ひとつの甘さのなかで
番外編(御礼小説)
御堂家に居候中の空と玲の日常。
本編では語られない、二人の小さな日常光景。
〔本編/玲空/ほのぼの〕
「お嬢様! 玲お嬢様! まだお話の途中でございますよ!」
御堂家に居候して早幾月幾日。
優しい夕暮れの日を障子越しに浴びながら読書をしていた俺は、蘭子さんの喧しい声音にページから顔を上げる。
「お嬢様!」金切りにすら聞こえる蘭子さんの声。比例するように廊下を駆け回る足音が聞こえる。
何の騒ぎだろう。
しおりを挟んで新書を閉じる。直後、勢いよく障子が開かれた。
現れたのは麗しき王子系プリンセス。
今日も短髪があちらこちらに跳ねている。
学校から帰ってきたばかりなのか、学ラン姿のままの彼女は部屋に入るや俺の背後に隠れてしまった。人を盾にする気満々のようだ。
遅れて飛び込んできた蘭子さんは着物の裾を直しながら、「また空さまを盾にして」何かあるとすぐ盾にするのですから。整った眉をつり上げてピシャッと障子を閉めてくる。
御堂先輩は「僕は悪くない」イーッと口端を引っ張って舌を出す始末。
グイグイと人を押して盾にしようとするんだけど、如何せん豊福ガードは防御力が弱い。先輩のお目付けには効かないようだ。
両者に挟まれた俺は目で交互に顔色を窺った後、微苦笑を零して「どうしたんっすか?」何か遭ったんっすか? と事情を求めた。
「聞いて下さいよ」
先制したのは蘭子さんだ。
俺の前で正座をするやお嬢様は我が儘なのですよ、と身振り手振りを大袈裟にして口を開く。
「てんでお茶のできないお嬢様を見かねた私どもが師範をつけようとしたところ、大層お嬢様が嫌がられまして。17にもなって茶道もできない令嬢が何処にいると思います?」
いやあ、俺は16になっても茶道サーッパリなのですが。
「嫌なものを嫌だと言って何が悪いんだ。僕は茶道が苦手なんだ。しかもその師範は男らしいじゃないか! 嫌だ、絶対に嫌だ。僕は受けない!」
「いつまでも男性の方を拒んでも仕方がないでしょう? 社会に出れませんよ。折角男性の方と婚約できたのですから、この機に沢山の方と接する練習をしましょう」
聞く耳を持っていないようだ。
嫌だ嫌だの一点張り。脹れ面を作り、婚約は特別なんだ。見知らぬ男と仲良くできるほど出来た器じゃない等など彼女は猛抗議している。
あまりとやかく言われると御堂先輩のヘソが曲がりに曲がって腹まわりを一周してしまうだろう。そうなれば最後、ご機嫌取りに努めなければいけないのは誰でもない俺だ。
だから進んで仲裁を買って出た。
「彼女の男嫌いは仕方がないっすよ」
簡単に治りやしない。
けれどこうして俺や異性の友人とは接することができている。
今はそれでいいんじゃないかと蘭子さんに伝える。なにより本人がこんなにも嫌がっているんだ。無理やりさせても受ける態度が表に出てしまい師範の方が困ってしまうだろう。
ぶう垂れている御堂先輩の頭を片手で撫で、「まだ提案の段階なんでしょう?」白紙にすることはできないのかと蘭子さんに尋ねる。
「次回の機会で良いと思うんっすよ。それに御堂先輩、お茶が出来ないことはないんっすよ? 俺にお茶を立ててくれましたし」
すっごい苦いけどさ。
その言葉は嚥下し「俺からのお願いっす」、蘭子さんに片手を出す。彼女はやれやれと肩を竦めてきた。
「空さまはお嬢様を甘やかしすぎですよ。以前も似たようなことを仰りました」
「そりゃあ俺は婚約者っすから。彼女の肩を持ってしまいますっす」
すると蘭子さん。
諦めたのか、それともこういう展開を読んでいたのか。
やや表情を緩め、「仕方がありませんね」提案してくださった奥方様には私から話しておきます。そう言って腰を上げて会釈。お茶菓子を持って来させますから、と告げて部屋を出て行った。
お願いしますの意味を込めて手を振り、障子が閉まると唇を尖らせてそっぽ向いている王子に視線を流す。
「先輩」
まーた逃げてきましたね、と笑声を漏らす俺に煩いと鼻を鳴らしてきた。
おやおや王子は随分と不機嫌らしい。
自分の知らないところで勝手に稽古事を増やされそうになったのが癪に障ったのだろう。ご立腹の様子は毛を逆立てる猫のよう。今にもフーッと鳴き声をあげてきそうだ。
むくれている彼女の機嫌をなおすべく、おいでおいでと王子を手招き。横目でこっちを見てくる王子は再びフンとそっぽを向いた。
うーむ、道端で出会った野良猫にチッチッチとやって尾を向かれた気分だ。その内、猫パンチでも繰り出してきそう。
ならば仕方がない。これは放置に限る。
今の御堂先輩にはこれが一番効くだろう。テーブルに寝転ばせていた新書を手に伸ばし、ページを開く。
するとどうだろう。新書が掻っ攫われた。
あれま、声を上げる俺をぶすくれたままの表情で見据えてくる似非にゃんこ。オーラが僕に構え、放っておくなと主張している。
今さっきまでそっぽ向いていたのはどこのどなただろうか?
呆気に取られていると新書を向こうの壁際まで滑らせ、御堂先輩が膝に頭をのせてくる。
最初から膝に寝転ぶつもりならそうすればいいのに。微苦笑を零し、髪を撫ぜてやる。指先で髪をつまみ、さらさらと滑らせて指遊び。気にする素振りを見せない御堂先輩は喉を鳴らしている猫のようになされるがまま目を瞑っている。
こうなってしまえば最後、彼女は気が済むまで人の膝で好き勝手するに違いない。
本を読むこともできず、かと言って動くともできず、手持ち無沙汰の俺は彼女の髪を弄る他、時間を潰す方法がない。
さらさらっと髪を抓んでは滑り落としていると、「失礼します」お茶菓子をお持ちしましたよ。女中のさと子ちゃんがお盆を片手に入って来た。
「あらっ、お邪魔でしたか?」
茶化されてしまい、「ほっらぁ笑われたっすよ」俺は責を王子に擦り付ける。
まだツーンとしている王子のご機嫌はイマイチのようだ。反応を期待するだけ無駄だろう。相手の返事は諦め、俺はテーブルに茶菓子を並べるさと子ちゃんに礼を告げた。
あ、今日のおやつは芋羊羹みたいだ。
中皿に数切れのっている羊羹にご満悦した俺は、さと子ちゃんも一緒に食べようと誘う。
「え。でも」遠慮する彼女に、「いいからいいから」俺達の接待をすると思ってさ。これも仕事の内だと笑い、王子がこれだからと立てた人差し指を下に向けて肩を竦める。
「先輩。超機嫌が悪いんだよ。俺一人じゃ荷が重くて。こういう時こそ女の子の癒しが王子には必要なんっイ゛?!」
腰にぞわぞわっと邪悪な気を感じた。
「センッパイ!」
なんの嫌がらせっすか! 人の腰をお触りするなんてっ。
声音を張ると、「これも癒しになるんだ」とかほざいたよ! さと子ちゃんの前でなに言ってるのこの人くさ!
クスクスと笑声を零すさと子ちゃんの笑顔にも癒されたのか、やーっと御堂先輩が機嫌をなおしてくれた。
寝返りを打ち、一緒に羊羹を食べようとさと子ちゃんを誘っていたのだから。
「あ、その前に」浴衣に着替えよう。ポンッと手を叩き、その場で学ランの上衣を脱ぐためボタンを外しにかかる。俺とさと子ちゃんが驚き返ったのは言うまでもない。
「ちょ、ちょっと待った! なにしてるんっすか!」
「勿論着替えだぞ? あ、さと子。向こうの箪笥から浴衣を取ってくれないか」
「は、はい!」慌てて腰を上げるさと子ちゃん。
俺も腰を上げたいけど、王子が膝に乗っかっているから動けねぇ! だから全力でタンマをかける。
「先輩! 十秒ストップ! 俺の上から退いて下さい!」
「豊福。ストップを掛けた後に退いてと言われても、僕は十秒間、動けないぞ?」
「俺がいる前で着替えないで下さいよ! 俺は男なんっすよ! 異性の前で堂々と着替えるなんてっ、マナー違反っす!」
「馬鹿だな。僕等は婚約しているんだぞ? なんの問題もないじゃないか。まさか君が興奮して襲ってくるとか? だったらとても楽しいのだけれど」
その分、攻めて攻めて攻めまくって可愛く鳴かせるから宜しく。
ウィンクしてくる御堂先輩に俺はこめかみを擦って苦い溜息をついた。どうしてそういうことばっかりしか言わないんっすか? 貴方様って人は。片隅でさと子ちゃんはなにやら如何わしいことを妄想したのか、ボンッと赤くなって取り出した浴衣で顔を隠している。
「とにかく部屋を出ますから!」早く退いて下さい! 怒声を上げても、王子は何処吹く風。
「ヤダ」部屋にいてくれないと僕はまた拗ねるぞ! 先輩が戯けたことをほざいてきた。
「僕は帯を結んでもらいたいんだ!」
「さと子ちゃんがいるでしょう!」
「さと子もいいが、今は君がいいんだ。僕の彼女で嫁だし、それくらいしてくれても良いだろう?」
「か、彼氏で旦那になる男っすよ! ご自分でも結べるんですし、此処は妥協して下さい! さっきまで男嫌いを発揮していたじゃないっすか!」
「僕は君に結んでもらいたいんだ。あんまり我が儘言うと、さと子の前で公開プレイしてしまうぞ」
「え゛」石化する俺を押し倒して、「僕は構わないぞ」君の可愛い姿をさと子にも見てもらおうか? 王子が鬼畜発言を投下してきた。
い、い、嫌に決まっているじゃないっすか!
何が悲しくて情けなく攻められる俺の姿を友達に見てもらわないといけないんだよ!
いや数回見られたことはあったけど、あれは事故というかなんというか!
「だ。大丈夫ですよ!」
私はヘーキですから! 余計な気を回してくるさと子ちゃんがより一層浴衣で視界を隠す。
時折、好奇心が勝ってチラッとこっちを見てくる恥ずかしさといったらっ、いったら!
「さあてどうする?」
にこっと微笑んでくる悪魔に冷汗を流し、俺は生唾を飲んだ。分かっていたさ。王子に勝ち目など最初からないことくらい!
結局、
「わぁ。お嬢様、お胸、おっきいですね。下着も可愛い」
「そうか? さと子も、なかなかにありそうだが。下着は友人のお気に入り店で買ったんだ。今度連れてってあげるよ」
こうなるわけね。
はい、俺、可哀想。背後で繰り広げられる女子トークを耳になきゃなんない俺、超絶可哀想。居た堪れない度MAX。
この部屋にいる俺は変態? なら全部婚約者のせいっす。俺は悪くない!
御堂先輩の脅しに屈した俺は、男ぼっちの一室で壁と睨めっこしながら羊羹を自棄食いをしている。
彼女等を待たないのか?
へーん、いいさ! 向こうは女子トークを楽しんでいるんだから。
へーんだ。さっさと着替えてくれない俺を苛めてるんっすかね? 上等っすよ! せいぜい苛めて下さいな! 俺が拗ねるだけっすから!
「本当におっきいですね」「そうか?」「だってほら谷間が。開襟タイプのお洋服とか着ないんですか?」「普段は学ラン着ているしな」「勿体無いですよ!」「うーん」
まーだ着替えを終わらせてくれない。
それどころかヒートアップさせている。嗚呼、さと子ちゃんは俺の味方だと思っていたのに! ……むっちゃ実家に帰りたくなった。今こそ実家に帰らせて頂きますを使っても良いんじゃないか?
さと子ちゃんはともかく、御堂先輩は確実にわざとトークを広げているだろう。
その意地悪に気付いた俺はますます機嫌を損ねてしまう。比例して羊羹もむしゃむしゃ。自分の分をあっという間に平らげてしまった。
やることがなくなったからその場にごろんの不貞寝。ガキくさい? 器も小さい? どうとでも言うが良い。俺の器はミニマムでまんまガキなんだよ!
「豊福」
ようやく声を掛けられた。
片目を開けて、「着替えたっすか?」袂は閉めてますよね? じゃなかったら怒る、と不機嫌に返す。
さっきの状況があべこべになってしまったけれど、御堂先輩は気にしていないのか、帯を結んでとせがんできた。基本的に彼女には甘い俺だから、重たい体を起して差し出された帯を無言で受け取る。
振り返ってさっさと帯を締め、苦しくないかどうかを確かめて、はい出来上がり。
終わったとばかりに手をひらひら振って、またごろんと不貞寝豊福。
やさぐれ豊福と化している俺に、「ごめんごめん」苛めすぎたな。赤面する君が可愛くて、とか悪びれた様子もなく謝罪してきた。
「あらら。羊羹、自分の分だけ食べちゃって。かなりヘソを曲げているだろ? 豊福」
「さあ。どうでしょうね」鼻を鳴らして受け流す。そうしたのは誰っすか。
「うーん、反省しているって。ほら、豊福。羊羹食べよう」
「俺、食っちゃいましたもん。先輩は大好きなおにゃのこのさと子ちゃんと羊羹を食えばいいじゃないっすか。俺の存在は置物だと思えばいいっすよ。どうぞご勝手に」
「そ、空さま。そんなことを言わず……私の羊羹、一切れあげますから」
普段の俺なら人にもらえる嬉しさから飛びつくところであるが、「いらないっす」今の俺はドドド不機嫌である。
フーンのツーン。ぶすくれていると体を強制的に起こされた。「おっ?」瞠目する俺を余所に、「よいしょ」御堂先輩が膝を折って、さあ僕達も羊羹を食べようと笑ってくる。が、何故、俺は彼女の膝の上にのっかっているんでっしゃろう?
対面お膝抱っこをされるなんてっ、幼少に父さんや母さんにしてもらって以来だよ!
「……あの、先輩。これは新手の嫌がらせっすか?」
「機嫌をなおしてもらおうしているだけだぞ? 豊福だって膝を貸してくれるじゃないか」
貸すじゃなくて奪われるんっすけどね!
見上げてくる彼女をおずおずと見下ろし、「思う存分甘えていいぞ」と爽やかな笑顔をおくられる。いや、これはちょっと甘えるも何もないというか、残念すぎる光景というか! 俺に得ありますかね! 体だって重いでしょ!
ちゅっ、見上げている彼女から唇を奪われた。
目を点にする俺の顔が見る見る赤くなっていく中、「可愛い顔が丸見え」君はこんな風に照れるんだね、先輩が目尻を下げてくる。
「い、いじめっす。こんなの、」
「違うよ。君の素敵な表情を見たいだけ。下から見る君の表情、また違って見えるね。僕の視界が豊福で一杯だ」
浴衣の袂に、否、胸部に顔を埋めてくる。逃げたいのに腕が背中にまわされて、どうすることもできない。
「さっ、さと子ちゃんがいるんっすから、やめてくださいよ」
「いいんですよ。私の存在は置物だと思って下さい。微笑ましい限りですよ、お二人とも」
ああっ、それ、さっきの仕返し?! ごめん、あやまるから先輩を止めて!
彼女の唇が首にのぼってきた。優しい口付けの後に、鋭い欲望のマークがつけられる。「機嫌、なおった?」いたずらっぽく笑う婚約者に、小さく頷く。機嫌なんて損ねるんじゃなかった。どう足掻いても俺はこの人に勝てない。
「豊福、食べさせて。両手が塞がってフォークが持てない」
もはや王子の思いのままだ。「いい?」確信犯に、「はい」小さく返事する。俺の完敗だ。
「ふふっ、本当に仲が良いですよね。羨ましいです。私も七瀬さんと」
ぽわっと妄想に浸るさと子ちゃんは、俺達の攻め受け光景に慣れつつある模様。
こんなことなら拗ねなきゃ良かった。
苦虫を噛み潰すような表情を作りつつ、ニコニコと羊羹を待っている王子に白旗を振る。
食べさせればいいんでしょ。やりゃあいいんでしょ!
仕方がなしに御堂先輩の分の羊羹を取り、フォークで割って口元に運んでやる。
ご機嫌に頬張ってくる王子は、「鎖骨も美味しそうだね」後で味わってあげるから、と至らんことをのたまった。
―――…やっぱり王子得っすよね、この状況。
(蘭子さんの言うとおり、俺って先輩につくづく甘いよな)
取り敢えず、咀嚼を繰り返している王子に言おうか。どさくさに紛れて腰を撫で回さないで下さい、と。
□
「玲、蘭子さんから聞きましたよ。折角の提案をまた“男嫌い”で蹴ったそうですね」
夕食時にて。
今日も大間で美味しいご飯を食べていた俺は、切り出された話題に視線を持ち上げる。
基本的に夕飯は御堂家の御家族と取るようにしている。仕事の都合で御夫妻と一緒に取れない日もあるけれど、今日はアタリ日だったようだ。全員の顔が揃っている。
最中で振られた話題に、チラッと王子を一瞥。
隣で一生懸命ヒラメの身をほぐしていた先輩は予想通り、不機嫌になった。
「あの話か?」源二さんが確認すると、「ええ」玲ったら師範の方が男だからという理由で蹴ったんですよ。困ったものだと一子さんが溜息をつく。
「玲。男が苦手なのは分かるが、考え直さないか?」
あっちゃー、それ、蒸し返しちゃいますか? 折角機嫌がなおっていたのに。
唇を尖らせる御堂先輩は、「ヤなのはヤなのです」ヒラメの身を口に放って素っ気無く返す。
俺は彼女のヒラメを一瞥。大雑把にほぐされているヒラメの身がどうも気になって、彼女の手元からこっそり引く。それに気付かない御堂先輩はお吸い物を啜りつつ、「蘭子に教えてもらいますから」師範なんていらない、とことん提案を拒んだ。
「けれど玲……、蘭子さんに教えてもらっても全然練習しないじゃないの。もう17なのだから、華茶道は身に付けておかないと」
むーっと眉根を顰める王子の手元にヒラメの載った皿を返す。
綺麗に身がほぐされていることに気付いた彼女が目で微笑んできた。目で笑みを返し、「俺と一緒に練習しましょう」新たな提案を口にしてみる。
「俺も将来のために覚えないといけない気がしてきました。だから蘭子さんに頼んで一緒に練習しましょう? ね、グッドアイディアだと思いません? 誰かと一緒に学べば上達もはやくなりそうですし。男嫌いは徐々になおしていけばいいっす。今はやれることをやりましょう?」
提案に瞠目。
次いで、「豊福と一緒ならいいよ」蘭子にもっかい教えてもらって練習してみる、とハニカミを見せた。よし、これで解決だ。早速食後に頼んでみよう。
「あ、御堂先輩。まーたお残しをしようとして! インゲン豆も食べなさい!」
肉じゃがに入っているインゲン豆をよけていることに気付き、さっさと箸で戻す。
「うぇ」しかめっ面を作る御堂先輩に、食べられる有難さを知りなさいとお小言を漏らす。
「俺の家なんて」給料前一週間はもやし炒めオンリーなんっすからね! それを思えばインゲン豆が食べられるなんて有難いこと極まりないっしょ!
箸を動かさない御堂先輩に焦れて、「はい」口を開けるっす。自分の箸でそれをつまみ、相手に突き出す。
「食べなかったらお触り、一週間なしっすからね。自室で寝てもらいますっす」
「う゛ッ。豊福、目が本気だぞ」
「当たり前でしょう! 不調ならまだしも、好き嫌いで食べ物をお粗末にする子には甘くしませんから」
ジトーッと相手を見据えると、渋々口に入れてくれた。
うん、良い子っすね。笑みを零して彼女を見守っていると、前方からアッツーイ視線を感じた。
見やれば一子さんが着物の袖で目頭を押し当て「師範の件は流しましょう」今は少しずつ男の方と戯れる時間が必要ですよね、と感涙している。
そんな一子さんの肩を抱き、「婚約者を取っただけでも大きな進歩だしな」今は若かりし二人を見守ろうと源二さんが綻んでいる。
な、なんだろうか。この羞恥は。
もしかしなくとも俺達、ご両親の前ですんげぇ恥ずかしいことをしたんじゃ。
頬を紅潮してその場しのぎに白飯を咀嚼していると、「豊福。一緒に風呂に入らないか?」突拍子もないことを言って俺を困らせてくる王子が一匹。
「親密度を上げよう。頑張ってインゲン豆食べただろ?」
「そ、それとこれとは話が別っすよ! ご両親の前でナニ言っちゃってくれるんっすか! あ、あ、あの源二さん。一子さん。俺達は別個に入るのでご安心して」
「若い頃を思い出しますね。貴方様」
「本当にな。私達もあんな風に睦まじかったな」
気にしちゃいないしっ、寧ろ自分達の世界に入っちゃっているし―――!
つまんでいたヒラメの身を皿に落としてしまう。
睦まじい仲になるよう全力で応援してくれているのは知っていたけれど、愛娘と(仮)婚約者が風呂に入ろうとしているのにもOKしちゃうんだ。
心身結ばれた日には赤飯を炊いて、盛大に祝われそうで怖い。
勿論、御堂先輩と一緒に風呂に入ることはできなかった。否、断固として俺が許可しなかった(できるか!)。
「―――…豊福は、とても僕を甘やかしてくれるよな」
就寝前のこと。
入浴から戻って来た俺は、我が物顔で人の布団を陣取っている御堂先輩に溜息をついた。
分かってはいたけれど、やっぱり自室で寝てくれないよな。今日はインゲン豆の件もあるし、口酸っぱく部屋に戻れとも言えない。柔らかなタオルで髪を拭きながら障子を閉めた俺は、彼女の問いに「性分なんでしょうね」なんとなくそうしたくなるのだと返事した。
敷布団の上で胡坐を掻くと、「そういうところが好きだよ」御堂先輩が俺の手からタオルを取ってわっしゃわしゃと拭いてくれる。
遠慮しようと思ったけど滅多にない機会だし、先輩もしたがっているように思えたから成されるがまま流された。
前後左右に揺れる視界をぼんやり見つめていると、項につめたい唇が落とされる。
リップ音により痕を付けられたのだと理解、「一言いって下さいよ」不意打ちは心臓に悪いんですから。俺はボソボソと抗議した。
「恥ずかしいの?」
遠まわしにそう言っているんですけど。
への字に口を曲げる。
するとどうだろう、後ろから抱きこまれた。
ちゅっと項にキスしてくる先輩は頬を寄せて、「痕付けていい?」とクエッション。
これはこれで恥ずかしい気が! 墓穴を掘った気がする!
「ねえ、いい?」
頭を抱えて身悶える俺を愉快気に見つめる王子は、しつこく許可を求めてきた。
「俺は貴方の婚約者っすよ」
遠慮はいらないっす。
小声で、けれどしっかりと伝えれば、「借金のことは踏まえていない?」斜め上の質問を返された。言われて、そういえば借金があったな、と思い出す。意識することを忘れていた。
それは何故だろう?
素直にそれを告げれば嬉しそうに笑う彼女がいた。
「付けるよ」一々事前報告をされる。同じ項でも付けた場所は僅かにずらされた。走る小さな痛みがさっきの場所と違う。
付いたと事後報告をしてくる王子の悪戯っぽい声に微苦笑。
俺を羞恥地獄に落としたいんっすか? 悔しかったから、背にいる彼女に全体重を掛けた。四肢を投げ出して凭れる姿は座椅子に腰掛けている絵図だろう。
重たい俺の体を受け止めてくれる王子が珍しいな、と一笑。膝に俺の頭をのせた。
「どうしたんだい?」おどけた問いに、「甘えたいんっす」おどけた返事をする。
でもこれは本心だったりするんだ。
今の俺はちょっとだけ彼女に甘えたい。
「先輩。我が儘、いいっすか?」
「いいよ。言ってごらん」
「あれして欲しいっす。いつも俺がやるあれ」
我が儘はすんなり通った。
綺麗な指先が俺の髪を撫ぜてくれる。
まだ湿っているであろう髪を惜しみなく撫でてくれるだけで、何故だろう、安心する俺がいた。
誰かにこうしてもらうのは気持ちが良い。
先輩がねだってくる気持ちも分かる気がする。酷く安心、するんだ。ぬくもりが傍にあって、誰かに触れられて、あたたかく見守られて。凄く安心する。彼女だから安心するのかも。
猫が人間の膝の上で寝てしまう気持ちが分かる。
「たまには甘えられるのも悪くないな。豊福、無防備な顔をしているぞ」
安心している証拠っすよ。
先輩を見上げて目尻を和らげる。
「たまには甘えるのもいいっすね」
癖になりそうだと呟き、静かに瞼を下ろす。
肩の力が抜けていく。それどころか全身の力が抜けていく。攻め女に襲われる恐怖すら、今は湧かない。
「豊福、もっと甘えていいんだ。僕も甘えられると嬉しい。甘えるのも好きだけど、甘えられるのも癖になりそうだよ」
ねえ、豊福。
君が僕を甘やかしてくれる時、必ず感じるものがあるんだ。
なんだと思う? ……優しさ? それも確かにあるけど、それ以上に愛情を感じるんだ。君の愛情が甘さの中に宿っているんだよ。僕はそれを感じたくて君に甘えている。
「君は僕の愛情を感じてくれている?」
そんなこと言わないで下さいよ、小っ恥ずかしくなるじゃないっすか。
愛情? とっくに感じているから安心しきっているんっすよ、俺は。
「先輩」「ん?」「呼んだだけっす」「何だそれ」「声が聞きたかったから」「そうか」「はい」「君は恥ずかしい子だね」「先輩ほどじゃないっすよ」
「御堂先輩。今晩はポジション変わって下さい。俺、このままがいい」
「ふふっ、今の豊福は特別に可愛いね。猫みたいだ」
いいよ、今晩はずっとこうしてあげる。
瞼の向こうで優しく微笑んでいるであろう御堂先輩を想い、俺はいつまでも髪を撫ぜてもらっていた。それこそ俺達が床に就くまで。否、床に就いても甘える。一枚の毛布を媒体に、そのぬくもりを共有して先輩の腕に身を沈めた。
たまには猫になるのも悪くない。
いつもは甘やかして我が儘を聞く俺だけど、気まぐれに王子に甘やかしてもらおう。彼女の喜ぶ顔と優しさと愛情を感じるために。そう思った、なにげない御堂家居候の某日。
Fin.




