第四章 依頼
よろしくお願いします
買い物を終えた俺たちは、そのまま組合の掲示板の前に立った。
紙切れがずらりと貼られている。何が書いてあるのかは、当然俺には分からない。じっと見つめていても、ただの模様にしか見えなかった。
娘はしばらくその前で目を走らせていたが、やがてこちらを振り返った。
「……いくつか、依頼があります。狼の討伐と、薬草の採取と……あと、荷運びも」
念話越しに、遠慮がちにそう伝えてくる。俺はそれを聞きながら、少し考えた。荷運びなど退屈極まりない。採取も地味だ。
(狼、討伐にしよう)
そう伝えると、娘は小さく頷き、依頼書の一枚を剥がした。
受付に依頼書を提出すると、担当の職員が驚いた顔で娘と俺を見比べた。
「本当に、これを? 一人で?」
「はい……従魔が、いますので」
娘の声は硬かった。職員はしばし黙り込んだ後、書類を処理して依頼を受理した。
街道を進み、狼の魔物が出るとされた森の入り口に差し掛かる頃には、日が高く昇っていた。
「この先に、出るはずです……」
娘が地図を示しながら、俺の顔色を窺うようにそう告げた。俺は特に気にせず頷き、先へと足を進めた。
森をいくらか進んだところで、不意に茂みの奥から複数の唸り声が上がった。木々の隙間、こちらを取り囲むように動く影がいくつも見える。向こうが先にこちらの気配を捉えていたらしい。振り返る間もなく、既に包囲は半ば完成していた。
数にして七匹。その中の一匹は、他よりも一回り体格が大きく、灰色の毛並みに混じって黒い筋が浮いていた。低く構えたその姿からは、他の個体とは違う気配が漂っている。
(あれがボスか何かか……)
そう考えた直後、右手の茂みから雑魚の一匹が飛び出し、牙を剥いて跳びかかってきた。俺はその顎めがけて拳を叩き込む。骨の軋む音がして、狼の体が横向きに吹き飛んだ。
だがそれで終わりではなかった。左から二匹目が地を這うように低く踏み込んでくる。脛に噛み付いたそいつを俺はその頭を掴んで地面に叩きつけ、そのまま動きを封じた。その隙に反対から来た狼に鋭い爪で背中を攻撃された。
一匹を相手取っている間に、別の個体が回り込んでくる。囲まれるというのはこういうことか、と嫌でも実感させられた。だが、殴るたびに手応えは重く、一撃ごとに雑魚は崩れ落ちていく。対して俺は掠り傷一つ負う程度、脅威とはならず俺は淡々と狼の相手に攻撃を繰り返した。
「後ろにも……!」
娘の声が響いた。振り向くと、雑魚の一匹が娘の方へ狙いを変えかけていた。娘は木の根元に身を寄せながら、震える手で懐から紙の束を取り出した。何度も折り畳まれ、端がよれた粗末な紙だった。
「――っ、来ないで……!」
娘は上ずった声で詠唱を紡ぎ、紙の符を投げつけた。符が淡く光り、狼の足元に絡みつくような術が発動する。だが効果は弱々しく、狼はわずかに足を取られただけで、すぐに体勢を立て直してしまう。
「きゃっ……!」
娘が短く悲鳴を上げ、後ずさった。俺は殴り合っていた一匹を突き飛ばし、娘に迫る狼へと体を割り込ませる。振り上げた拳を叩き込むと、狼はくの字に折れ曲がって転がった。
雑魚の数が減っていく中、ひときわ大きい黒筋の一匹が、ようやく前に出てきた。低く唸りながら間合いを詰め、他の個体とは違う踏み込みで飛びかかってくる。
俺は身構えたが、その速さは予想より鋭かった。避けきれず、肩口に鋭い痛みが走る。牙が皮膚に食い込んだ感触があった。
「危ない――!」
娘が叫んだ。俺は構わず、噛みついたままの狼の首根っこを掴み、力任せに引き剥がして地面へと叩きつけた。もう一撃、頭部に拳を打ち込むと、それでようやく動きが止まった。
この時点で、残るは二匹だった。群れの頭が沈黙したのを見て、二匹は明らかに怯みだしていた。仲間が次々と地に伏していく様を前に、後退り始めている。
俺はその隙を逃さず、腹の底から低い唸りを絞り出した。
「グルルルル……」
残った二匹は一瞬びくりと身を竦ませ、そのまま背を向けて逃げ出した。一匹はそのまま森の奥へと駆け去っていく。もう一匹も同じ方向へ向かおうとしたが、俺は足元の石を拾い上げ、逃げる背中目掛けて投げつけた。
石は狼の後ろ脚に命中し、その場に転倒させる。俺はすかさず距離を詰め、止めを刺した。
辺りが静かになると、娘がようやく木陰からゆっくりと出てきた。
「……大丈夫、ですか」
震える声でそう尋ねてくる。俺は自分の肩に残る噛み跡を一瞥した。血は少し滲んでいるが、動きに支障が出るほどではなかった。他の雑魚から受けた傷は、掠り傷程で数日後には跡すら残っていないだろう。
「怪我……」
娘は俺の肩の傷に気づき、小さく息を呑んだ。
(まあ、こんなもんか。数がいても、大したことないな)
初めて囲まれた時こそ少し勝手が分からなかったが、蓋を開けてみれば大した相手ではなかった。図体のでかい一匹も、噛みつかれたところで多少痛みはあったが、それだけの話だ。
俺は特に気にする様子も見せず、討伐の証を集める娘の作業を眺めていた。娘は震える手で作業を進めながら、時折りこちらの様子を窺うように視線を送ってきた。
(平気だ。それより、片付けたら戻るぞ)
念話でそう伝えると、娘は小さく頷き、作業を再開した。夕暮れの光が、木々の間から差し込み始めていた。
依頼を終えて組合に戻ると、娘は報告のために受付へと向かった。俺は少し離れた場所で待ちながら、腹の虫が鳴るのを感じていた。
しばらくして、娘が受付の職員に何かを尋ねているのが見えた。声は小さく、はっきりとは聞き取れない。職員が答え、娘がさらに何か尋ね、職員がまた何かを答える。そんなやり取りが、しばらく続いた。
やがて娘がこちらへ戻ってきた。
「……お食事は、組合に併設された場所で、頂けるそうです」
念話越しに、遠慮がちにそう伝えてくる。俺は素直にそれを喜んだ。
(お、それは良いな)
「宿については……少々お待ちくださいと、言われました」
娘はそう付け加えながら、俺の反応を窺うように、僅かに視線を伏せた。俺は特に急かすつもりもなく、頷いて見せた。
案内された軽食提供スペースで、俺の前に置かれたのは、大きな生肉の塊だった。
給仕の男が、俺の前にそれをどんと置くと、そそくさと離れていった。魔物にどう食事を出せばいいのか、判断がつかなかったのだろう。
俺はしばらくその肉塊を見下ろした。
(いや、これは違う)
久しぶりの人間の街だ。せっかくなら、ちゃんと火の通ったものが食いたい。俺は娘に向かって念話を飛ばした。
(火の通った料理を持ってこさせろ。あと、フォークもだ)
娘は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに頷き、慌てて奥へと向かった。しばらくして、娘が困惑した様子の給仕を連れて戻ってきた。
冒険者相手の酒場らしく、元々置いてある食器は、人間にしては大きめの部類なのだろう。だが俺の手からすれば、その違いなど誤差でしかなかった。運ばれてきた木製の椀もフォークも、結局は小さく頼りないものに変わりない。
娘がフォークを持て余すようにしながら、椀の中身をつつく様子が視界の端に映る。俺はといえば、手の大きさに対してあまりに小ぶりなフォークを、慎重な手つきで摘み上げた。
慎重に椀の中身を刺し、口元へ運ぶ。久しぶりの食器に何度か具材を落としそうになりながらも、どうにか一口分を口に運ぶことができた。
味が、舌の上にじわりと染み込んでいく。塩気、出汁、僅かな香草の風味。生肉ばかり齧っていた一ヶ月を思えば、これはもう十分すぎるご馳走だった。全て食べ終えてもまだまだ足りない。
(もっと寄越せ)
念話越しにそう伝えると、娘は驚いた様子で目を見開いたが、すぐに給仕へと伝えに走ってくれた。おかわりの椀が届くたびに、俺はそれを勢いよく平らげていった。周囲の客たちがこちらをちらちらと窺っているのが分かったが、気にする余裕もないほど、久しぶりの味というものに夢中になっていた。
何杯目かを空にした頃、ようやく満足感が込み上げてきた。フォークの持ち手には俺の指の跡がくっきりと残っていたが、幸い折れずに済んだ。それだけでも、今日のところは上出来だと思うことにした。
食事を終える頃、先ほどの職員が娘の元へと駆け寄ってきた。
「お待たせしました。宿の方、見つかりましたので」
娘がほっとしたように頷き、俺の方を振り返った。
「……宿、見つかったそうです」
念話越しにそう伝えられ、俺は軽く頷いた。
(そりゃ良かった)
屋根のある寝床。ようやく、それにありつけそうだった。
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