第四十四章 誓約
よろしくお願いします
朝、目を覚ますと、マリーの肩の傷がすっかり塞がっていた。昨夜、陣営から支給された傷薬を塗って眠っただけだったが、綺麗に治っている。
「もう、痛みませんね」
マリーが肩を軽く回しながら、傷の具合を確かめていた。なかなか質の良い薬が支給されたようだ。
その日の午後、俺たちは第二王子アルフレッドから、捕虜の獣人と面会する許可を得た。
案内された場所は、陣営の外れに設けられた仮設の牢だった。太い木の柵で囲われた中に、虎の獣人が繋がれている。以前の縄ではなく、太い金属の鎖に変わっていた。それだけ警戒されているということだ。
俺たちが近づくと、獣人はゆっくりと顔を上げ、マリーを睨みつけた。
「……万全なら、お前なんかに負けはしない」
低く、押し殺したような声だった。
俺は指輪に魔力を通した。全身に重い違和感が走り、人の姿へと変わっていく。
「飯を好きなだけ食わせてやる。万全とやらになるのに、どれくらいかかる」
獣人は訝しげにこちらを見ながら黙っていたが、やがて短く答えた。
「一晩、しっかり眠れれば十分だ。……どういうつもりだ」
「一対一で、万全なお前と俺が戦う。お前が勝てば、自由にしてやる。俺が勝てば、俺の下に付け」
マリーが横で小さく息を呑んだ音が聞こえた。俺は構わず続けた。
獣人は、鼻で笑った。
「それを、信じろと?」
「信じて、お前に何かマイナスがあるか」
しばらくの沈黙があった。獣人は、値踏みするようにこちらを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかった。乗ってやる」
「飯以外で、何か必要な物はあるか。武器でも、鎧でもいい」
「何もいらない。武器は爪、鎧はこの毛皮だ」
獣人はそう言い切ると、再び目を閉じた。
その後、アルフレッドに戦いの許可を求めた。自由の話は伏せたまま、捕虜の実力を見極めるための一戦だと伝える。
「構わん。だが、あまり目立たない時間と場所を選べ」
側近との相談の末、時間は明日の夕方、場所は陣の外れと決まった。兵の手が最も空く時間帯で、周囲を囲みやすいことも理由だった。念のため、弓兵も待機することになった。
その場を離れながら、マリーが小声で尋ねてきた。
「負ければ自由の事は、話さないんですか?」
(勝てば問題ない)
俺は短くそう返した。
「マリーが戦うのか?」
段取りを確認しに来た将校の一人が、そう尋ねてきた。
「いや」
俺は短く答えた。
「俺が戦う」
翌日、二人は対峙した。
夕方、野営地の外れで、俺は獣人と向き合った。周囲を遠巻きに、兵たちが囲んでいる。
俺は棍を地面に置いた。
「どういうつもりだ」
「武器なしを負けた言い訳にされても困る。俺も、武器はいらん」
「好きにしろ。だが、後悔するなよ!」
獣人がそう言うと、全身に毛が広がり、顔立ちが虎のものへと変わっていく。爪が伸び、牙が覗いた。
変身を終えるなり、獣人が飛びかかってきた。俺は横に躱しながらその腕を掴み取り、そのまま背負い投げの要領で地面へと叩きつける。
「がっ……!」
短い呻き声が漏れた。だが、すぐに体を捻って起き上がると、警戒するように低く構え、唸り声を上げた。俺が無造作に近づくと、獣人は全身をバネのようにして跳び、首元に爪を立てながら牙を剥き出しにして噛みついてきた。
爪を無造作に払い、相手の首元を片手で掴んで持ち上げる。そのまま締め上げた。獣人は暴れ、爪で腕を掻こうとしたが、もがく動きが次第に鈍くなり、やがて完全に脱力する。
意識を失ったところで、俺は手を放した。地面へと倒れた体が、ゆっくりと元の人の姿へと戻っていく。
あまりに呆気ない決着に、囲んでいた兵たちがざわめいた。
「凄まじいな」
アルフレッドが呟いた。
「アルフレッド様、これでどうでしょうか」
マリーが、そう返した。
「分かった。あれをお前たちの褒美として認めよう。だが、ここには獣人たちに仲間をやられた者も多い。陣を離れるまでは、拘束したままの方が、余計な揉め事は少ないだろう」
「ありがとうございます」
マリーが深く頭を下げた。
「これで、お前たちの任務は終わりだ。明日には、その獣人を連れて、バロメア伯爵の陣まで帰るように」
俺たちは冒険者の区画へと戻り、待っていたケインたちに事の次第を伝えた。護衛任務が完了し明日戻る旨を告げると、冒険者達から安堵の声が聞こえた。
その後、俺とマリーは仮設の牢へと足を運んだ。獣人は、まだ鎖に繋がれたまま座り込んでいた。
「明日、ここを発ちます。あなたも一緒に移動します」
マリーがそう告げると、獣人は小さく鼻を鳴らしただけだった。
「私はマリーです。あなたの名前、聞いてもいいですか」
マリーがそう続けると、獣人はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと答えた。
「……ラナ」
ラナは何も返さなかったが、拒絶するような素振りも見せなかった。
翌朝、まだ支度も終わらないうちに、第五王子セドリックの使いが訪れた。呼ばれるままセドリックの天幕まで向かう。中に入るとセドリックが立って待っていた。
「来たか。呼び立ててすまんな。……マリーの獣人との戦いを見て、俺には武力も兵を率いる力も人を見る目も足りないことを痛感した」
「ここまでの非礼を許して欲しい。そして二度も救ってくれた事、感謝する」
セドリックは、そう言って深く頭を下げた。
王族に頭を下げられたマリーは戸惑いながらも、丁寧に礼を返した。
出発の準備を整え、俺たちはラナを鎖から縄へと繋ぎ替えた。ラナは特に抵抗もなく大人しくしている。その日の午前のうちに、一行は本隊の陣営を発った。
ケインたち冒険者や、護衛に付いた兵士たちも一緒だった。縄に繋がれたラナの姿に、何人かがちらちらと視線を向けている。
「姉御、あれ本当に大丈夫なんですか……」
ケインが小声で聞いてくると、マリーは短く「大丈夫です」とだけ返した。護衛の兵士の一人も、居心地悪そうにラナから距離を取りながら歩いていた。荷馬も心なしか怯えているように見える。
昼過ぎ、街道脇で一度休憩を取ることになった。周囲に人目が少なくなったところで、俺はラナの縄を解いた。
ラナは手首をさすりながら、訝しげにこちらを見た。
「……逃げないとでも思ってるのか」
「縄を持つのも面倒だ」
俺がそう答えると、ラナはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「逃げるのは、お前を倒してからだ。」
俺は鼻を鳴らし、その言葉を無視した。
マリーが
「ラナさん、頑張って下さいね」
と応援すると、ラナは信じられないものを見たような顔でマリーを見つめた。
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