二十二話
「怪我はないか? 一人にしてすまなかったな」
道雅様は僕の両手を縛っていた紐をほどきながら尋ねた。
僕は自由になった手の裏表を確認する。特に問題はなさそうだ。
「あの男はどうなるのですか?」
峰央が切りつけた男は亡くなってはおらず、よろよろと立ち上がせ、どこかに連れて行かれる様子だった。
「叔父の邸に連れて行き、牢に捕らえておくつもりだ。実は被害に遭ったのは私の妹でね」
「妹君でしたか。その、大丈夫でしたか?」
さっきの男の話を思い出しながら訊く。
「あいつは部屋に忍び入る前に逃げ出したようで、本人は何も知らず元気にしておったよ」
「それは良かったです」
「つまり大事には至らなかったと。ちょうど近くに道雅がいてくれて助かった」
そう言いながら、道雅様の叔父、藤原隆家様は僕をじっと見た。
「で、この若君が例の?」
「はい。頼成の養子で顕成と言います」
道雅様の紹介に合わせて僕は頭を下げた。
「そうと知らなければ、男装した姫君かと勘違いするところだったな」
水干姿でも女に見えると言われ内心傷ついたが、隆家様は続けた。
「さて、あの図書少允をうちの牢に閉じ込めたはいいが、どうするかな」
あの男は図書少允だったそうだ。
「叔父上、妹のためにも世間には知られないようにしたいのですが」
「そうだな。未遂とは言え、未婚の姫君が男がらみの事件に巻き込まれたと言われてはな……」
今後の縁談に差し障りが出る、という事か。
そう気付いて、あ、と声が出る。
「どうした、顕成?」
道雅様が僕を見た。
「あの男ですが、ふに落ちないことがありまして」
「どうしたのだ?」
「帯刀していました。武官の刀のようでした。慣れた扱いではありませんでしたが」
「確かに刀が落ちていたな。図書少允には無用のものだが」
「姫君の護衛の侍で怪我人は?」
「いや、誰も。あいつはすぐに逃げ出したようだが」
「用意したのに使わないのは何故でしょう」
「確かに、おかしいな」
「第二に、僕が乗っていたのは女官が乗るような女車でした」
「女車?」
隆家様は怪訝な顔をして道雅様を見た。
「手違いがあってそれしか用意されていなかったのです」
道雅様は肩をすくめた。
「男は狙ったように車に入ってきたのです。そして僕を見て一瞬ぎょっとしたようでしたが、牛飼童を刀で脅して車を動かすよう告げました。改めて、先ほどの隆家様のように僕の顔をじっと見て確認してから、姫君と和歌を交わしたことなど、これまでのいきさつを話し始めたのです」
「それは何とも不自然な」
「今思えば、僕を女性だと、たとえば東豎子(男装の女官)とでも思ったのでは? 彼の狙いは姫君に通う男がいると噂を広めること。そして、牛飼いを脅して遠くまで逃げるつもりだった。しかし、偶然にも道雅様が借りた車であった事は誤算だったのでしょう。そして刀を彼に貸した上位貴族がいるはずです」
「なるほど。狙いは姫の今後の縁談を潰すこと、か」
「叔父上、もしかして黒幕は」
「おそらくな。我々が考えていようがいまいが、后がねになりそうな芽は潰す。あのお方のやりそうなことだ」
「ではあの男はどうしましょう。処刑してしまいますか?」
「そんなことをしたら向こうの思うつぼだ。放免するしかないな。まあ役目失敗であちらがどうにかするだろう」
后がねを潰す——あちらとは藤原道長様側の陣営か。
道雅様の父君であり、隆家様の兄君でもある伊周様が政敵であった事はあまりにも有名だ。
その姫君が、今上や東宮の后となり、お子が産まれれば、隆家様や道雅様の家に権勢が戻る、と考えられなくもない。




