11 煤かぶり姫に味方なんていない
穏やかな微笑みの裏に隠れる激情がこんなにも怖いだなんて思ってもみなかった。
「え、エドワード、さま?」
「なあに?ベルティア」
何を怒っているのか知りたくて、不思議で仕方がなくて、だから尋ねたのに、彼の怒りはベルティアに掴みかかった男に向けられている。
「いい歳した男が何で女性にコーヒーかやしてるの?赤子でもこんなひっどい飲み方しないよ」
爽やかな笑みが逆に恐怖を煽る。
「ヒック、なんだ?青二才がっ!」
「………そうですね。僕はあなたに比べたらひよっこですけど………、こんなにも物を溢して飲むなんて芸当できないので、つい」
投げやりな煽り方に、結局エドワードは何がしたいのか理解できず、ベルティアは眉を顰める。
相手の男の酔いの回り方的にこのままでは逆上した相手にエドワードが殴られてしまう。
(引き摺ってでも店から出るのが正解、かな………?)
いざ行かんと彼に手を伸ばした瞬間―――、
「………へくちゅっ、」
思わぬタイミングで出たくしゃみが、全ての人の視線を集めてしまった。
隠密行動の時は我慢できてなぜ今我慢できないのか、ベルティアにはその原理が分からない。
「………エドワードさま、そろそろ次のご予定のお時間では?」
当たり障りなく………と言うには無理があるが、とりあえず店を出る提案を彼に投げかけると、彼は少し離れたところに立っているベルティアにも聞こえるほどの酷い歯軋りの後に頷いた。
「あぁ、そうだったね」
あまりにも悔しそうな表情に、ベルティアは意味が分からなくなる。
「エドワードさま?」
「………行こうか」
「!?」
唐突に握られた手に、ベルティアは驚きを隠せない。
店を出て躊躇いなく歩みを進める彼の行き先も分からない。
ただ無言で力強く引っ張られる。
少し、奥まった道に入った。
人気が消え、街の喧騒が遠ざかる。
閉塞感のある店と店の間の小道は、ベルティアの不安を大きく煽る。
「っ、」
次の瞬間、ベルティアの身体は壁に押し付けられ、顔の横には彼の腕があった。
「なんの、おつもりですか?」
怒りと悲しみに満ちた、まるで慟哭する子供のような空気を纏うエドワードに、ベルティアは困惑が隠せない。
「………なぜ、何故言い返さない。君ならばあんな無能、一瞬で片付けられるはずだ。君にはそれだけの頭脳と、実力がある」
目を見開いたベルティアは、目の前の男が憎むべきクズだと理解していながら、ほんの少し、ほんの少しだけ嬉しさを覚えた。
報われた気がした。
でも、同時に落胆した。
あれだけの事を見て、これだけ自分に関わって、まだ、理解できない。
ぬるま湯の世界で生きるエドワードが、無性に腹立たしくて、死ぬほど羨ましい。
コーヒーで汚れた眼鏡を取り、ベルティアはまっすぐとエドワードの黄金の瞳を見つめる。
にっこり笑うと、彼は目を見開いて固まった。
「無駄だからですよ。何を言っても、何をしても、わたくしは穢れた煤かぶり。あの場で手を出せば、たとえ正当防衛であろうとも、わたくしの負けです」
「?」
「ふふっ、まだ理解できないのですか?」
もういっそ清々しいまでにお坊ちゃんなエドワードに、ベルティアはつい小馬鹿にするような態度をとってしまう。
「たとえば、あの場で殺人が起きたとしましょう。貴族の傀儡たる警察は、まず間違いなく、こう判断するでしょう。穢れた煤かぶりが全て悪いと。たとえわたくしに非がなくとも、わたくしが殺されたんだとしても、煤かぶりのわたくしが全て悪いのだと。存在そのものが悪だとされるわたくしには、貴族社会において誰ひとり味方なんていない。全てが敵」
絶句しているエドワードに、ベルティアは冷めた視線を向ける。
「もう、よろしいですか?今日は余計な仕事が増えてしまったので早く帰宅したいのですが」
項垂れるエドワードに軽く溜息を吐いたベルティアは、再度帰宅を促し、この日は結局ひとりで悠々と馬車を使って帰宅することとなった。
コーヒーによる被害は、ブラウスとペチコートにのみ残ってしまったとだけ記しておこう。




