこか落ち着かない気分で、ひとり街を歩いていた。
──ナディアは本当にすごい。
経済の話になると、まるで別人のように鋭くなる。
相手の表情、心すら見透かし、数手先を読んでみせる。
その姿は頼もしく、ディアナは心から尊敬していた。
……それなのに。
「……なんでモヤモヤしてるのよ、私」
ちょうどその時だった。
──商店街の一角が、何やら騒がしい。
「何かしら?」
人だかりができている。
近づいてみると、数人の客と店主が激しく口論していた。
「いい加減にしろよ! こんなに値上げしやがって!」
「だから仕方ないんだ! 物価が上がってるんだよ!」
言い争いは次第に激しくなり、ついには客の一人が荒々しく店主の襟を掴んだ。
「このままじゃ、食っていけねぇんだよ!」
「やめて!」
ディアナが思わず声を上げる。
しかし、その動きが客の注意を引いてしまった。
「……なんだ、お嬢様気取りか?」
不機嫌そうな目でディアナを睨む男。
ディアナは一歩下がったが、男は苛立ちをぶつけるように手を伸ばしてくる。
──その瞬間。
ふいに、ディアナの視界が遮られた。
スッと前に出た男の腕が、相手の手を静かに制する。
「おいおい、女の子に暴力はいけないな」
低く、穏やかながらも抑えた威圧感のある声。
ディアナと男の間に立ったのは、長い黒髪をゆるく束ねた若い男。
整った顔立ちとは裏腹に、その動きには無駄がない。
「はぁ……?」
不機嫌そうに眉をひそめる男。
だが、その腕はすでにしっかりと掴まれていた。
「悪いな。少し、落ち着こうか?」
力強い手のひらが、静かに相手の動きを封じる。
「っ……!」
男はひっ、と息を詰まらせ、怯えたように手を引っ込めた。
「……チッ」
舌打ちをして、男は背を向けると、そそくさと人混みに消えていった。
(……誰?)
ふと見上げた瞬間、男と視線が絡む──息が止まった。
赤みを帯びた琥珀色の瞳。
どこかで見た気がする、けれど思い出せない。
それは、自分の瞳と"限りなく近い何か"を映しているようで──。
その目が、一瞬だけ揺らいだ。悲しみの色を滲ませるように。
まるで、目の前の自分が「失われた何か」であるかのように。
でも、それも束の間。
男はすぐに優しく微笑んだ。
「大丈夫かい? 怪我はない?」
柔らかい声。
優しげな微笑み。
……なのに、ディアナの胸には、得体の知れないざわつきが残った。
「あ、ありがとう」
そうディアナが言った途端、男は驚いたように口元を押さえ、目を泳がせる。
「め、女神か!」
「は?」
ディアナは思わず眉をひそめる。
男は感激したように胸に手を当て、真剣な表情で続けた。
「ごめんよ、こんな美しい声を聞いたのは初めてで……! ああ、俺は今、この帝国で奇跡を見ているのでは……?」
「……新手のナンパ?」
ディアナはじわりと後ずさる。
「いやいや、違う! ナンパじゃない! これは純粋な感動だから!」
男は必死に手を振った。
そして、ふと気づいたようにすっと背筋を伸ばし、優雅に一礼する。
「申し遅れた。俺はルキフェルド。通りすがりの旅人だ」
目の前の男は、一見するとただの旅人だ。だが、どこか違う。鍛え上げられた体、洗練された顔立ち。そして、妙に流暢な口調――
(……ちょっと……いや、かなり変な人かも)
それでも、彼の瞳が一瞬だけ悲しげに揺れたことが、なぜか頭から離れなかった
ディアナはじっと男を見つめた。
その間も、ルキフェルドはニコニコと彼女を見つめ続けている。
どこか懐かしさを滲ませたような、切なげな瞳で。
「美しい人、君の名前を聞いても?」
「ディアナよ」
聞いた途端、ルキフェルドは拳を握りしめ呟く。
「尊い……ッ!!」
「はぁ?」
「……ディアナ、君のことを姫君と呼んでも?」
「遠慮するわ……」
「ならばせめてディアナと呼ばせておくれ」
男は微笑んだまま、さらに何かを言いたげに口を開きかけたが──
その瞬間、どこかで鐘の音が響いた。
ディアナが顔を上げると、日が傾きかけている。
「……そろそろ帰らないと」
「ならば、俺が送ろう」
「結構よ」
「そんな、薄情な……」
ルキフェルドは芝居がかった表情で肩を落とした。
「貴方のことは存じませんが、助けてくれたことには感謝します。ありがとう」
ディアナがそう言うと、ルキフェルドは驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに微笑んだ。
「いえいえ、光栄です」
そう言って、彼は再び優雅に一礼する。
「では、またお会いしましょう、姫君」
「だから、その呼び方やめてってば!」
ディアナがそう言う頃には、ルキフェルドの姿はすでに人混みの向こうに消えていた。
(……変な人)
そう思いながらも、どこか不思議な感覚が胸に残る。
──彼の瞳が、一瞬だけ悲しげに揺れたこと。
そして、なぜか懐かしさを感じたこと。
まるで、ずっと前に失くした何かに出会ったような──そんな気がした。
その理由を、ディアナはまだ知らない。
――――
帝国の宮殿の一室。
窓の外には、闇に沈む帝都の街並みが広がっている。
壮麗な宮殿に囲まれていながらも、レオンはどこか冷えた気配を感じていた。
この国は、何かが腐っている。
表向きは華やかだが、その下には権力と陰謀が渦巻いている。
帝国の貴族たちは金と権力を握りしめ、腐敗を隠そうともしない。
それは、ほんの些細な違和感からでも分かる。
そんなことを考えていた時だった。
「……!」
反射的に剣に手をかけた。だが、すぐに力を抜く。
青白い光が、静かに宙を舞っていた──
小さな鳥が、静かに羽ばたきながらこちらへ向かってくるのが見えた。
魔法の伝令鳥だ。
「キースか」
レオンは目を細め、鳥を手に取るように軽く手を差し伸べた。
すると、そのくちばしがゆっくりと開き――
「レオン、帝国の金貨が改ざんされてる。含有量が低い金貨が市場に出回ってる。詳細は後で話す。動くな」
キースの低い声が、静かに耳元へ響いた。
「……」
レオンはしばし無言で天井を見上げる。
鳥が消えた後も、キースの言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。
帝国は、やはり腐っている。
だが、それは悪いことではない。
腐敗は脆さを生む。
そして、脆さは、付け入る隙となる――。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。
「……だが、利用できるものは利用する」
ゆっくりと窓を閉めながら、レオンはすでに次の一手を考えていた。
この時は、まだ――
すべての歯車が大きく動き出すことを、彼自身も知らなかった。
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