チヨコレイトウォーズ(後編)
□ ■ □
バレンタインデー前日(Mon)
今年のバレンタインデーは火曜にあるらしく世間は平日。
社会人の皆さんは普通に勤務があるし、学生の皆さんは普通に授業がある。バレンタインという行事がなければ至って平和な平日だ。この日が祝日になっていたら、巷の男達はここぞと街に出かける or 家に引き篭もるだろう。
去年までの俺なら確実に後者だ。モテ男じゃなかったし、男女のやり取りを見ても癪に障るだけだし。
ははっ、その俺がまさか癪に障らせる立ち位置になっちゃうなんて笑い種だよな。ボウルの中のチョコレートを木ベラで解しながら、俺は肩を竦める。
さて今、俺はナニをしているでしょうか?
答え、湯せんをしています。チョコを溶かしています。バレンタインのためにチョコレートをこしらえています。
今の時代は便利だよな。
チョコレート製菓のHPを開けば、簡単にお手軽レシピが出てくるんだぜ?
俺、図書室で鈴理先輩の好きなお菓子をサーチした後、念のために学校のPCでレシピを入手。あとは申し訳なく親に小遣いを貰って(両親は俺の我が儘に甘いからすぐ小遣いをくれる)、前日にバレンタインチョコ作りのための材料を購入。
帰宅して早々お菓子作りに没頭している。
ナニが悲しくて男の俺がバレンタインのチョコを作ってるんだか。
苦笑いを零しつつ、俺は印刷したレシピを眺める。
「えーっと、お次は……、んートリュフってメンドクサイな。一番材料費が抑えられるし、沢山の量が作れるから、これにしたものの、手間がやたら掛かる」
しかも多めに作らないといけないもんだから、ちょっと出費が痛手。
いやケチんないよ、ケチんないけど、節約心が悲鳴を上げているわけだ。先輩の前じゃ口が裂けても言えないし、此処で愚痴っとかないとな。
なるべく百円均一で材料を揃えたから安いっちゃ安いんだけどさ。
あ、ちなみに百円均一で食料品は買わない方がいいよ。絶対スーパーの方が安いから。文具も安い場合があるから、百円均一は商品を見極めて買うべし。電池や接着剤も百円均一では買わない方がいいな。電池は長持ちしないし、接着剤はナニが入っているか分からないし。
対照的に電卓や老眼鏡とかはお得だから、百円均一で買ってもいいって母さんが言ってたなぁ。
お次は洋酒を加える、ね。
はいはい、洋酒を加える、と。
料理やお菓子作りは嫌いじゃない。母さんの手伝いをしているから、あらかたのことはできるし。揚げ物は苦手だけど、こうして何かを作ることは嫌いじゃないよ。
なにより人に食べてもらえると思うと、ちょっと嬉しいよな。
料理を作ってあげると両親にも喜んでもらえるし、家庭科は大好きだったな。得意科目だったよ。バレンタインチョコは両親にも作るつもりだ。日頃お世話になっているしさ。
よし、洋酒を加えたし、バットに移して、冷蔵庫で30分冷やして……、それが終わったらラップで丸く形作ってもっかい1時間冷やし固める。
最後はラップをはずして丸め直して、粉糖やココアパウダー、ミックススプレーをそれぞれまぶして、よしよし出来上がり。
「ふーっ。手間は掛かったけど、見映えは上出来だろ。これをアルミカップで飾って、スーパーで売っていた十枚88円の飾り袋に入れる。んでもって泣く泣く百円均一で買った本命用の金のリボンと友チョコ用の銀のリボンでラッピング。パっと見で本命と友チョコを分かるようにし、先輩のチョコは一際豪華に。完璧だ」
ドケチ……、じゃない、節約心を弁えている俺がよくぞここまでチョコレートに対してお金をかけた。
最初レシピを読んだ時、「洋酒? え、お酒いるの?」なんでそんな洒落たことをせねばならないのですか? とか思ったよ。買うのにめっちゃ躊躇ったよ。
だけど友チョコ本命チョコ俺の貞操のために、ここはケチっちゃあかんと思いまして。
よしよし。そいじゃあ、あとはラッピングだな。えーっと思った以上に量が出来上がってしまったので、ひとり六個ずつ。粉糖、ココアパウダー、ミックススプレーの三種類を二個ずつ入れておきまして。……先輩には別個で作ったハートのチョコレートを入れる、と。
嗚呼、俺、凝り性なのかも。
幾ら貞操のためだとはいえ、ハートのチョコを別件で作っておくなんて。
はぁ、乙女かよ俺。あ、違った、乙男か。
「うん、こんなもんか。友チョコは全員平等にしておいて、先輩のチョコには一言メッセージカードを入れておく。ちなみにこれは文具店で仕入れた約百円もののカード、カッコ三枚入り税抜き95円也カッコ閉じる。百円均一で買うより文具店で買う方がお得なこともある。しかも文具店の方が種類が豊富で可愛いときた。百円均一ばかり頼ってちゃ駄目ってことだな」
ということで早速メッセージカード作り開始。
三枚入りだから、先輩と両親に手紙を書いておこう。両親には各々『いつもありがとう』にしておこうかな。他にメッセージも思いつかないし、両親にはいつも感謝の言葉しか出ないから。
先輩には……、なんて書こうか。大好きとか書いておくべきか?
いやいやいや、ちょっとそこまでオトメチックにできないぞ。
やっぱここは『これからも末永く宜しくお願いします』かな。
「……、末永くは余計だったかも。省くべきだったかな」
俺は青ペンで書かれたメッセージカードを翳して眉根を寄せる。
遺憾なことに一発書きしちゃったから、書き直しする余地はない。修正液を使うにも、なんだか見映えが悪くなりそうだし。
「笑いのネタにされそうだけど」
まあ、しょうがない。これでいこう。いっそハートマークでも付けて笑いを取ろうか? ……やめておこう、自滅しそうだ。
こうして出来上がった本命チョコと友チョコに、俺は清々しいまでの達成感を抱く。
早速その日の夜、ちょっち早いけど父さんと母さんにバレンタインチョコを手渡した。
照れくささもあったけどさ、やっぱ俺には大事な人達だから。バレンタインデーが恋人の日と称されようとプレゼントしたかった。
俺からのサプライズに両親は最初こそ驚いていたけど、
「まあまあ。今年は空さんから頂けるなんて。裕作さん、嬉しいですね」
「ああ。息子にバレンタインチョコを貰えるなんてな。こりゃあ、お返しを期待してもらわないと」
凄く喜んでくれたよ。
息子として嬉しくなったのは当然の気持ちだよな。
照れ笑いを浮かべる俺に、「私もですね」用意していたんですよ、と母さんは俺と父さんにチョコを手渡してきた。
本当は明日に渡そうと思ったけれど、息子からサプライズがあった。
便乗しなければ、と母さんは綻んでくる。
可愛らしい星柄の包装紙に包まれたバレンタインチョコ。中身を開けばコンビニで売ってそうな、大きハート型のチョコレートだった。
「空さんのように凝ってはいないですけれど、私からの気持ちです」
「嬉しいよ。ありがとう、母さん。おっきいチョコだね、大事に食べるよ」
「久仁子に空。二人にプレゼントしてもらって、俺は幸せ者だな。職場は男ばかりだから、こういった行事にも疎遠なんだよなぁ」
この光景はバレンタインデーっていうよりも、ほんわかクリスマスパーティーを開いている家族図だと思う。
それでも俺は家族と和気藹々と過ごせるなら、ちっとも構わない。家族と談笑できる契機になるなら、バレンタインも悪くはないと思うよ。
「それにしても空。今年はどうしてチョコを作ったんだい?」
不意に父さんが疑問を投げてきた。
「それはね」彼女に作ろうと思ったんだよ、と言い掛けて俺は、ハタッと明日の地獄図を思い浮かべてしまう。
ナニを能天気にバレンタインの幸せを噛み締めているんだろう。
おぉおおお俺、明日は地獄だぞ! 御堂先輩もきっと参戦してくッ……、うわぁああああ!
そういえば俺、先輩にバレンタイデーはチョコチューするってほざいたんだっけ!
今からちゃんと逃げ切れる対策を考えておかないと、お、俺、食われる! 食われちまう! ……いやでも逃げられるか? あの攻め女二人から。にげ、ら、れないか、も。
見る見る緒青褪める俺に父さんと母さんはキョトン顔。一方の息子は、血相を変えて頭を抱えた。
「あ、明日……っ、おぉお俺……、ウワァアアッ! ごめんよ父さん母さんっ、俺はイイ息子にはなれなかったっ! 明日で俺は終わるっ、食べられるんだ!」
「そ、空?! 急にどうしたんだっ……、空はイイ息子だぞ! もしかして学校でイジメられていたりしているのかっ?!」
「お……、お金持ちさんにタカられているんじゃ! 怖い先輩にカツアゲでもされているんですか、空さん! 食べられるってっ、食べられるって!」
親子揃って家族馬鹿なもんだから、その日の夜、和やかなムードが一変。
非常に騒々しい夜になったことは余談にしておく。
はてさて。
悪夢に魘されてあまり寝れなかった俺は両親の心配を甘受しつつ、チョコを紙袋に詰め込んでいざ戦場という名の学校へ。
今日がバレンタインデーということもあり登校中、擦れ違った生徒たちの会話からはチラホラチョコの話題が出ていたり出ていなかったり。男共は気鬱そうだな。というかダルそう。
最近の女子は友チョコばっからしいから、男がチョコをもらえる確率も下がっているとかなんとか。
俺なんてチョコ持参なんだけどさ!
教室に向かうと早速フライト兄弟と顔を合わせた。
今日はバッチリか、心配と応援の二つを向けられて、俺は苦笑い。
どうにか乗り切れたらいいな、と肩を竦めて紙袋を机横のフックに掛ける。通学鞄から本日の授業道具を取り出しながら、「二人の分あるから」取っていって、と指示を促した。
早速袋を取っていく二人は中身を見るや否や、「手作りっぽい」とご感想を述べてくれる。
「空、頑張ったな。超乙女」
「言わないでくれよ。これでも自分の身を守るために精一杯頑張ったんだから」
「だけど僕は純粋に嬉しいよ。本多みたいに? 毎年チョコが貰える身分でもないからね! 友チョコでも嬉しいよ、僕は!」
どうやらアジくんはもうチョコを頂戴しているらしい。
本人曰く、靴箱に入っていたとか。
うっわぁあ、ベタな展開だけど、俺、そういうシチュエーションにあったことないや。羨ましいぞ、アジくん!
エビくんの嫌味を誤魔化し笑いで受け流すアジくんは、「そうだ」今日イチゴに会うんだぜ、放課後一緒に遊ばないか、と俺を誘ってきた。チョコだけ渡して逃げることもできるじゃんか、アジくんの案に俺は惹かれてしまう。
できることならそうしたいな。
すっごく便乗したいところだけど、んー……、後が怖いしな。
「やめとくよ。鈴理先輩、もしかしたら今日のためにスケジュール空けてるかもしれないし。……ラブホに行くとか言わないといいけど」
「心中お察しするよ、空くん」
「あ、そうだアジくん。イチゴくんに会うなら、この友チョコをあいつに渡してくれないか? 張り切ったらさ、作りすぎちゃって人数分以上あるんだよね。余ったら俺が食べる予定だったし」
「リョーカイ」アジくんは紙袋からまた一つ、袋を抜き取ってあいつに渡しておくと男前に一笑。
「……本多」エビくんが物言いたげな顔を作っていたけど、チャイムが鳴ったから各々自分の席へ着席。
朝のSHRでバレンタインチョコについての持込等々注意を促されたけれど、まあ、誰も真面目には聞いていなかったという。
昼休みになると、俺は紙袋と弁当を持って学食堂に向かった。
そこにはもうご機嫌もご機嫌の鈴理先輩がいて、「そーら!」チョコレートプレイだぞ、開口一番に破廉恥発言。
周囲の注目を浴びてしまった俺は、頬を赤らめてその視線を振り払うしかない。
取り敢えず不謹慎な発言は注意しておいて、俺は彼女と一緒に席を陣取った。後から俺と仲良くしてくれている先輩達も来て一緒にご飯。
早速鈴理先輩にチョコを渡そうと思ったんだけど。
「あたしは放課後に貰う。ムードを大切にしたいからな。そこであーんなことやこーんなことを」
「……、放課後っすね。分かりました」
ご機嫌の鈴理先輩は俺の目論見どおり、作りすぎちゃったから余りは友チョコ大作戦を寛大に受け入れてくれた。
相手が宇津木先輩達だからかもしれない。
俺はまず川島先輩と宇津木先輩に、「友チョコです」味は保障しませんけど、とプレゼント。
「豊福やるじゃん。へえ、手作りっぽいねぇ、鈴理、アンタも此処で貰っておいたら? 食後に食えるよ」
「早苗。あたしはチョコと一緒に空を頂きたいのだ。よって、あたしは放課後にチョコを貰うぞ!」
……、嗚呼、放課後の地獄図が想像できて怖い。
ガックシ肩を落とす俺は次に、「大雅先輩」これどうぞ、と友チョコを差し出す。
まさか自分にまでくると思わなかったのか、「はあ?」と間の抜けた声を出してくださった。次いで、「俺。男だぞ」微妙にヤな顔をされる。
だーれも宇津木ワールドを展開しようとは思わないっすよ。友チョコとゆーとるじゃないっすか。
「いつも大雅先輩に、(一応だけど)お世話になってますから。まあ、大雅先輩……、美形ですし、チョコを沢山貰っているでしょうからイラナイとは思いますけど」
「豊福の手作りだろ? 腹壊さないのか?」
それはどういう意味っすか。
そりゃあ、安価な材料は使ってますけど? けどね? 腹は壊さないっすよ、多分。
「んー、やっぱり庶民の手作りチョコはお口に合わないっすかね? じゃあ、俺が持って帰って食べることにしますっす」
差し出したチョコを引いて紙袋に仕舞う、前に、大雅先輩から取り上げられた。
「へ?」目を丸くする俺に、「誰も貰わないとは言ってねぇだろ」フンと鼻を鳴らして大雅先輩はさっさとチョコを自分の手元に置いてしまう。
「てめぇがダチっつーから、しょーがなく貰ってやる。べっつ俺は貰って嬉しいとかどうとかねぇけど、テメェがダチとか言うから、先輩としてもらってやる。いいな、感謝しろよ」
「は…、はぁ…」
なんでそんなに嬉しそうなんっすか、大雅先輩。
言ってることと態度が正反対っすよ。やっぱりお友達少ないんでしょう? そうなんでしょう?
心底呆れていると、「素敵」素直じゃない人萌えですわね、と宇津木先輩が頬を赤らめていたりいなかったり。
……やめて下さいね、宇津木先輩。俺には鈴理先輩がいますんで。
「しっかし、こんなことならチョコを作ってくるんだったなぁ。あちゃー失敗した。ごめん、豊福。二階堂。うち、鈴理と百合子の分しか持って来てないんだわ」
川島先輩が両手を合わせてくる。
いいんっすよ。別に狙っていたわけじゃないんですし。
そう言葉を返しても、「ホワイトデーで返すから」と律儀に言われてしまう。
うーん、ほんと、そういうことのために作ったんじゃないのになぁ。
寧ろ俺が作った理由は貞操を守るためである、まる!
宇津木先輩も、「チョコを用意はしていたのですけれど」でも失敗して持ってこれなかったんですの、と苦笑を零す。
「今年は手作りと思って、皆の分を作ろうとしたんですよ。だけど、失敗してしまって。わたくし、お料理やお菓子作りは好きなのですけれど、失敗の連続ですの。ナニが駄目だったのでしょう。昨日、チョコレートを湯せんしたんですが……、なんだか分離っぽくなってしまいまして」
「あの、まさか直接お湯に入れてませんっすよね? チョコレート」
「え?」「え゛?」驚きの声を上げる宇津木先輩に、表情を引き攣らせる俺。
ヤっちまったんだな、この人。チョコレートを直接お湯にぶち込むというカオスなことをしたんだな、この人。
「百合子ってそういう意味じゃ、調理の天才だもんねぇ」
苦笑いを零す川島先輩。勿論、今のは皮肉だ。
失敗は多いけれど料理は大好きなんだと主張する宇津木先輩は、「楓さんや大雅さんはいつも」美味しそうに食べてくれますのよ、と自分の作った料理には自信があるのだと満面の笑顔を零す。
「食わないと落ち込むだろうよ」
小さな溜息をつく大雅先輩の様子からして、やせ我慢は一目瞭然。苦労してるんだな、俺様坊ちゃんも。
「鈴理は? あんた、豊福にやらないの?」
「あたしは王子ポジションだからな。ホワイトデーに返すと決まっているのだ。だが……、まあ、一応こういうものを用意している。空、あんた苺が大好きだろ?」
え、もしかして持って来てくれているんっすか。
大好物の名を耳にし、パァッと目を輝かせる俺の前に苺の入った器を置く鈴理先輩。
「さあ食え」と仰ってくれるので、早速苺を摘まんでイタダキマス。綺麗にヘタまで取ってくれ「おっと、忘れていた」
「空、ちょっと待ってくれ」
と、言われて俺は苺を摘まんだまま静止。
何を忘れていたのだと彼女に視線を流す。
もしかして爪楊枝で食べろとご要望でもあるのだろうか? 別段俺は気にしないけど、もし彼女が気にするなら爪楊枝で食べるけど。なんとなく苺を戻さないといけない気がしてそっと苺を戻す。
一方、鈴理先輩はイソイソとナニやら容器を取り出し、「バレンタインだからな」練乳ではないが、こういう食べ方もありだろ、とチョコレートソースを苺にかけた。うわぁ、なんて贅沢な食べ方。
目を輝かせる彼氏に一笑する先輩は、そのまま俺の手を取って人差し指にびやっとチョコレートソースっ、て、鈴理先輩?!
「ちょぉおお、なんで俺にまで!」
「おーっと間違えた」
「うそでしょそれ!」
「仕方が無い。勿体ないからこれはあたしが」
「あたしがってっ、ウワァアア! 先輩っ、指っ、ゆびぃいいいい!」
ギャァアアアアっ!!
食われてる食われてる食われてるっ、俺の人差し指ぃいいい!
「せ、先輩ィイイ!」
指放して下さいよっ、こんなところでなんっちゅーことをしてくれるんっすか! 目の前には先輩方がいらっしゃるというのにぃいい!
「こふぇがぞふにひふしょこふぇーちとぷふぇいふぁ(これが俗に言うチョコレートプレイだ)」
「な、なに言ってるか分からないっすけど、何が言いたいことは分かりますっすっ! 指をお放しなさいっす、先輩!」
「あふぁしにめいふぇいしたふぁ?(あたしに命令したな?)」
「な……、なんっすか。その威圧的な眼は……、まさかあたし様を発揮しているんじゃ」
サッとチョコレートソースを構える鈴理先輩は、俺の指を銜えたまま、空いた手を引っ掴んできた。
こ、この人は! 勿体無い食べ方をしようとしたってそうは問屋が卸しませんからね!
「駄目っすよ!」
容器を引っ掴んで没収する。
脹れ面を作る鈴理先輩は、生意気だぞオーラを醸し出しつつ、まだ指を銜えてらっしゃる。いい加減に放しなさいっす!
「先輩!」「やふぁ」「ヤダじゃないっす!」「むぅ」「っ、アイッデー! か、噛みましたね!」「うふぁいふぉ」「ウマイ?! 俺は食い物じゃないっす!」「むむぅ」「ウギャァアア! な、舐めっ、舐めてますねギャァアア!」
誰かのこの暴走お嬢様を止めてやって下さい!
なんで本当に肉食獣が草食獣を食ってるような図になってるんっすか! アイデデッ、だから噛まないで下さいっ!
なに、指を噛まれたこういう場面では、「痛くない」とか言うべき?
某風の谷の姫さまみたいに、猛獣に対して俺も「痛くない」とか言うべきなの?! そしたら指を舐めるだけの行為になるのか! いや舐める行為も俺的には指を解放して欲しいんですけどね!
てんやわんやなっている俺の傍では、「早速一個頂き」川島先輩がトリュフのリボンを解き、「あら、美味しいですわ」手作りという味ですね、宇津木先輩がトリュフをもぐもぐ。「あ。意外とうめぇ」大雅先輩がトリュフを嚥下。
各々トリュフを美味しそうに食べて下さっている。
それは嬉しいんですけど、誰か、誰か……っ、俺を助けてくれる勇者はいないんっすか!
「鈴理さん。空さん。仲良しですわね」
とか、宇津木先輩はゆーてくださるけど、いや俺はそんなお慰めのお言葉はいらないっす!
結局誰一人俺を助けてくれなかったから、俺は自力で先輩の攻めから逃げたという……、こんなんで放課後、大丈夫かな。
「ウワァアアアア! 隊長ぉおおっ、バレンタインに殺意を覚える輩が破廉恥行為をぉおおお! 羨ましいっ、自分もアイドルに噛まれたいですぅう!」
「抑えろ高間。放課後っ、すべては放課後だ!」
まさかこの時、学食堂の窓からあいつ等が俺達を監視していたなんて、知る由もない。
□
放課後―。
さあ、待ちに待った放課後!
俺、豊福空はこれから始まるハッピーバレンタインイベントに超ドキドキのウキウキ!
うっかりピンクの妄想をしてしまうほど待ち望んでいたこの時間に、俺は王子で男前……じゃなかった。女前なあの方とラブラブランデブーをするの。どういう時間を過ごそうかな、キャピカッコハートマークカッコ閉じる。
………。
と、悟りを開いたかのようにハイテンションになれたら、俺も受け身男として幸せな毎日を送れているに違いないだろう。
だがしかし、残念な事にリアル豊福空はまさしく曇天のようにローテンション極まりなかった。
なんでかって理由は言わずもがなだろう。
昼休みの騒動を考えると、彼女はイベントに便乗していつも以上に過激な事をしでかしてくれるに違いない。
チョコレートプレイ(指のみ)で満足するような肉食お嬢様だったら俺だって苦労していないんだよ。苦労は。
きっと習い事を休んでまで、ゆっくり時間を作り、今頃は俺とのランデブー計画に妄想ピンク(18禁)をして下さっていることだろう。
有り難いよな、ほんと。愛され過ぎて、俺は泣きそうだよ。更に泣きたいといえば、そう、忘れてはならない御堂先輩の存在。彼女は必ず、今日俺の通う私立エレガンス学院に現れる。
断言できるぞ。プリンセスは必ず現れる。
と、なれば……、攻め女は鉢合わせ、俺はピンチ、互いに闘争心を燃やして更に俺ピンチな展開が予想される。
さてどうしたものか。困った、困ったぞ。
友チョコで予防線は張れるけど、それを突破された場合のことまでは考えていない。怖くて考えたくなかったんだよ。
御堂先輩が友チョコを貰って、「ありがとう。それじゃあ」で退散してくれる性格だったらいいんだけど。
十中八九、なにかアクションを起こしてくるに違いない。お付き合い上。
はぁあ……、どうしよう。
いざ現実が目前に迫ってきたら、居ても立ってもいられないくらい不安が込み上げてくる。
俺は彼女に食われるんだろうか。それともプリンセスとあれよあれよと婚約してしまうんだろうか。はたまた神様が味方してくれて、俺は逃げ切れたり? い、胃が痛くなってきた。切に。
(どうしよう。こんなことならアジくんの誘いに便乗すべきだったかもしれない)
いやでも、そんなことをしていたら、このイベントを楽しみにしていた鈴理先輩に悪いしな。
鈴理先輩の行動は問題だけど、純粋に俺を好いてのことではあるし。男キラーだけど御堂先輩も友達としては、凄くいい人だしな。逃げても駄目だよな、ここは。
「踏ん張りどころか」
重い溜息をつき、俺は通学鞄に荷物を詰め込むと肩に掛けて紙袋を持つ。
フライト兄弟からは頑張れと声援を受けたけど、なんだかなぁ。逃げ切れる気がしないんだよな、あの二人からは。俺も受身型だから、どうしても攻められると流される駄目なところがあるし。
「いやでも、俺は健全を貫くぞ。そのためのチョコだろ。手作りチョコだろ」
そういえば、後何個残っているんだろ?
頭で計算してみると……、確かチョコは全部で11個。
本命チョコを抜かせば、友チョコをあげたのはアジくん。エビくん。大雅先輩。宇津木先輩。川島先輩。そしてイチゴくんの6人か。念のために友チョコは10個作ったんだ。つまり御堂先輩のを抜かして残りは3つ。
余っちゃうな。友チョコ分も鈴理先輩にあげようかな。中身は一緒だけど。残りは俺が食べる。……あ、運転手の田中さんにあげようか。よく乗せてってもらってるし。
とにかく鈴理先輩のいる教室に行かないとな。
まずは彼女に本命チョコを渡して、それから御堂先輩のことを考えよう。きっと御堂先輩のことだから、正門付近で待ち構えているに違いないよな。それともまだ来ていなかった「豊福空ァアア!」
ビクッ―!
廊下に響き渡る大喝破。
聞き覚えのある声に身を竦めた瞬間、右手に持っていた紙袋を真横から強奪される。
「あ!」俺は盗られた紙袋に血相を変える。
ちょ、ちょぉおお、それは鈴理先輩と御堂先輩のために作ったチョコがっ、ど、泥棒ー!
慌てて盗っ人の後を追い駆ける。盗っ人の招待は鈴理先輩の親衛隊副隊長・高間 裕次郎だ。
凄まじいスピードで引っ手繰りをする技術に目を瞠ったけど、それよりもチョコ、チョコォオオ! それがないと俺の貞操は危機に曝されるんっすよぉおお!
「高間先輩ぃいい! それ返して下さいっす!」
「煩い煩い煩いっ、この破廉恥男ぉおおお! アイドルに舐められていた挙句、噛まれやがって!」
つ、強く反論できない上にどっから見ていたんっすか!
いやでも俺だって被害者っすからね! 俺はいつだって健全な関係を保ちたい男の子っす!
階段を駆け下りる高間先輩の後を追って三階から二階のフロアにやって来た俺。
学年のないそのフロアの廊下を走っていると、高間先輩が一つの教室に飛び込んだ。多分空き教室だろう、俺も急いで教室に飛び込む。
嗚呼、この時、俺が冷静であれば罠だってことくらい余裕で気付けていただろう。
けれども、慌てていた俺はチョコ奪還で頭が一杯。あっちゅう間に教室で待ち伏せていた他の親衛隊達に取り押さえられたという。ははっ、ダセェ!
「ちょ。放せっす!」
焦る俺なんて気にも留めず、床に押し倒すと後ろで腕を捻り、持参していたガムテープで手首をグールグル。
何重にも巻いてもろ手の自由を奪ってきた。
ま、マジかよ!
本格的な拉致もしくはリンチ体勢じゃないか!
ドッと冷汗を流す俺を余所に、「引っ掛かったな1年C組豊福空!」目前に立ってきたのは親衛隊隊長と副隊長。
毎度の事ながらあんた等もよくやるっすね。いい加減に俺と鈴理先輩の仲を見守って欲しいところなんだけど。
憮然とした眼を向けつつ、どうにか自力で俺は上体を起こしてその場で胡坐を掻く。
「で?」
俺に何の用事っすか、眉根をつり上げて質問。
すると高間先輩が余裕ぶっこいてるんじゃねえぞ、とギャンギャン吠えてきた。吠えるのはいいっすけど、唾は飛ばさないで下さい。ばっちぃ!
副隊長を宥めつつ、隊長・柳先輩が俺を見据えて「悔しいだろ」君はまた罠に引っ掛かったのだから、と鼻を天狗にした。
ほーんと、悔しいっすね。
どーしてこんな古典的な罠に引っ掛かっちまったんだろう、俺。
「あのー、俺、放課後は予定があるんで……できるだけ手短がいいんっすけど」
「た、隊長ぉおお! こいつ、ノロけてきやがりましたよ! あ、アイドルと、アイドルと過ごすつもりなんですよぉおお! ウワァアアアア嫌味だっ、バレンタインの悲劇だぁああああ! 自分、女の子と過ごすどころかチョコすら貰ってっ、ウワァアア!」
「高間! 胸は貸すぞ!」
「隊長ぉおお!」がっしり抱擁し合う野郎のむさ苦しい友情に、俺はゲンナリ。
これが本当の宇津木ワールドかもしれないなぁ。惜しみなく抱擁やら慰めやらあれやらこれやら。
だけど宇津木先輩、ちっとも二人でカップリングを作ってくれない……、なんでもかんでも野郎がじゃれ合えばいいってもんじゃないのかもな。
グズグズと鼻を啜る高間先輩の肩に手を置きつつ、「君は非情な男だな!」今のは傷口に唐辛子を塗る発言だ、柳先輩が盛大に罵ってくる。それはごめんなさいっす。謝るんで、解放してくれないっすかね?
しかーし俺の願いは儚くも散ってしまう。
ちっとも解放してくれる素振りを見せてくれない親衛隊は、俺から奪った手作りチョコを一袋取り出し、「目的はこれだ」と言い放った。
もしやそれ、鈴理先輩の手作りとか思ってるんじゃなかろうな? だったら残念だけど、それは俺の手作りっすよ。野郎の手作りチョコっす。
「俺の手作りチョコを奪っても、全然価値ないと思うっすよ」
「そんなの百も承知だぞ。けどな、君はこれをアイドルにプレゼントするつもりだろ! 君のような男が鈴理くんに手作りをプレゼントっ、ケッタイな!」
彼女が腹でも壊したらどーする!
失礼な事をほざいてくれる柳先輩は、「したがってこれを」この場で食べてやると宣言しやがった。
そうすれば俺が鈴理先輩とラブラブする口実も出来なくなる、とか言ってくれるけど、じょ、ジョーダンじゃない!
俺は血相を変える。
それはただのチョコじゃないんっすよ!
俺の貞操を守るための……、ちょ、本命チョコは食べないで下さいよ!
一応愛情が籠もってっ…、あと友チョコは3袋まで食べてOKっすけど、4袋目は駄目っすからねぇえ! 御堂先輩の分も、あ、あぁあああ! 友チョコの袋っ、いっぺんに開けやがりましたね!
「お、お願いっすから…、友チョコは1袋だけは残しておいて欲しいっす! あと本命チョコもっ!」
必死こいて頼み込む俺に悪魔たちはニンマリ。
銀のリボンを床に放ると、無情にもトリュフを頬張って下さった。
そ、そんな……、み、御堂先輩対策っ、俺の危機回避! 予防線チョコが!
「フフン。どうだ豊福空、いつもほろ苦い気持ちを味わってるこっちの身が分かったか!」
ががーんとショックを受けている俺を愉快そうに見つめてくる高間先輩。
ガタブルで身を震わせる俺は、「どうしてくれるんっすか!」マジ泣き一歩手前で親衛隊達に責任取って下さいっすよ! と、訴えた。
「ザマァ」ツーンと腕を組む高間先輩に、「公共の場でイチャついている君が悪いんだぞ」と正当性を主張する柳先輩。それに相槌を打つお仲間達。
だけど俺の知ったこっちゃない。
うわぁあん、どうしよぉおお! 嘆きに嘆いて、微妙な悔し泣きを流す。
「数日間、色々対策を練って……、どうにか辿り着いた危機回避のチョコを。非情にも食っちまうなんて。食っちまうなんて。これで俺、オワタ。彼女の怒りは買うだろうし……、あの方からは正式に婚約されちまうっ」
「何を一人でブツブツと」
「先輩方が食っちまったチョコの中に、御堂先輩のチョコが入っていたんっすよぉおおお!」
御堂先輩。
その人物名を聞いた瞬間、親衛隊に衝撃が走る。
何故か、彼等は御堂先輩をすこぶる恐れているんだ。
以前、親衛隊は俺にSMプレイをしようとしたんだけど、駆けつけてくれた御堂先輩が彼等をコテンパンのフライパンにして。極め付けに自分と俺の仲を応援すよう団まで作らせたという。
御堂先輩は基本的に男に容赦がない。もし自分の分のチョコを親衛隊が食べたなんて知ったら……、親衛隊はサァーッと青褪める。
「な、なんでそれを先に言わないんだよ! い、言ってくれたら御堂さんのチョコは抜かしていたのに!」
血相を変えた高間先輩が俺を罵声してくるけど、悪いのはそっちじゃんかよぉお!
「俺の話、ちぃいっとも聞いてくれなかったじゃないっすか! ひ、一つ残らず食べちゃって」
「ま……、不味いぞ高間。諸君。急いで対策を練らないと……、此方が大変な仕置きを……、鈴理くんの仕置きは大歓迎だが。御堂くんは……っ、本当にもうチョコは無いのか!」
「空っぽです」隊員がお手上げ状態の面で、紙袋を引っくり返す。
「クッ……どうする」このままでは、柳先輩が言ったと同着で、「あぁあ!」隊員のひとりが大変だと廊下側の窓の向こうを覗き込んで悲鳴を上げる。
「み、御堂さんがこっちに!」
「うぐっ! こうなれば策は一つ! 高間、急いでリボンを拾え、そこのリボンだ!」
「はい隊長!」高間先輩がラッピング用に使っていた銀のリボンを柳先輩に手渡す。
「そっちはガムテープを外し、ブレザーを脱がしてリボンで縛れ!」
それから、御堂さんの足止めも頼む。
俺の首にリボンを掛ける柳先輩は、隊員に命令。隊員数人は教室の外へ。
数人はガムテープをっ、アイデデデッ! 皮膚が破れるような痛みがっ! てか、え、しば、縛るっ?! ちょぉおお、や、やめてくだっ、くださっ!
「親衛隊。僕の豊福は一体何処だい? ……、まさか、また何かあいつを泣かせるようなことを」
「め、めっそうもありません!」
「我々親衛隊。いえ、応援隊はいつでもどこでも貴方様と豊福殿を応援しております!」
「じゃあそこを通せ。豊福、中にいるんだろ?」
「え、えぇえーっと」
廊下から聞こえてくる御堂先輩の声。
手早く作業を行う柳先輩は最後の仕上げだと言わんばかりに、俺のカッターシャツを上から三つまで外した。
「色気はこんなもんか」
いやそれとも肩を出させるべきか、うんぬん悩む隊長さんはチラリズムは大事だとカッターシャツを引っ張る。右肩を剥くような形を作り、よし出来上がったと安堵の息。
同着でドアが開いた。
ギクリと肩を震わせる柳先輩と親衛隊達は、どうもどうもと俺を隠しながら御堂先輩に会釈。
「豊福」そこにいるんだろ、何をしていたんだと不機嫌に物申す御堂先輩。彼等に詰問しているらしい。
あははのはで左右に分かれる親衛隊、ご対面する俺と王子系プリンセス。引き攣り笑いを浮かべる俺に対し、目を点にする御堂先輩。
い、いっちゃん不味い展開だ……。
「え、えーっと御機嫌よう。御堂先輩。こ、これはっすね。その、親衛隊が」
「と……、豊福。そこまで気持ちが固かったのか。僕は、僕はっ、嬉しい! まさか本当にリボンを付けて僕にプレゼントしてくれるなんて!」
うわぁああっ、やっぱこうなるっすよね!
チガウチガウと首を横に振る俺は戦闘から離脱。腰を上げて逃げようとする。が、リーチの差で捕獲されてしまった。
「僕の姫になってくれるなんて」ハートマークを散らして抱き締めてくれる王子、「これは陰謀なんっす!」俺は必死に弁解したけど聞く耳ナッシング。膝の裏に腕を入れて持ち上げてくる始末。
嗚呼、お姫様抱っこかい、泣けてくるぜベイベ。
「しかし頂けないぞ」
肌を必要以上に露出させているなんて、ニッコニコと俺を見つめてくるプリンセスは注意を促してくる。
「そういう露出は僕の前だけじゃないと。他の乙女達に食べられてしまう可能性もあるんだからな」
「そ、そんなわけないじゃないっすか! 俺を食いたいと思う人なんて、貴方様の他に名前を挙げるとしたら鈴理先輩くらいなもんです!」
「僕の前で他の女の名前を紡ぐなんていけない子だ」
それとも僕の気持ちを試しているのかい、彼女は床に俺を下ろしてニッコリ。
「床に押し倒すことは僕のポリシーに反するが」
君が悪い、そういう誘うような言動ばかりするから。笑みを深めて覆い被さってくる。
ま、ま、不味い! 抵抗っ……、て、手首を縛られていたんだっけ! あんの畜生親衛隊っ、余計なことを!
「み、御堂先輩! おぉおお俺、(食われちまったけど)チョコを作ってきたんっすよ!」
「分かってるさ。君がバレンタインチョコだろ?」
「いやいやいや! 俺じゃなくってっ、ちゃんとしたチョコレートがっ……、あぁあああ! そこ、なんで逃げようとするんっすか!」
親衛隊がそろそろーっと抜き足差し足忍び足で逃げようとする。あんた等が事の発端だぞ、これ!
俺に呼び止められると、揃いも揃ってごゆっくり。とか言いやがった。お前等全員ドチクショーだぁああ!
「ほらこっちに集中」
王子に顔を固定される。
その円らな瞳に覗き込まれた。彼女の瞳はクオーターだ。フランス人の血が四分の一入っている。
何処か外人と思わせる瞳を見つめ返す俺に、「不思議な瞳だな」見つめれば見つめるほど魅せられる。硝子玉のようだ、と彼女は砂糖を吐くくらいの甘さで俺を口説いてきた。
出たよ。王子のお得意技、紳士的言葉攻め! こっちがむず痒くなるような台詞を平然と言ってのけるんだよ!
「べ、別に」普通の目っすよ。ぎこちなく視線を逸らすけど、「違うさ」君には魅力が宿っている。
「何故ならこの僕を魅せたんだから。いけない子だよ、君は」
本当にいけない子。この前の続きをシてあげる、王子は頬を崩した。
「先日は期待させて終わったから、今度は期待に応えてあげるよ。大丈夫、ここですべてをスるわけなじゃないから。少しだけ君を感じるだけ。すべてを感じるのはテイクアウト後だ」
「か、感じ……、駄目ですって! これは単なる手違いで! うぎゃああぁああっ、お、俺は男っすよぉおお!」
貴方様の大嫌いな男っすっ!
喚いて叫んでも笑顔を崩さない王子は俺を抱き締めてきた。首筋に顔を埋めてくる。チクチクと髪の毛が俺の肌をさしたために、身震いをしてしまった。
「綺麗な鎖骨だね」
ちゅ、と触れるだけのキスを送ってくる彼女。
この直後の行為が読めて、「お、男っす!」俺は必死に身を捩る。「僕は女だぞ?」御堂先輩は不思議そうな顔で見つめてきた。
「変な図ではないと思うんだが。君はもしや男に襲われたい願望でも?」
「そんなわけないっすけど……、でもでもでも、み、御堂先輩……、男嫌いっすよ。む、無理して触れようとしなくても」
「男は嫌いさ。だけど君は男さえ忘れてしまうんだ。やっぱり君はいけない子だな、豊福。僕を魅せてしまうんだから」
「だから僕も」君を捕まえたくなる、ツーッと首筋を指先で触れてくる御堂先輩。醸し出すオーラはすっかりアダルティそのもの。
ど、どげんしましょーっ……、このままだとスイッチが、スイッチが入ってっ、カチリッ。
ゲゲゲッ、御堂先輩のスイッチが入った!
説明しなければならないだろう。
御堂先輩は甘党プリンセスなんだけど、濡れ場等々のアダルティモードがある線を越えてしまうと意地悪プリンセスに成り下がるのだ! ケータイ小説のドSプリンスとか、意地悪プリンスとか、ジャンル分けされるキャラになるんだよ!
大雅先輩曰く、意地の悪さは鈴理先輩以上! 最近、俺も御堂先輩のあらやだなぁな一面を知りました!
「今の豊福も可愛いが、素直な豊福が見たいな。どうすれば素直になってくれるかな。首筋に痕を付ければいいのか。それとも耳を銜えてやればいいのか。はたまた素直にさせるために、少し口をふさいでやるべきなのか。ううん、やっぱりここは君の恥じらいを最高潮に高めてあげるべきだね」
え、えげつねぇよ王子!
「み、御堂先輩。お、落ち着きましょう」
「君の最高に恥じらう姿を見てみたい。きっと涙目で赤面、僕にもうやめてと懇願するんだろうな。本当はやめて欲しくないくせに」
ぎゃああっ、やめてー!
俺のライフポイントが一気にゼロになるから!
「恥じらいがピークになった、その泣き顔を見てみたいな」
ということでこんなものを持ってきました。
御堂先輩が学ランのポケットからごそごそと取り出したもの。
それは正方形のお菓子? 個包装を取っ払うとなんとも高級そうなチョコレートが顔を出した。
「ぐっ」無造作にそのチョコの角を俺の口に押し込んだ王子は、「湯せんって知っているかい?」と変なことを聞いてきた。そりゃあチョコを作ったんだし知っているけれど……、相手に視線を投げると、王子が白々しく「僕はよく分からないんだ」肩を竦めてきた。
「あれだよね。湯せんってお湯の温度でチョコを溶かすことを言うんだよね。……温度だけで言うなら、僕達でもできそうだと思わないかい?」
王子が反対側の角をぐぐっと押して、どんどん俺の口にチョコを押し込んでくる。
「噛んじゃ駄目だよ」飲んでもだめ。ちゃんとトロトロに溶かすまでは、そのままだから。命じてくる王子の目が悦びに満ちている。まさかっ、先輩。人の体温を使って湯せんまがいなことをしようとするんじゃ。ああっ、そうだよこれ! 絶対そうだ!
「やっ、やひゃっ、み、みひょうせんぱ!(や、やだ、御堂先輩!)」
かぶりを振ろうとするんだけど、相変わらず彼女の手に固定されっぱなしの俺。逃げ場なし!
チョコを口内に押し込んでしまうと、骨張った人差し指と中指が後から入ってきた。「まだ溶けないね」温度が低いのかな? なら上げないと。そう言って、頬にキス。額に口付けし、首筋にも唇を落としてきた。
口内でほんのりと溶けはじめるチョコの甘味が異様に甘い。
うぐむぐっ、指に悪戦苦闘している俺に「豊福が厭らしく指を食べている」美味しい? と王子が質問。
なんでそういう恥ずかしいことを聞くんだよ、この人。
必死に指を出そうとすると、チョコもろとも指で舌を挟まれた。「豊福は意地っ張りだね」本当は美味しいくせに、指で口腔を掻き回される。つい、驚いてごっくんチョコレートの塊を嚥下してしまう。
「あらら」飲んじゃ駄目って言ったのに、御堂先輩の目がアーモンド形に細くなった。口角はつりあがっている。
「可愛いけれど、いけない子。僕の言ったこと、忘れちゃったの?」
二本の指が舌を挟んで擦ってくる。
嗚呼、熱くなる体、一方で感じる悪寒。
このままじゃ俺、おれ、鈴理先輩の仕置きを受ける! 嫌だ、それだけはほんっとっ、に、耳は食まないで下さいぃいい! 王子っぃいい!
刹那、
「玲―――ッ! 誰の許可を得て、彼氏を食ってるんだぁあああ!」
剛速球並みの上靴が俺達に飛んでくる。
ズルッ。
指を口内から引き抜いた王子が俺を抱き起こして紙一重に避けた。
某草食系男子を横抱きにしたまま、唇を尖らせ、不機嫌そうに噛み締める。
「なんて無作法な」
礼儀がなっちゃない、御堂先輩は教室に飛び込んできた肉食お嬢様に肩を竦めた。
一方の俺は助かったとばかりに、「鈴理先輩!」SOS、SOS! と、彼女の名前を呼ぶ。
縛られている俺を見るや否や鈴理先輩は地団太を踏んで、「なんて美味しいシチュエーション!」間違った方向に激怒してくれた。
なんだろう、この虚しさは。
「いつまで経っても空が来ないからっ、心配してきてみれば。玲、あんたはいつから卑怯になった! 親衛隊を使って空を誘き出すとは! 調べはついているのだぞ!」
「聞き捨てならないな。僕は純粋に豊福からの贈り物を頂戴しただけだ。元々僕はチョコを貰いに来たんだ。豊福がチョコをこしらえている情報を入手していたしな。しかし僕が来た時には、既にこの状態だったのだぞ。だからてっきり僕は豊福が僕の婚約者になる決心をしたのだと。第一、この手首のリボンは僕が縛ったわけじゃ……、ん? やけに肌が赤いような」
それはガムテープの痕っす。
「それにそのリボン……、空が使っていたラッピングのリボンじゃ。空、チョコは」
「え、あ……あぁあ……っと、その、無くなっちゃいました。鈴理先輩のチョコも、御堂先輩のチョコも。全部」
すんません。
謝罪する俺を余所に、親衛隊さん方がイソイソと教室の出入り口に。
「ほぉ?」あたしのチョコがないだと? とても楽しみにしていたチョコが何故、無くなったのかなぁ。こめかみに青筋を立て、関節を鳴らす鈴理先輩。
「へえ?」僕のチョコもなくなった? 豊福のチョコがあったなら是非とも食べたかったんだがなぁ。シニカルに笑う御堂先輩は、俺を下ろして逃げ腰の親衛隊に振り返る。
「豊福プレゼントはどうやら君達のようだが、それは嬉しいんだが、すこぶる嬉しいのだが。だが! チョコも欲しかった。君達、僕のチョコ、知らないかい?」
あ、豊福借りるぞ。
俺のベルトを抜き取って、「白状した方が身のためだぞ」ベルト鞭の構えを取った。
プリンセスが女王様になる瞬間だ。バチンと床にベルト鞭を叩きつける。
「あんた達、あたしと空の関係を見守ってくれるんじゃないのか? しかもあたしがっ、あたしがどれほど空のトリュフを楽しみにっ……、楽しみにッ」
やっぱりあたしはあんた等を無視するしかないようだな。
無慈悲なお言葉に、「それだけは!」と親衛隊達が青褪めて首を横に振る。鈴理先輩に無視されちゃあ、M族にさえなれないしな。放置プレイどころじゃないって。「無視は嫌ですー!」「お仕置きして下さいー!」嘆き、鈴理先輩に縋ろうとする親衛隊。
バチンッ―。
床にベルト鞭を叩きつけ、「立場を分かっちゃないな」御堂先輩がアイロニー帯びた笑みを浮かべる。
「僕は質問しているんだぞ。それに答える義務がある。分かっているな? 団長」
「え、あ…「バチンッ―!」は、はい! 分かっています!」
その、諸事情で食べちゃいました。親衛隊全員で。
団長改め柳先輩が白状した途端、教室は阿鼻叫喚地獄と化した。
俺も恐れ戦く地獄図。親衛隊達の仕置きをビクビクしながら見守るしかない。プリンセスもあたし様もマジ容赦ないなぁ。
だけど今回ばかしはしょーがないだろ。
人のチョコを無断で食ったんだし。
「これ」いつになったら外してくれるんだろ、手首のリボンを睨めっこ。
次いで、床に散らばったラッピングの残骸を流し目。折角チョコを作ったのに……、本命も友チョコも全部……、って、あれ?
「落ちているリボンの色、全部銀だ」
おっかしいな。
本命チョコは金色にしていた筈なのに、もしかして紙袋に入っているとか?
いや、さっき親衛隊が引っくり返していたから、入ってないだろうし。俺が他の先輩方にチョコを渡した際は、どうだっけ? ちゃんと中を見てなかったけど、リボンの色で皆に渡したから間違っちゃない筈。
あんれー? いつの間に本命チョコが消えちまったんだろ。
「メッセージ入りだったんだけどな」
唸り声を上げて首を傾げる俺を余所に、教室の悲鳴やら怒号やら物音やらは鳴り響くばかり。これは暫くおさまりそうにない。
一方、とあるファーストフード店にて。
「え、空からのバレンタインチョコ?」
「そうなんだよ。あいつ、彼女のためにチョコを作らなきゃなんなくなってさ。諸事情で俺等に友チョコを作ってくれたんだ。ほれ、お前の分」
アジが預かっていた友チョコをイチゴに手渡す。
「へぇ」
相変わらずあいつも頑張るねぇ、面白おかしそうに友チョコを受け取ったイチゴはラッピングされている贈り物を見つめた。
「ん?」メッセージカードまで入ってる、ラッピング袋越しから見えるメッセージカードを読んだイチゴは笑声を漏らした。
「空の奴、『末永くこれからも宜しくお願いします』だって。ははっ、末永くとか笑えるんだけど」
「(メッセージカード? そんなもの俺には入ってなかったような…)」
「トリュフの他にハートのチョコまで。友愛こもってるなぁ。あいつに後で、メールしとかないとな。『此方こそ末永くダチしような!』ってさ」
「(なーんかやっちまった感があるけど。ま、いっか)」
ちなみに俺が本命チョコの行方を知るのは、小一時間ほど経ってからのことになるのであった。まる。
Fin.
【後日談】
「あぁああありえない。早苗も百合子も大雅も空の手作りチョコを食べられて、あたしはオアズケだと? どんな嫌がらせだ!」
「せ、先輩。また作ってあげますから」
「今すぐ欲しいのだ! なんで、なんでこんなことに……、親衛隊め。本当にあたしの親衛隊か?」
どーんと落ち込む鈴理先輩。
バレンタインデーが終わって翌日から鈴理先輩の調子はずっとこれだ。
彼女の立ち位置だというのに、自分だけバレンタインチョコをもらえなかった悲しみに打ちひしがれている。また作ってあげると約束しても、「手作り」食べたかった、と落ち込んだ。それはそれは落ち込んだ。
御堂先輩も落ち込んでいたんだよな。
今度絶対に作ってあげるって約束は取り付けたんだけど。
まあ、御堂先輩の場合、「チョコがないなら」やはり豊福しかいない、とかすぐ立ち直っていたんだけどさ。
鈴理先輩の場合は先輩方がチョコを食べているのを目の前にしていたから、すっごく楽しみにしてくれていたんだと思う。
「くそうっ」グズグズと愚痴を漏らす鈴理先輩の落ち込みっぷりに、なんだか見ていられなくなった俺は、「放課後」時間があるなら俺に付き合ってください、と声を掛けた。
時間が作れないことも無い、と言った彼女のために俺は奔走。
昼休み、こっそりと売店で板チョコを買い(嗚呼。出費が!)、それを持って彼女の下へ。
まだ落ち込んでいる彼女の手を引いて、人気の無さそうな視聴覚室に入ると、教室内が見えないようカーテンを閉める。勿論、ドアや窓もしっかり閉めておく。
で、だ。
俺は黒板下に腰を下ろし、溜息をついている彼女の隣を陣取る。
羞恥を抑えながら買った板チョコを割り、「お約束なので」欠片を銜えて、落ち込む彼女の口にそれを押し付けた。
びっくらこきながらチョコを食べる彼女を余所だったけど、「チョコチュー」約束しましたよね、と俺が赤面しつつ言えば、見る見る鈴理先輩は元気を取り戻してくれる。
そんな彼女の前で俺は板チョコをまた一つ割り、目尻を下げた。
「おかわりはいかがっすか?」
此処なら絶対、誰にも邪魔されませんよ。
そう言葉を付け加えて。
「俺からのバレンタインで本命チョコっす。貴方にプレゼントします。俺自身を」
自滅しそうな発言を紡げば、「喜んで貰う」鈴理先輩が頬を包んできた。
気恥ずかしさを抱きつつ、俺は欠片を銜えて瞼を下ろす。チョコごと唇を食まれたのはこの直後のことだ。
攻めスイッチをいかんなく押している自覚はあるけど、それでも彼女が喜んでくれるなら自分の首を締める状況だって作るさ。受け身男として、好意を寄せている攻め女を喜ばせたい。
背中に手を回して、「好きっす」相手に気持ちを伝える。
「知ってる」唇を離す彼女は、当然の気持ちだとあたし様らしい発言を零して一笑。
「あたしが好きなんだ。空があたしを好いていて当然なんだぞ」
「そうっすね。俺は貴方に落とされてしまいましたし……、責任取って下さいね。王子様」
「―――…責任を取るのは空だ。最初にあたしを落としたのは空だから」
喉元を噛み付かれる。
走る痛みに軽く眉根を寄せつつも、「そうっすか」じゃあ責任取りますっす、相手に告白して肩口に顔を埋めた。
だって貴方が好き過ぎてどうしょうもないんですから、彼女にそっと気持ちを贈る。俺の告白の方がチョコよりもよっぽど甘かったらしく、「手作りはもういい」これで充分だと、鈴理先輩はきつく抱擁を返してきた。
「もっと触りたい、空」
「俺も触りたいっすよ。貴方の心に」
「なんだその返事は。意地が悪いぞ」
「先輩には負けますっす。俺はスチューデントセックスを断固拒否する男っすよ? そりゃあ体とかは言いませんよ、食われかねませんし。でも欲情は持ってます。先輩の心に触れたいって色欲は、ね?―――…こうして触れ合っているだけで、結構喜んでいる俺がいるんっすよ」
おどけ口調で言えば、ちょっと悔しそうに脹れ面を作る鈴理先輩が噛み付くようなキスを贈ってきてくれた。
あたし様なりの照れ隠しだということは、お見通しっすよ。王子様。
俺は軽く笑みを零して、彼女のキスをいつまでも甘受した。
Fin.
本編では逃げてばかりの空ですが、本人は相当肉食お嬢様にゾッコンです。
なんだかんだで我が儘を聞いてあげたい思っていますし、それなりに触れたい気持ちは持っています。
ただし鈴理の暴走のせいで、その気持ちが隠れがちだという……。
②の本編では切ない終わり方になってしまいましたが、普段の鈴空の関係はこんな感じでした。
だからこそ、空は鈴理の想いを断ち切れないんですね。二人ともラッブラブでしたから。
……玲、頑張れ!チャンスは沢山あるぞ!




