ゆめとうつつ
気がついたら、両手両足を金具で拘束されていた。
明るすぎる照明がこちらの身体を照らしている。
どうにか首を動かして確認しても無駄だけど自分の胴体を見る。
裸のままの胸と腹、それから脚が見えた。
あ、そっか。
夢か。
全部夢だったんだ。
偶然ここから逃げ出せたことも、あの『死神』のような男に殺されそうになったのも、その後妙な場所に連れてこられて妙な話をされたのも、全部。
全部、全部、夢だった。
どう考えても現実はこちらだった、あんな自分にとって都合が良すぎる夢、痛みのない場所に連れて行ってもらえたなんて。
夢だった、あんなのはありえなかった、現実はどう考えてもこっちで、きっとこんな痛みから逃げたかったあたしが夢見てしまった幻想で、幻覚で、妄想で、全部嘘で、全部間違っていて。
「あ」
照明の光を反射し輝く銀色の機械が、こちらに向かってゆっくりと伸びてくる。
実験を始めよう、と声が降ってきた。
やだ。
いや、いや、もうやだ、やめて、たすけて。
あんな痛みのない夢を見たばかりの、さっきまであんな都合のいい幻想に浸かっていた自分が、いつも通りの痛みに耐えられるわけが。
ずぶりと、銀色の機械の先端に取り付けられていた鋭い刃が、あたしの腹に埋まった。
痛い。
あ、やだこれやだやめてやめてやめて。
くるりくるりと刃が回る、おなかのなかみがかきまわされる。
いたい、いたい、いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい、いたいしかない、おなかが。
いたいのがふえた、あしとうで、よんほん、さされた。
ぜんぶまわる、ぜんぶくるくると、おなかもあしもうでもぜんぶ。
つめたくてあついなにかがおなかのなかにぶちまけられた。
たえられない。
いたい、ほんとうにいたい、それだけしかない。
だれかころして。
ころして、だれでもいいから、こんなのがつづくくらいなら、だれかおわらせて──
声が降ってきた。
それは、自分の名前と同じ響きをしていた。
首が、肩が、というか上半身が大きく揺れている、肩のあたりに温かくて大きな何かがある。
「あ、ぇ」
いつのまにか閉じていた目を開く、覚えのある男の顔が、『死神』の顔がすぐ近くにあった、何故か少し歪んでボケて見えるけど。
頭を動かして自分の身体を見下ろした、裸ではなく薄いパジャマに包まれていた。
片手でお腹を押さえてみても、穴はないし痛くもない、そういえば脚も腕も痛くない。
ぼたぼたと自分の顔から水滴が落ちていった、これはなんだろうか?
「あ、ああ」
ほんとうは、どっち。
どっちがほんとうでどっちが夢? わからない、何もわからない。
ここが全部嘘なんだきっと、そうじゃなければおかしい、だっておかしい。
だって、あんなのから逃げられるわけがない。
だから、こっちが嘘だ、こっちが全部夢なんだ。
あたしの心はきっとおかしくなってしまった、こんな都合のいい夢を見てしまうくらい。
痛くない、苦しくない、そんなの全部嘘に決まっている。
だから、現実が、本当が、痛くて、あんなにも痛くて、痛くて、どうしようもない。
こんな夢を見るまでは耐えられていた、苦痛が当たり前になっていたから、最初の頃に比べると少しは耐えられるようになってきていたのに。
それが全部なしになった。
いたいのが、たえられなくなる、もっともっとつらくてくるしくなる。
蛇口を全開にしたみたいに目から涙が溢れていく、痛くないのが怖い、この後絶対にまた痛いのが来るから──
あったかい何かが自分の身体を覆った。
「大丈夫だ」
耳元で低い声、ちょっと前の自分を殺そうとした、自分と命とやらが繋がっているらしい男の声。
その声に引き上げられて、身体と心が痛みのない世界に順応していく。
数回深呼吸して、心を落ち着かせる。
「…………もういい、毎度毎度、悪いわね」
自分を抱きしめる『死神』にそう言うと、『死神』の身体がゆっくりと離れて行った。
「……もう、落ち着いたか?」
「うん……」
目を合わせてくる男に小さく頷いた。
これで何度目だったか、三度目か?
寝るたびにあたしは悪夢を見た、その度に大体大声で泣き叫んでいるらしい。
何度か泣き叫ばずに済んだ夜もあった、それでもほぼ毎晩、泣き喚いてしまっている。
その度にこの『死神』があたしを無理矢理起こして落ち着かせる、そんなのがもう三回も。
情けない、悔しい、こんなことでこの『死神』の、いや誰かの手を煩わせたくない。
それと同時に夢見るたびに不安が募っていく、どちらが本当なのか、と。
こちらが本当であればいい、あちらが正しくただの悪夢であればいい。
けど、それが正解なんだろうか。
この世界こそただの夢で、痛みから逃れるためにあたしが作り出した妄想の世界なのかもしれない。
『死神』の顔を見る、見たところでどっちが本当かなんてわからなかった。
抱き起こされていた身体を後ろに倒す。
「もう、大丈夫だから。いつもいつも、ごめんなさい」
「謝る必要はない」
無機質な声が降ってくる、何を考えているのか相変わらずよくわからない。
本当は全然大丈夫ではないけれど、大丈夫なふりをしておかないと『死神』はあたしのそばにいようとするので、そう言っておいた。
今が何時かはわからない、けれどきっと遅い時間なのだと思う。
「本当に、大丈夫か?」
「大丈夫だって言っているでしょ」
こちらを心配する声に背を向ける、こういうことしかできない自分が情けない、涙がまた溢れてきやがった。
「……そうか。何かあったら呼べ」
そう言い残して、『死神』は去って行った。
ベッドの中で丸まって、首に残った傷跡に触れる。
そうすると少しだけ心が落ち着くのに気付いたのは昨日のことだった。
だって、あの悪夢の中であたしに刻まれた傷は全て毎回、元通りにされていた。
だから傷が残っているこの身体に、この傷がある世界なら大丈夫だと、そう思って。
たとえあの悪夢が本当だとして、この世界が全部嘘という残酷な話が真実でしかなかったとしても。
それでもこの傷がある限り、こちらの世界に痛みはない。
この世界がもしも嘘なら、きっといつか現実の痛みに侵食される。
この痛みのない夢も痛みまみれの悪夢に変わり果てる日がいつか必ず来るだろう。
けれども、この首の傷跡が残っているうちはきっと大丈夫だと、そう願っている。




