ホットコーラ
深夜、悪夢から飛び起きた。
眠気はあるけれどもう一度目を閉じれば悪夢を見るのが分かりきっていた。
悪夢を見て泣き叫ぶような愚行を犯さなくなってもう結構経つけど、それでもほぼ毎日悪夢を見る。
そして、今日のは特にひどい夢だった。
いつもなら諦めと共に瞼を閉じるのに、今日はもう続きを見たくないと思う程度に。
間接照明をつけても不安は拭えなくて、星でも見ればと思って窓の外を見てみたらどんよりとした曇り空が広がっていた。
どうしようと思った、眠るつもりはないけれど、何をするにしても気分が落ち込んでいる。
PCで動画でも見るか、付き合いで買ったゲーム機の電源でもつけるか、けれどもやっぱりどれも気が進まない。
暖かい毛布にくるまっていたはずの手足が冷たくて、ふと、暖かい飲み物でも飲みに行こうかと思った。
靴かスリッパどちらを履くか迷って結局スリッパを選ぶ。
部屋を出て、最低限の照明しかついていない薄暗い廊下を進んで、キッチンへ。
幽霊でも出そうな雰囲気だけど、そんな非科学的な存在があり得るわけないので怖くなんかない。
ほぼ毎日魔術師とかいう非科学の塊みたいな奴と関わっているけど、それとこれでは話が別だろう。
とにかく、幽霊なんて出るわけないのである。
そう自分に言い聞かせているうちにキッチンにたどり着いた。
照明をつけて、さて何を飲むかと考える。
ホットミルク、眠くなりそうなので却下。
コーヒー、体質に合わないのかお腹が痛くなるのでやめておく。
茶類、下手に手を出すと関節技を喰らってしまう。
一通りそれらしいものを考えてうーんと唸る、今回に限っては一番無難なホットミルクを選択肢から外すしかないので難しい。
いっそインスタントなスープでも飲むか、と固形スープ置き場を漁ろうとしたところで、ひたり、ひたりと足音が。
「っ!!?」
勢いよく振り返って入り口を見る、まだ何の姿も見えない。
やましいことなど一つもないが、自分が今ここにいることを誰かに責められそうな気がして、心臓が少しだけやかましくなる。
そもそもどうしてこんな夜更けに自分以外の何がこの建物で活動している?
足音は小さく、こちらに近付いているのはわかるのに、聞き取るのが難しい。
隠れるか、それとも堂々としているべきか、そもそも足音の主は何なのか。
先日ホラーな映画を見てしまったせいだろう、それに出てきた血まみれの赤子とも獣とも言えない何かが頭に浮かんで、嫌な汗が。
小さな足音はどんどん近づいてくる、身動きが取れない。
ただ入り口を見ていると、小さな影が入ってきた。
それが何であるのかそれでやっとわかって、全身から力が抜ける。
入ってきた小さな人影はこちらを見て、冴え切った目でこちらを見て小さく首を傾げた。
「あら、お姉さん。珍しい時間にお会いしましたね」
真昼間と変わらぬ目、眠気なんて欠片も感じていなそうな幼い女の子がそんなふうに声をかけてくる。
「……なんだ、コトハだったのね」
「はい?」
コトハは意味がよくわかっていなそうな顔をしていた、格好悪いので一生こちらがさっきまで抱えていた不安なんて察してくれるなと思った。
「どうしたのこんな夜更けに。子供は寝る時間よ、って言いたいところだけど、そういえばあなた、寝なくても平気なんだっけ」
眠らずの魔術だったか、とにかくそういうものがあるらしく、この子はもう随分と眠っていないらしい。
一日二日の話ではない、週を超えて月単位で。
「ええ、寝なくて平気なのです」
「……もう何日寝ていないの?」
「さあ? 数えていないのでなんとも。けど半年は超えていたかと」
平然とした顔で答えた子供の顔を見る。
健康に悪影響はないのだろうか、ないらしいという話は以前聞いたが本当なのだろうか。
「大丈夫ですよ、頑丈なんです、魔術師って生き物は」
こちらの不安を察したのか、子供は表情を変えずにそう言った。
「そう……それで、どうしたの?」
「喉乾いたんでコーラ飲みにきました」
夜中にコーラっていいのだろうか、いくら昼夜関係ないとしても。
「こんな寒いのによくコーラなんて飲む気になるわね」
「あっためて飲むんです」
「炭酸抜けない?」
「抜けちゃうので、あっためた後にちょっとだけそのままのコーラ入れるとしゅわしゅわが復活します。結構美味しいんですよ、本当です」
そう言いながら子供は冷蔵庫から二リットルペットボトルのコーラを取り出す。
紙カップにドボドボとコーラを注いで、それをレンジに。
「ところでお姉さんこそ何故こんな時間に?」
「……あなたと同じよ、何か温かいものをと思っただけ。何を飲むか迷っていたの、コーラ、もらってもいいかしら?」
コーラを温めるってどうなんだろうと思いつつ、他に何も飲みたいものとか思いつかなかったのでそう聞いてみると、ペットボトルを渡される。
礼を言って子供と同じようにコーラを紙カップに注いで、レンジで温める。
温めが終わった紙カップに冷えたままのコーラを注いでいると、すっとレモン汁の容器を差し出された、入れろということなのだろう。
素直に数滴レモン汁を落として、一口。
「あ、結構美味しいわねこれ」
思っていたよりもずっと美味しかった、甘くて温かい。
「ならよかったです。ちなみに生姜とか入れても美味しいですよ」
子供は今度試してみてくださいね下手くそな笑顔を浮かべた。
笑顔の練習、続けているらしいけどその成果はあまり出ていないらしい。
そのまま、特に話すこともないので互いに無言でコーラを飲む。
自分よりもずっと小さい女の子と過ごしているうちに、悪夢の記憶が薄れていく。
「……ねえ、眠らない、ってどんな感じなの?」
なんとなく、ずっと前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「どんな、とは?」
「……一日中ずっと起きているのでしょう? それと本当に疲れたり、身体がおかしくなったりしないの?」
「身体に関しては本当に大丈夫なのでお気になさらず。眠らないだけで休息はちゃんととっているので、ここに来る前だって休憩がてら空を見上げてぼんやりと、今日は曇っているのでつまらないですけれどね」
「そう。……一日中起きてて退屈じゃないの? というか夜は何をやってるの」
「退屈ではないですよ。夜も昼と変わりありません。鍛錬したり魔術書漁ったり部屋でゲームしたり……ああ、けれど星空を見られるのは夜の間だけですね、今日は見れませんけど」
子供はコーラを一口飲んだあと、というかですね、と前置きしてからこんなことを言い出した。
「私としては一日のうち何時間か意識がなくなって、その挙句に夢なんてものを見るはめになる時間がある方が余程怖いです」
「…………怖いの?」
意外だった、この子供の口からそんな単語が出てくるだなんて思ってもいなかったので。
ズタボロの身体で戦わされて、それを大勢の観衆から嘲笑われるのが普通だった女の子。
それが当たり前だと極々普通に受け入れていた、壊された子供。
そんな子が素直に恐れを感じられるようになったのは良いことなのか悪いことなのか、判断に迷っていると子供は言葉を続けた。
「ええ、怖いです。胡蝶の夢って知ってます? 現実と夢の区別がつかなくなるっていうお話……私、寝ると夢を見るんです、ここに来る前の夢を。それで、ここで目を開いた時にこう思うんです。どっちが現実で、どっちが夢なんだろうって。……だってここは、お姉さん達がいるここは、私にとって都合が良すぎる……」
都合が良すぎるとそう思ってくれるのか、それならきっとそれは、いいことなのだろうと思う。
けれどもどちらが夢か現実なのかわからない、というのはあんまりよろしくない状態だ。
人のことを言えた状況ではない我が身を振り返ってそう思った。
自分だってふと不安に思うことがある、ここにいる自分は全部夢で、本当はまだあの実験施設で延々と嬲られているのが現実なんじゃないかって。
その度に首の傷に手を触れると少しだけその不安が和らぐ、なんてこと誰にも話すつもりはないけれど。
きっとこの子に必要なのはそういうものなのだろう。
ここが現実であると信じられるような何かがあればいい、けれどもこの子にとってその何かとはなんだろうか?
「夢と現実、どちらが本当かわからない、か。こっちが本当だと信じられるような何かがあればいいのだけれどね、何かないの?」
「……ない、です。夢に痛みがないなんて話も聞きますし、よく顔をつねって痛ければ現実、なんてお話も読みましたけど、どっちも痛いんです」
「あー……」
痛覚で判別がつかないというのも自分と同じであるらしい。
こんな小さい子をこんなふうに追い詰める世界なんて、とは思ったものの、ここはその小さい子が生きている世界でもあるので軽率に滅ぼす、なんて話には持っていけない。
そのあと、どうしたものかと考えてみても答えは出てこなかった。
けれども子供はもう二度と眠るつもりなんてないから、別に解決する必要がある問題じゃないと、なんてことないようにそう言い切った。
そういえば寝る子は育つ、だから早く寝なさいと言われて育った時期が一応自分にはあるけれど、眠る気のないこの小さな子供の身体は果たして成長するのだろうか。
身長とかちゃんと伸びるのだろうか、とはいえこの子供に背の高さを抜かれたくないだなんてエゴなことを全く考えてないとはいえないけれど。
追い抜かれたらやだなあなんて思いつつ、ふと自分のそばにいる巨大な男のことがよぎった。
どうしよう、彼みたいにデカくなったら、この子も彼も一応、彼と同じ魔術師という生物だ。
自分を見下ろす二つの巨影をうっかり想像してしまい、少し眩暈が。
とはいえ、多分きっとおそらく、そんな未来はやってこないだろう。
それに魔術師全員がデカいとかそういうわけでもないのだ、彼だけが特別デカいだけで。
きっと寝ない子は育たない、育たないとはいってもある程度は成長して、自分よりも少しだけ低いくらいの身長までは成長するのだろうと予想する。
きっとそう、そうに違いない。
自分よりも少し低いくらいだったら平均は確実に下回るけど、ものすごく小さいというわけでもない、そのくらいの身長なら多分いくらでもいる、多分。
自分が魔術師で、この子と同じ魔術を使えたとしたら、きっとなんの躊躇いもなく眠らないという選択肢を取るだろう。
そうすれば悪夢を見ずに済む、悍ましい痛みの記憶に苛まれることだってきっとなくなる。
そんな泣き言を子供相手に言うのは格好悪いから、口にはしないけど。
紙コップに口につけて、いつのまにか空になっていることに気付いた。
手足はすっかり温まっていた、欠伸が出そうになったのでそれを噛み殺す。
子供の方をちらりと盗み見ると、そちらも飲み終わったらしい。
紙コップをぐしゃりと握る潰してゴミ箱に放り込む、同じく紙コップを捨てた子供にこう問いかけた。
「この後はまた鍛錬?」
「いえ、今日の分の鍛錬は終わったので」
「じゃあ、この後一緒に映画でも見ない?」
そう提案すると子供は目を丸くした。
「まだ真夜中ですよ? お姉さんは寝た方がいいのでは?」
「今日は目が冴えちゃって、もう眠れなそうだから。……付き合ってくれる?」
「……そういうことなら」
ふっと子供は表情を和らげた、よく見ないとわからないくらいの変化だったけど。
そういう顔ができるようになったのならよかったと素直にそう思う。
子供なんだから健やかに楽しく元気に生きてほしい、そう生きられなかった過去をもつ自分が、今心の底からそう思える人間でよかった。
「ふふ、ありがと。ポップコーンは夜中なので流石にやめておきましょうか。ふふ、何見ようかしらね……何か見たいのとかある? なければ適当にコメディな感じのにするけど」
「うーん、映画はよく知らないので特に…………ぁ」
なんとなく予想していた回答をした子供が、最後に不可解な声をあげた。
その視線が自分の後ろ、その上方に向いている、心なしかその顔が強張っているようにも見えた。
「すみません、やっぱり今日はなしで」
「え、何よ、急に」
いきなり断りの言葉を口にした子供に訝しんでいると、小さな声で後ろ、と言われた。
振り返った、大男がすぐそこに立っていた。
今が真夜中で、すぐ隣に小さい子がいたからどうにか叫ばずに済んだ。
そうじゃなかったらこの建物にいる大体の人間が殺人事件でも起こったのかと慌てて様子を見に来るような大絶叫をあげてしまっていただろう。
大男はじいっとこちらを見ている、うっすらと不満げな顔で、何も言わずに。
いつから、一体いつからそこにいたというのか、全く気づかなかった。
ホラー映画なんかよりもずっとずっとホラーだった、ここ最近で一番怖かったかもしれない。
「……コトハ」
大男は自分ではなく子供の名前を呼んだ。
「はい、部屋に戻ります。戻って勉強でもしてます、それでは。お姉さんまた明日」
軽い足音がパタパタと去っていく音、あの子、一人で逃げやがった。
いや、これは逃げるか、普通なら逃げる。
逃げようと思えるほどの感情が育まれているのであればそれは良い成長なんだろうと、と現実逃避にそう思った。
「こんな夜更けに何をしている」
真っ黒な目にじとっと見つめられて、言葉が出てこない。
怖い、ホラー映画なんかよりもずっと怖い。
この男は無表情が標準装備なのでそれが少しでも崩れているのが怖い、音も気配もなく現れた時点でものすごく怖かったのに。
頼りたくはなかったけれどただそこにいるだけで心の支えになってくれる小さな女の子はもういなくなってしまった。
いっそ自分もあの子に続いて逃げてしまおうか、そう思いつつ身じろぎしたら肩を掴まれる。
「何をしていると聞いている」
「…………喉が、渇いたから飲み物を」
かろうじてそれだけ答えた、答えたのに大きな手は離れていかない。
「それで?」
「目が冴えちゃったから映画でも、見ようかなー、と」
正直に答えると、男はこちらの言葉の真偽でも探っているのかじいっと数秒見つめて、小さく溜息を吐いた。
「……今何時だと思っている、寝ろ」
「いやだから目が冴え……ひゃあ!!?」
話している途中で、いきなりひょいっと綿が大して詰まっていないぬいぐるみのように抱き上げられてしまった。
いわゆるお姫様抱っこというやつである、いきなり何をするのかと男の顔を睨むが、男はこちらの視線を完全に無視して静かに歩き出す。
多分これはこちらが不満を口にしたところで聞く耳を持たれない、そして暴れたところで脱出は不可能だった、腕力に差がありすぎる。
揺れはほとんどない、足音も聞こえない、この男はどうしてこんな無駄と言ってもいいくらい気配や音を消すのが上手いのだろうか。
そんなことを考えているうちに男が立ち止まった。
「鍵」
一瞬何を言われたのかわからなかったけど、男が立ち止まったのが自分の部屋の真ん前だったことに気付く。
素直にいうことを聞くかどうか迷っていたら顔をガン見される。
「は、はい」
それ以上見られたくなかったので素直に鍵を差し出してしまった。
男は片腕で器用にこちらの身体を支えたまま鍵を受け取り、部屋の扉を開ける。
そのまま男は特に断りの言葉もなく部屋の中に入って、こちらの身体をゆっくりとベッドに横たわらせた。
いつの間にか履いていたはずのスリッパの感覚がない、多分どこかのタイミングで脱がされたらしいが気付かなかった。
男はこちらの身体にやけに丁寧に毛布をかけて、そして一言。
「寝ろ」
睨んでいるわけではないけれどじとっとした目で見下ろされる、大きな身体で窮屈にしゃがみ込んだ男の目の位置と自分の顔の位置は近い。
「……わかったわよ、寝ればいいんでしょ、寝れば」
寝れないのだと馬鹿正直に言うか素直に言うことを聞くふりをするか迷って後者を選ぶ。
こいつがいなくなった後、少し時間をおいて映画を見にいけばいい。
一度その気になってしまったので、そういう意味でも今更寝れそうにないのだ。
確かに今は真夜中で、本来だったら寝ているべき時間なのだろう。
けれども一日二日位なら眠らずとも問題はない、というか今夜だって全く寝られていないというわけでもないのだ。
多分、二、三時間は寝ているはずである、なら今夜はそれで十分だということにしてしまう。
今日はもう、寝ないし寝れない、絶対に起きててやるし映画見る。
そう決意したのを気取られないように毛布を頭まで被って「おやすみ」と言う。
「おやすみ」
そんな声が聞こえてきた、耳を澄ましてみるけどそれ以外の音は聞こえなかった。
きっと音もなくこの部屋を去ったのだろう。
そういえば鍵を渡したままだったことに気付く、とはいえ悪用されはしないだろうし、一応合鍵もあるので明日の朝にでも返して貰えばいい。
目をかっぴらいたまま五分ほど時間をおいて、毛布から顔を出した。
真っ黒な目と目があった。
「っ!!? …………なんで、まだいる、の」
しゃがみ込んだままこちらを見ていた、まだそこにいた男に恐る恐る問いかけると、どうせはじめから寝る気なんてなかったんだろうと静かな声が返ってきた。
どうやら普通に勘付かれていたらしい、こんなことならもう少し駄々をこねて渋々言うことを聞いた風を装えば良かった。
「寝る気がなくとも目を閉じろ、余計なことを考えなければ自然と寝付く」
それで寝付けるのは普通に眠たい人だけだ、と抗議しようとしたら大きな手のひらで目元を覆われた。
「ちょっ……!!」
押し付けられた手のひらはやけに温かい、そういえばこの男は体温が高い方だったと思い出す。
「いいから寝ろ。大丈夫だ、魘されていたら起こしてやる」
そこまで言われて自分がどれだけこの男に見透かされていたのかやっと気付いた。
そこまで見透かされていたのがすごく悔しい、情けない、自分が嫌になる。
でも、一番悔しいのはそれじゃない。
起こしてやると言われて安心してしまった自分が、本当に嫌で嫌で仕方がない。
だってもう気が緩んできた、頭がぼーっとしてきた、目元を覆う手のひらの暖かさが心地よくて、なんか普通に眠くなってきた。
悔しい、悔しい、こんなことで……




