3 煤かぶり姫と光の貴公子
意識散漫の中、授業は粛々と進んでいく。
これといって変わらない日々が、余計にベルティアの心に漣を立てる。
朝の出来事が重い鉛のように心の中に蔓延り、まるで泥を飲み込んだかのような気持ち悪さを覚えさせる。
昼休み前最後の4限の授業、特進クラスが故の豪速急かつ高度過ぎる内容は怒涛の勢いで脳内を駆け抜けているが、ベルティアの意識は、やはり蚊帳の外であり、けれど手元はいつものように動いているのか、ノートには流麗と称される模範文字で完璧な書き込みがびっしりと綴られている。
いつもは心踊る経営学の授業も、今日ばかりはつまらない。
そう思っているのに、身体は真面目すぎて、もういっそのこと自分でも笑いが込み上げてきそうなほどだ。
柔らかな鐘の音が響き、授業が終了する。
質問したいことがあり、立ち上がるが、教師の歪んだ顔を見た瞬間、その思いが諦めに変わった。
(———大丈夫、いつものことよ)
図書館に行って調べればいいだけの話だ。
穢らわしい自分の声なんて、誰も聞きたいと思っていない。
なら、自分は話すべきではない
声を上げるべきではない。
そう言い聞かせ、何事もなかったかのように昼食を得るために食堂に向かう準備を始める。
「ちょっといいかな?」
甘く艶やかな声にゆっくり視線を上げると、眩しいものが視界に入った。
(っ、エドワード・ルードバーグ公爵令息………)
柔らかく跳ねた猫っ毛は、貴族にとって最も貴い黄金。
髪色に合わせてあつらえたかのような切れ長の黄金の瞳。
———そして、柔らかくとろけるような笑顔の奥に隠れた嫌悪、否、憎悪………
向けられた悪感情の強さに、指先がどうしようもなく震える。
息が僅かに上擦り、それを隠すために小さく頷く。
手に持っていた閉じたままの扇子をつい左頬に当ててしまったが、それはもうご愛嬌として欲しい。
彼の言葉を待つように視線を上げると、微笑んだままの彼は心底嬉しそうな仮面を被っている。
表情と感情の乖離が酷く、それがなお、ベルティアの心に大きな恐怖を抱かせる。
「放課後、白薔薇庭園に来てもらってもいいかな?」
疑問形ではあるが、表情も圧力も、逃さないと言っているようなものであり、そもそも公爵家の人間のお願いを弱小の辺境伯家が突っぱねられるわけがない。
つまり、ベルティアの返答は決まっているのだ。
「………はい」
頷く以外にできることは存在などそもそもしていない。
平等と謡いながら身分社会の縮図を凝縮させたこの学園は、強者が日々、弱者を虐め、貶し、虐げている。
エドワードの罰ゲームだってそうだ。
彼も普通ならばやらなくてもいい罰ゲームを、第3王子の命令が故に聞かなくてはならなくなっている。
この世界は理不尽に自分たちを傷つける。
傷つける原因を作っているのは、自分たちで、自分たちが傷付いては他人のせいにして余計な苦しみを生み続けている。
倦み疲れて、死さえも望む日々が、繰り返されている。
こんな無駄な日々に、いつ終止符が打たれるのだろうか。
今日?明日? それとも1年とかもっと先?
もう、全てがどうでもいい。
本来ならば、エドワードの誘いだって突っぱねてしまいたい。
でも、大好きで、必死に自分を守ろうと奮闘してくれている父を想うと、それもできない。
ベルティアの未来は、もう、すでに決まっているのだ。
覚悟は決まっている。
やっとのことで微笑みを浮かべたベルティアは、何故か今なお目の前に立っているエドワードに淑女の礼をする。
「ご用件はそれだけでしょうか?お昼を調達せねばなりませんので、これにて失礼させていただきます」
唐突な言葉に一瞬目を見開いたエドワードの横をすり抜け、またあの裏庭へと逃げ込む。
耳裏には、まだ第3王子の放った『罰ゲーム』が酷く粘着質に残っている。
耳を塞いでも響き続ける声は、吐き気をも催す。
あと2限分授業を受けたら、その瞬間はやってくる。
僅かな希望さえも砕かれたベルティアは、乾いた笑いを浮かべながらまるで石のように思える食事を必死に飲み込む。
「あと、………3ヶ月」
卒業まで、意外に長い………。




