二十三話
「遅くなってすまなかったな」
道雅様が頼成様とそのご家族に向かって謝った。
「そうですよ。もう連れて来れなくなったのではと思いましたよ」
一番年長の女性が拗ねた振りをして返す。
養父となる頼成様は道雅様の両手を掴み、頭を下げる。
「中将様。この度は本当にありがとうございました。顕成を無事ここまでお連れくださって」
「とんでもない。おかげでなかなか楽しい旅だったよ。顕成、困った事があったらいつでも私を頼りなさい——いや、私が頼るかも知れないな。ははは」
「こちらこそありがとうございました」
道雅様が去ると、北の方——養母になる方が僕を見上げて微笑んだ。
「はじめまして。私が母上よ」
「こらこら、先を越すでない。顕成。家族のみんながあなたに会えるのをとても楽しみにしていたのだよ。私の事は兄上でも父上でも好きなふうに呼びなさい」
「あらあなた。あなたが兄上で私が母上だとおかしいじゃない」
「あっ、僕は、父上、母上と呼ばせていただけたら。よろしくお願いします」
「じゃあ私はお祖母様かしら」
年長の女性が僕をじっと見てにんまりと笑う。
年は中将内侍と同じ位で、お祖母様と呼ぶのも申し訳ない気がするが——
「お祖母ちゃまでしょ!」
八歳位の女の子が女性の腕の中に飛び込む。
「一姫、お兄様にご挨拶なさい」
養母——母上が女の子を抱き上げて、僕の前で下ろすと、女の子は母上の足にしがみついて恥ずかしそうに僕を見た。
「わたし、いちひめ」
「僕は顕成。よろしくね、一姫」
お祖母様と父上と母上、幼い妹——
新しい家族ができたのだと、実感してきた。
胸のあたりがほんわりと暖かくなった。
* * *
「もうすぐ前伊勢守の姫君が結婚されるそうだよ」
帰京してふた月ほど経ったある日、父がこう告げた。
前伊勢守様は今も伊勢の時の先生のことであり、その姫君は月姫しかいない。
僕の頭の中はさーっと真っ白になる。
「そう……ですか」
できるだけ平静を装って返す。
「ちょうど前伊勢守に届けようと思った品があってね。祝いの品と言っては気が早いかも知れないが、顕成が届けては?」
「え? 私がですか?」
「帰京した後に少し挨拶に寄ったきりでは? 顕成が顔を見せればあちらも喜ばれるだろうし」
僕は父の提案を断ることもできず、今住んでいる邸から東へ二町ほど先の前伊勢守邸へ向かった。
「あらあら、すっかりご立派になられて」
「先日、無事に元服いたしました」
僕は直衣を着て烏帽子を被っていた。
この前にこちらを訪ねた時はまだ童装束だったので、北の方から見て、僕の印象がだいぶ変わったのだと想像できる。
「私も髪を切らせていただいたと話したであろう」
先生は僕の元服式の際、理髪の役を務めてくださったのだ。
「そうとは聞いていましたが、実際にお姿を見ると実感が沸いて。それで今のご両親はどう? 優しくしてくださるの?」
「ええ、父母ともよくしてくれます。幼い妹もなついてくれて」
「まあ、まあ! それは本当に良かったこと」
「また泣いて。顕成様、北の方は伊勢の生徒たちはみな息子のように思っていた節がありましてね」
「僕も母君のように慕っていましたので同じです」
「まあなんと嬉しいことを」
先生は、涙を袖で拭う北の方を見つめてから、僕の方に向き直した。
「それで今日は父君のお使いとか?」
先生に本題を切り出され、僕は思わず目を下に逸らした。
「はい。宋から取り寄せた硯一式を預かりまして。こちらで縁談の話があることを耳にしたとのことで、ちょうど支度の一つにされてはと」
「なるほど……そういうことでしたか……」
こころなしか、先生の声が低くなった。
「顕成様、あの……」
北の方が言いかけるのを先生は袖でそっと制してから話を始めた。
「縁談のお相手は、かつて私がお仕えしていた上官のご子息でしてね。『姫君が生まれた折には、我が長男と縁を結んではどうか』とお話しくださいましたが、実際に私に娘が生まれる前にそのお方は亡くなられてしまいました。ですので、そのお話もおしまいだと思っておりましたが、ご存じていらっしゃった彼の義姉様である今の中宮様より、御文が届きましてね。ちょうど私たちが伊勢を離れる前のことで……」
僕は黙って伺い頷いた。
伊勢で僕が月姫と結婚させて欲しいと訴えた時、先生に拒絶されて僕は動転し、あまり話を聞いていなかったが、そんなような事もおっしゃっていた気がする。
今の中宮様……か。
高貴な方からのお申し出を断われない先生の立場も今なら分かる。
そして中宮様は当子様の母君だ。
月姫が当子様の話し相手として斎宮に通っていたのも、そんなご縁があったからかも知れない。
僕の知らないところでいろいろつながっていたのだ。
僕は唾を飲み込んでから笑顔を作り、両手をついてお辞儀をする。
「私からも心よりお祝い申し上げます。この度のご縁にてますますの繁栄をお祈りいたします。それでは私は失礼いたします」
邸を出ようとして、何か物音がしたような気がしてふと振り返る。
建物や中庭には誰もいなかった。
「顕成!」
そう叫びながら、部屋を飛び出し駆け寄って来る、振り分け髪の月姫の姿が頭の中に浮かぶ。
しかし次の瞬間、冷たい秋の風が吹き抜け、しんとした静けさに包まれる。
この邸内のどこかにいるはずだ。
伸びた髪を垂らし、香をたき、口には紅を差した月姫が。
今、本でも読んでいるのだろうか。
何か書いたりしているのだろうか。
その姿を見ることなく、僕は静かに門をくぐった。




