21-B.勝負
クロスカウンターだ。お互いの拳が完全に同時にお互いの頬に叩き込まれたのだ。人を宇宙に導く人工知能の演算能力によってはじき出された完全な一撃。
脳が揺れる。目の前がぼやける。膝が震える。打たれた左頬が燃えるような熱を持っている。
ただしそれは向こうも同じであるはずだ。
視界の揺れが収まると、レンはまるではじめからそこにいたかのように自然に立っていた。いや違う。本当にそこにいたのだ。それを僕の五感では捉えきれなかっただけ。
「なめやがって......!」
レンが同じく左頬を抑えながらうなる。大丈夫だ。効いている。
それを見たパトリオが言った。
『ひとまずは凌いだな。今は完全にお互いの力が拮抗している。ここからは本当にお前次第だ』
『なんとか耐えるよ』
布石は打った。あとはそれが花開くまで僕が耐えるのだ。
ここからはハッキングなど上等な手段での戦いではない。
一対一の完全な殴り合いだ。
僕の読み通り、レンは武器を持っていなかった。恐らく完全にマテニのハッキング能力を信じ切っており、自らが武器を持って戦うなどということは想像だにしていなかったのだろう。あるいはそのようにマテニに命令されていたのかもしれない。
いずれにせよ、その判断が僕に味方した。
一対一の殴り合いといえば男と男のぶつかり合いという感情のぶつかり合いを想像するが、人工知能がサポートする演算能力を持っている者同士がそれをすればそれは冷徹な計算のもと行われるシミュレーションの検証にすぎない。すべてはあらかじめ予測され、その結果が現実に出力されるだけ。人間の腕や足の可動域なんて大したものではないから人工知能にかかればわずかな筋肉の動きや関節の角度から次に相手が何をしてくるかなんて完全に予測することができる。そして人間の拳や蹴りに対して人体はあまりにも脆弱だ。前腕や手の甲など固い部分でガードできないこともないが、それだって急所への攻撃の肩代わりであって全くダメージがないわけではない。
そうなると導かれる方法はただ一つ。
やられる前にやる、だ。
拳で殴り合えばクロスカウンター、蹴りになればお互いの蹴り足がぶつかり合う。それがまるでダンスのように繰り返された。お互いに蓄積されるダメージは全く同じ。僕とレンの体格や筋力はそれほど変わらないことが幸いした。もし、違えばそれが差になって勝負が簡単についてしまっていただろう。
体のいたるところからサイレンのように痛みが響いている。顔が熱を持っている。瞼が晴れて視界が少しふさがってきている。蹴りを放つための軸足に力が入らなくなっている。
ダンスの種類が徐々に変わっていく。やや力が抜けてお互いが描く軌道が不規則になっていく。
僕は殴り合いの中でレンの様子をじっくりと観察していた。もちろんどれだけダメージが蓄積されているかも大事だ。
しかし今はそれよりも違うところを見ている。
レンのふらつきの頻度が全く同じダメージを受けている僕よりも優位に多い。明らかに殴り合いとは別の要因で彼の行動に支障が出ている。
お互いふらふらになりながらの殴り合い。クロスカウンターになるはずの拳のぶつかり合い。
レンのそれはとうとう空を切った。
ここだ。僕は殴り合いの間合いからもう一歩踏み込むとレンを強く抱きしめた。
同時に今まで守勢に向けていた演算リソースを一気に攻勢に傾ける。
レンを僕を空間に引きずり込む。
知性のコロニーの保育施設。僕たち知性のコロニーで生まれた子供たちがその大半の期間を過ごす場所だ。
床から壁、家具にいたるまでそのすべてが真っ白でふわふわしている。
スミコがレンに向けて大きめのゴムボールを投げた。レンはそれをキャッチする。
今度はレンが僕に向けてそれを投げる。僕が全身でそれを受け止める。
僕は自分が途方もなく幸福な気持ちに包まれていることに気が付いた。しばらくぶりの感覚であるから、はじめはそれが幸福であることすらわからなかったほどだ。
暖かな気持ち。僕はそれが夢の中の産物であることを知りながらかみしめるように味わっていた。
夢の中のスミコが言った。
「ねえ、大人になってもこうやって三人で仲良く暮らしましょうね」
僕がレンに捕まった後、マテニとの対話の前に見ていた過去の記憶をもとに作った空間だ。
僕とレンはその空間を見下ろすようにして中空に立っている。
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