第八章 初めての森
よろしくお願いします
翌日、宿を発つ前に、あのケットシー使いの女――名はエルザと名乗っていた――に再び会う機会があった。
「今日から森に入るの? なら一つ、アドバイスよ」
エルザはそう前置きしてから、真剣な顔で続けた。
「浅い場所でも、油断は禁物よ。魔物の強さより、地形の方が厄介なことも多いから。あと、初めての時は、あまり奥まで入らないこと。まずは様子見で、浅場を歩き回るくらいがちょうどいいわ」
「ありがとうございます……」
マリーは頭を下げながら、その言葉を丁寧に頭に刻み込んでいるようだった。俺はそれを黙って聞いていた。地形の危険性、というのは、確かにこれまであまり意識していなかった観点だった。
宿を出て街道を進み、森の入り口に着くまでには、一時間半ほどかかった。
「思ったより遠いですね……」
マリーが少し息を切らしながらそう漏らした。木々が徐々に鬱蒼としてきて、辺りは静けさに包まれていた。
森に入ってからさらに一時間ほど、俺たちはゆっくりと奥へと進んだ。
(浅場、というのはこのあたりか)
マリーは道々、目についた薬草を摘み取り、革袋に詰めていく。
「これは、傷薬の材料になるやつ……止血効果がある。葉だけをちぎって根はとらない」
メモを見て呟きながら、細い葉をつけた草を丁寧に摘み取る。少し先では、青みがかった花をつけた別の草を見つけ、今度は花だけを摘んで小袋に分けて入れた。
「これは、多分解毒の薬に使われるもので、数はあまり出回らないので、少し高く買い取ってもらえるはず……」
時折、木の根元に生えたキノコを見つけては、しゃがみ込んで丁寧に採取していった。傘の色や形を確かめ、時には匂いを嗅いでから、これは食用、あれは薬用と、メモを片手に慣れない手つきで選り分けていく。中には迷わず素通りするものもあった。先ほどと似ているキノコを素通りするのを見て不思議に思っていると、
「毒キノコです。見た目は似てるけど、傘の裏の色が違うので……」
そう説明しながら、マリーは苦笑いを浮かべた。数はそう多くないが、着実に袋の中身は増えていった。
不意に、茂みの奥から低い唸り声が聞こえた。
体長は俺の腰ほど、比較的小型のイノシシに似た魔物が、牙を剥いてこちらに突進してくる。俺は軽く身をかわしながら、繰り出された突進の勢いに合わせて脚を振り抜いた。
蹴りは綺麗に胴に入り、イノシシの魔物はそのまま吹き飛んで、木の幹に叩きつけられて動かなくなった。
(この程度か)
そう思った直後、視界の端で別の動きを捉えた。
茂みの陰から角兎が飛び出し、マリーの方へと真っ直ぐに向かっていく。
「……っ!」
マリーは咄嗟に横に跳んでその突進をかわした。だが着地の際に足を滑らせ、体勢を崩してしまう。倒れ込みながら振り返ったマリーの視界には、再び態勢を立て直し、二撃目を仕掛けようとする角兎の姿があった。
「避けられない……!」
上ずった声が漏れ、マリーは思わず目を瞑った。
その直後、角兎の体がふっと宙に浮いた。俺により首根っこを掴まれ、脚をばたつかせている。
マリーは恐る恐る目を開け、尻もちをついたまま俺を見上げた。
「あ……ありがとうございます……!」
震える声でそう言うと、マリーはゆっくりと立ち上がった。
イノシシの魔物はそのまま丸ごと担ぎ、角兎はその場で手早く捌いて肉にした。今夜の食事の足しにするつもりだった。
(今日はこれくらいにしとくか)
マリーが狙われたこと、それにイノシシも一頭確保できたことを踏まえて、俺はそう判断した。念話でそう伝えると、マリーは小さく頷き、荷物をまとめ始めた。
薬草とキノコの入った袋、捌いた角兎の肉、そして担いだイノシシ――思ったより収穫のある初日だった。二人は来た道を戻り、まだ日の高いうちに、街への帰路についた。
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