16-C.脱出
真っ白な病室。前に訪れたとき漂っていた消毒液のにおいすらしない。部屋の明かりも落ちていて、頼りになるのは窓から差し込む弱々しい光だけ。彼女の枕もとに置いてある花瓶のアマランサスは当の昔に枯れ果てて、茎の中ほどからぽきりと折れていた。
死んだように静まり返っている。ベッドに向かう僕の足音が耳が痛くなるほどに室内に響いた。
「スミコ!」
見れば、布団の上からでもわずかに胸が上下しているのが見える。思わず全身の力が抜けた。その場にへたり込む。
すると目の前でスミコがもぞもぞと動いた。そしてかすれた声で
「誰?」
「スミコ! 僕だ」
「カケル君? どうしてここに」
「どうしてって。君を救いに来たんだ」
「救うってどうやって、この私を」
「治療のあてができたって言っただろう。だから君をここから連れていく」
「ダメよ」
スミコはひときわ小さな声で言った。
「知性のコロニーの、マテニの統制は以前よりとっても厳しくなってる。仮に見つかったらどうなるか」
「僕と仲間たちはマテニに捕らえられて、そこから逃げ出したんだ。心理調整局ってところだ。今の奴はどうやら何か別のことにかかりきりで僕たちどころじゃないようだ。現に僕の仲間は先に逃げ出した」
「でも危ないわ。私のことなんておいて早く逃げて」
「時間がない。早く行こう」
「ちょっと」
その制止を無視して僕はスミコを背負った。そんなことしたのはそれこそはるか遠い昔だけれど、重さはそのころから変わっていないような気すらする。衰弱している証拠だ。
『スミコの容態を可能な限りウォッチしてくれ』
『分かった。お前と接触しているうちはなんとか確認しよう。今は小康状態といったところだが、時間がないのは確かだ』
『わかってる』
病院を抜け出して、坂を下りていく。スミコは驚くほど軽い。両手がふさがる以外は特に移動に支障がないほどだ。
やがてまたあのドームの前がある通りに着いた。
「スミコ、あのドームの中でやっていること分かるか?」
弱々しい声でスミコが答えた。
「わからない。でも、あのドームができてから見るからに病院から人が減ったわ。知性のコロニーは明らかにあのドームに持てるすべてをつぎ込んでる」
「一体何なんだ。あれ」
それ以上はあきらめて僕は再び出口に向かって走り出した。
「ねえ、レンには会った?」
「いいや。ここまでの道のりで会ってないよ」
「レンも、レンも助けられる?」
「ああ。必ず助けるさ」
「そう。そうよね」
「スミコ?」
スミコから再び力が抜けた。
パトリオが言った。
『安心しろ。眠っているだけだ』
小さく息を吐いた。急がなくては。
行きはこそこそ隠れながら進んでいたが、今は堂々と大通りを走り抜けている。それのに出口までの道のりはかなり遠く感じる。
息を切らしてようやく僕は出口の前にたどり着いた。
そうして、それを感じた。
あいつがいる。
「おい。出て来いよ。こっちだって性能上げてきてるんだぜ」
僕の声にこたえてか、路地という路地からゾロゾロと奴らが出てくる。無数のロボットたち。
そして
「レン」
「よう。役立たず」
「スミコを奪いに来たのか。ならやめとけ。これ以上放っておくとスミコは死ぬぞ。このコロニーの病院はもう機能していない」
はんっとレンは僕の言葉を鼻で笑った。
「まさか。そんなことするわけないだろ。そんな死にかけ」
「っ!」
スミコで両腕がふさがっていなければ殴りかかっているところだった。
しかし、憎む相手は間違いなくレンではない。
『統制が前より強くなっている。どうやら前回の反省を踏まえたようだな』
『解除のキーになるスミコの記憶ごと消したってのかよ。しかし、どうする』
『今や奴らの出方を見るしかないな』
レンが邪悪な笑みを浮かべて
「このまままたお前たちを捕えてやると言いたいところだが、コロニーからの命令はその逆だ」
「コロニーから僕たちを出せ、と」
「全く信じられないが、きっと何かお考えのことがあってのことだろう。ならば俺たちは信じて従うだけだ」
「そりゃあどうも」
「今回は見逃してやる。もう二度とこのコロニーには近づくなよ」
そう言う間に重厚な扉が再び開く。僕は背後に視線を感じながらそれをくぐる。
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