映画
映画を見たい。
理解しなければならないことを理解した後、精神的に暇になった時にふとそう思った。
暇は怖い、余計なことを思い出す。
お腹の中がぐちゃぐちゃにされる痛みが、どこからともなく自分をこじ開ける銀色が、上の方から降ってくる声が。
その度に身体を抱えて冷たい汗をかいて、時には涙も流してガタガタ震える。
考えたくないことを考えないようにするためには、別のことを考えればいい。
別のことを考えられないのだったら、別のことをして強制的に思考を切り替える。
先生が昔そう言っていた。
じゃあ他のことって何と思った。
まだ静養していた方がいいとのことで、ここにいる連中は自分に何もさせようとしなかった。
というか身体と精神が良くなったとしてもおとなしくしていろ、とまで。
けれど、何もしていないと余計なものを思い出す。
だから何かを、と思った時に『施設』にいた頃、ともだちが話していた映画を見てみたいと思った。
生まれてすぐに『施設』送りになった自分と違って、その力の詳細が判明するまでは外の世界で普通に生きていたあのこが話していた映画。
シリーズというわけではないらしいが同じ監督が作っている映画と、シリーズものの映画。
どちらもアニメ映画であるらしい、かろうじて監督名とシリーズのタイトル名は覚えていた。
映画というものは映画館で見るのが普通らしいが、それ以外のものでも見られる。
『施設』にいた頃、どうしても映画というものが見てみたいと先生に駄々を捏ねた時もそうだった。
普段は教育用の映像を流すテレビで、内緒だよ、って。
その時見せてもらった映画のタイトルも内容も覚えていない、実写だったことと内容がかなりつまらない、というか全く子供向けの作品でなかったらしいことだけはかろうじて。
ごめんね、これしかなかったんだ、と先生に両手を合わされたのだっけ。
長が欲しいものがあったら遠慮なく言ってほしい、高額なものでなければ大体用意できると言っていた、それなら映画が見たいので関連機器を貸して欲しい、という程度ならそこまで嫌な顔はされないだろう。
そう思ってつい最近自室として割り当てられた部屋から出る。
ここは元々ホテルだったらしい、それを長が買い取って適当に改装した、と。
元々ホテルだったので部屋だけは有り余っている、好きな部屋を使うがいい、と言われたので深く考えずに景色が良さそうな最上階あたりにしよう、と思っていたのに何故か中層にある『死神』の隣の部屋になってしまった。
あの『死神』が何を考えているのか正直よくわからない。
表情がほとんど動かないのだ。初めて会った時は恐ろしい笑みを浮かべていたけど、あれはどうもかなり特殊なことであったらしい。
淡々とした声からもその真意が図りづらく、おまけに見たことがないくらいの大男なので色々な意味で怖いし、なんか不気味だった。
自分とあの『死神』の命は繋がっているらしいけど、できればあんまり、関わりたくない。
そんなことを考えつつ廊下に出て、左右を確認。
誰もいなければいいと思っていたのに、階段の方からちょうど『死神』が姿を現した。
気まずさを感じつつぺこりと頭を下げて無言でエレベーターに向かう。
向こうも特に用事はなかったのか、こちらに声をかけてこなかった。
すれ違ったその直後、反射的に思わず振り返った。
馴染みのある、赤色を連想させる嫌な臭いを感じだからだった。
「どうかしたか?」
こちらが勢いよく振り返ったその気配を感じ取ったのだろう、『死神』も振り返ってこちらを見る。
「怪我、したの……?」
どう聞くか迷って結局普通にそう聞いた。
『死神』は何も答えなかった、ただ無言でこちらの顔を見詰めるだけ。
「怪我したのなら、医務室に」
「いや、無傷だ」
ならその臭いはなんなのか。
問い詰めようと一歩近付いたところで『死神』は静かな声でこう言った。
「少々血生臭い仕事をしていた。不快な思いをさせたのなら謝る」
血生臭い仕事、そこから真っ先に連想したのが害獣の駆除だった。
人間以外にも超能力を持つ動物が稀にいる、人間ほど脳の機能が発達していないとかの理由で人間以上の能力を持つ動物は滅多にいないらしいけど。
それでも放置すると危険なのでそれを駆除することを生業にする人々がいる。
なんて話を『施設』で聞いたことがあった。聞いてすぐに自分の物騒な力を一番役立てることができるのはその仕事かも、なんて思った頃も思い出す。
男の顔を見上げた、相変わらず何を考えているのかちっともわからない。
「ええとその……害獣の駆除とか、そういうお仕事?」
「…………ああ、そんなところだ」
変な間があったがそう答えられた、感情が読み取れない顔をどれだけ見てもその言葉の真偽はわからない。
「本当に怪我はないの?」
「ああ。……一度はお前を殺しかけた男がそう簡単に負傷するとでも?」
そう問い返されて、反論の言葉など何一つ出てこなかった。
そうだった、この『死神』は自分の必殺のビームを一度どころか数十回余裕で避け続けた異常な身体能力を持つ男だった。
そんな男を心配するのは無駄だったかもしれない。
「……そうね。怪我をしていないのならいいわ。引き留めて悪かったわね」
そう言って立ち去ろうとしたら静かな声で「どこに行く気だ」と聞かれたので「長のところ」とだけ答えると、「そうか」とだけ返ってきた。
長に映画を見たいから関連機器を貸してほしい、と頼んでみたら「なら視聴覚室を使うといい。どうせ誰も使っていないし」という言葉が返ってきた。
「視聴覚室……?」
「うん。前も言ったけどここ、元々はホテルだったからさ、結構色々施設があるんだ。とはいってもそのほとんどが今、誰も使ってないんだけどさ」
長は笑いながら「映画見るんだったらポップコーンでも持ってけば? キッチンのお菓子コーナーに置いてあるから好きなだけ持ってっていいよ」と付け加えた。
映画といえばポップコーン、ともだちも昔そう言っていた。
「なら、お言葉に甘えて」
「そこら辺の館内地図を見れば場所はわかるかな? ああそれと、しばらく使われてないから先に掃除した方がいいかも。まだ万全じゃないだろう? 誰かに」
「ううん、大丈夫。掃除くらいできる」
「そう? ……あんまり無茶しちゃダメだからね」
「平気、大丈夫」
なんてやりとりの後、掃除道具の保管場所を教えてもらって、現場に赴いた。
思っていたよりも広かった、一人で使うのはもったいないくらいに。
しばらく使われていないという話だったけど、そこまで汚いという感じではなかった。
それでもリハビリがてらと掃除を開始する。
「手伝おうか」
掃除を始めてしばらく経って、もう終わりでいいかと思ったその時に後ろの方から声が聞こえてきた。
気配も何もなく唐突に聞こえてきた声にぐるりと身体を回してそちらを見ると、あの『死神』が幽霊のようにそこに立っていた。
「っ!!? け、結構よ!!」
悲鳴をどうにか飲み込んでそう答えた、出てくるんだったらもっと存在感を出してほしい、なんだってあんな存在感ありまくりの大男のくせに気配というものが希薄なんだろうかこいつは。
「というか何の用!!?」
「……中々戻ってくる気配がないから何か問題でもあったのでは、と。長のところに赴いたら、ここにいると聞いて」
「それで様子見に来たってわけ?」
無言で首肯された。
その顔を見上げる、相変わらずなにを考えているのやら。
何だか居心地が悪くなってきたので、追い払ってしまおう。
「……何の問題も起きていないし、何の問題も起こしていない。他に用がないなら……」
さっさと帰れと言ってしまっていいものかどうか、喋っている途中でふと不安に思って、言葉が止まってしまった。
『死神』はそんなあたしの顔を見て、ほんのわずかに表情を変えた気がした。
「そうか。いない方がいいというのならそうする」
そう言った声色が、こちらを見る目が本当に僅かに、本当にちょびっとだけ寂しげなものに感じた。
本当に、本当に僅かな差だけれど、それを差として感じ取れた自分にまず驚いてつい咄嗟にこう言ってしまった。
「べ、別に!! 好きにすれば!?」
何を言っているんだろうか自分は、ついさっき追い出そうとしたくせに。
「…………そうか」
そう呟く『死神』の顔は寂しさなんて一切合切感じられない無表情に戻っていた。
掃除が終わったのでポップコーンを調達すべくキッチンに向かった。
『死神』は影のようにこちらについてきた、好きにすればと言ってしまった手前、ついてくるなとは言い出しにくかったので放置することにした。
菓子コーナーを探してみるとアルミ皿のポップコーンが見つかった、コンロで温めるやつだ。
塩味とバター味があったので塩を選んで加熱する。
パンパンに膨れたアルミを切り開いて中身をその辺にあった紙のカップに移す。
ちらりと後ろを振り返ると大男はただ影のように佇んでいた。
「あなたも食べたければ……」
「いや、不要だ」
短い返答に気まずさを感じつつ、それならいい、とだけ呟いた。
「そういえば、何故映画を?」
記録媒体がまとめて保管されているスペースで目的の映画を探していたら、そんなことを聞かれた。
「深い理由とかはないわよ。ただ、ともだちが昔話していたのを思い出しただけ」
「……お前が死なせたくないと言った友のことか?」
「ええ。……すごくいい子だったのよ。今どうしているのか…知りたいとは思わないけど」
どうしているのか、無事でいてくれているのか、ちゃんと生きているのか、そう思わなかったというと嘘になる。
生きていてくれればいい、幸せであればもっといい。
けれど。
「……知りたくはないのか?」
「ええ。正確には知るのが怖い。……普通に幸せに生きていてくれればいいと思っているけれど。……『施設』が解体された後、あのこがどんな目にあったのか……それでもし、もうとっくに死んでいた、なんてことになっていたら……耐えられない」
ひょっとしたら自分がそうであったようにあのこもまた地獄に落とされたのかもしれない、自分と違ってその地獄から解放されずに、今も苦しんでいるかもしれない。
けれども、だからこそ知りたくない。
そんなのは耐えられない、考えたくもない。
だから卑怯だしこんな自分が嫌になるけれど、多分問題なく生き続けていてくれるだろうと信じ込む。
それに、きっと大丈夫だろう、あの『施設』の解体は奴等が自分を手に入れるためだけに行われた凶行だったわけだし。
「そうか……ところで『施設』とは?」
そういえば、ちゃんと話したことはなかったっけ。
少し迷って話すことにした、大した話ではなかったので。
「あたしみたいに力が強すぎたり、特殊すぎる力を持った……普通の親では到底育てられないとか、能力の希少性から身柄や命を狙われるような子供達を集めた……養護施設みたいな所。色んな意味で危うい子供達が集められてた。十八歳になるまで『施設』で能力の制御と外での生き方、身の守り方を覚えて、十八歳になったら外の世界に、っていう話だった。悪いところじゃあなかったのよ、自由はなかったけれどともだちもいたし、よくしてくれる大人もいた……けど、あたしを欲しがった連中が無理矢理あそこを解体して……その後はどうなったのかは知らない、あのことおんなじ理由で知りたいとも思わない」
あのこも、先生も、他の子供達も大人達も、ちゃんと生きているんだろうか。
彼女らが無事でいられるのならと地獄を受け入れた自分の選択が正しくて、無駄になっていないことを祈るしかない。
だってあのこ達が無事じゃないのなら、あたしは一体何のためにあの地獄を。
「すまなかった」
何故か急に謝罪の言葉が聞こえてきたので顔を上げる。
「なに? 謝られるようなことをされた覚えはないけど?」
「踏み込みすぎた。そのような顔をさせることを聞くべきではなかった」
……気遣いができる男なのかどうなのか。
それとも自分は今、そんなにひどい顔をしているのだろうか。
「別に、いいわよそんなこと」
目を合わせてそう言ってみたけれど、やっぱりその顔には表情なんてものはなくて、だから何を考えているかなんて全く理解できなかった。




