第三章 人間の町
よろしくお願いします
娘に連れられて森を抜けると、程なくして粗末な一軒家が見えてきた。戸口から出てきたのは、腰の曲がった老婆だった。
老婆は俺を見た瞬間、表情を凍りつかせた。杖を握る手に力がこもるのが分かる。娘との間で何やら話が交わされている。「オーガ」「契約」といった単語らしき響きが、念話越しにぼんやりと伝わってくるが、詳細までは分からない。
しばらくして、話がまとまったらしい。娘が俺の方をおずおずと振り返った。
「……あの、町に、行きたいです……」
念話越しに伝わってきたのは、意見というより、伺いを立てるような弱々しい響きだった。だが俺にとっては願ってもない話だった。町。人間が大勢いる場所。俺は素直に胸が高鳴るのを感じた。
(いいぞ、行こう)
そう伝えると、娘は僅かに肩の力を抜いたようだった。
街までの道中、娘は終始怯えたような足取りで先を歩いていた。何かを話しかけようとしては、途中で言葉を飲み込む。振り返って俺の様子を窺っては、また前を向く。そんな仕草が、道中で何度も繰り返された。
途中、街道脇の藪音を立てて揺れ、中から猪に似た魔物が飛び出してきたことがあった。牙を剥き出しにして突進してくるそれを、俺は正面から受け止め、投げ飛ばして黙らせた。
倒れた魔物を前に、娘はしばらく動けずにいた。俺は腹の虫が鳴るのを感じながら、動かなくなったデカい猪を見下ろした。生肉にはもう飽き飽きしていたが、贅沢は言っていられない。
(それを捌け。食う)
念話でそう伝えると、娘は一瞬びくりと体を震わせたが、すぐに頷き、震える手で腰の道具を取り出した。危なっかしい手つきで解体を進めていく。俺はその様子を眺めながら、ふと気になって尋ねた。
(その牙、何のために取っている)
「……これ、街で売れるから」
娘は手を止めずに、小さくそう答えた。俺はそれを見ながら、なるほどと納得した。金というのは、こうやって稼ぐものらしい。
数日かけて歩いた末、遠くに石造りの壁が見えてきた。
向こうからも小さく俺たちの姿は見えていたようだ。随分手前の段階で気づかれていたらしく、壁の上の見張り台らしき場所に立つ人影が、こちらを指差して何やら喚いているのが見えた。
門に近づく頃には、既に周囲に何人もの武装した人間が集まっていた。槍を構え、遠巻きにこちらを囲んでいる。
「止まれ! それは何だ、お前は何者だ!」
門番の一人が、槍を突きつけながら鋭い声を上げた。娘は震えながらも、両手を広げて前に出た。
「ま、待って! この子は、私の使い魔です! 敵意はありません!」
娘の声は上ずっていた。門番はなおも疑わしげに槍を構えたまま、一歩も引かない。
「使い魔だと? オーガをか? 証拠はあるのか」
「あ、ありません。最近従えたから……」
娘は震える手を握りしめて必死に事情を訴え続けた。門番たちは顔を見合わせ、なおも警戒を解かない。
しばらくの押し問答の末、どうにか槍は下げられ、兵士同伴で俺たちは街の中へと足を踏み入れることを許された。
冒険者組合とやらに案内されると、そこでも似たような緊張が走った。受付の人間が、娘の持ってきた牙や爪の査定をしながら、何度も俺の方を盗み見ている。
「オーガの従魔登録……前例がほとんどないので、少々お待ち下さい」
受付が奥に引っ込んだ後、しばらくしてから出てきた、いかにも役職者らしい男が、娘に向かって告げた。
「登録には、本当に従えているかどうかの確認が必要です。簡単なことで構いません。何か、指示を出してみせてもらえますか」
娘の肩がびくりと跳ねた。俺の方をちらりと見る目には、明らかな不安が滲んでいた。指示を出したところで、本当に従うかどうか、彼女自身にも確信がないのだろう。
「……そこに、座って」
震える声で、娘がそう告げながら、傍らの空いた場所を指差した。
俺はしばし迷ったが、ここで逆らう理由もなかった。むしろ、この街での立場を固めるためには、大人しく従っておいた方が都合がいい。俺はゆっくりとその場に腰を下ろした。
周囲がざわついた。役職者の男も、驚いたように目を見開いている。
「……本当に、従っているのか」
「はい。ちゃんと、契約は済んでいます」
娘はそう答えながらも、声には安堵と緊張が入り混じっていた。俺が思った通りに動いたことに、心底ほっとしているようだった。
役職者は何度か頷き、書類に何かを書き込んでいった。
「結構です。登録を進めましょう」
役職者の男は書類に何か書き込みながら、ふと顔を上げた。
「ところで、どういう経緯で契約を? やや小さいとはいえオーガほどの魔物を、村娘が一人で従えるというのは、正直まだ信じ切れていない部分がありましてね」
娘の肩がびくりと強張った。俺はその反応を横目で捉えながら、黙って成り行きを見守った。
「あの……森で、弱っていたところを、たまたま…罠を使って…使役の術で……」
娘は言葉を選びながら、しどろもどろに説明していく。契約が逆転している事実には、当然触れない。役職者は何度か相槌を打ちながら聞いていたが、深くは追及してこなかった。
「まあ、弱っていたところに乗じたというのは、よくある話です。運も実力のうちですよ」
役職者はそう言って納得したように頷くと、引き出しから何かを取り出した。太い革紐に、金属の板が取り付けられたものだった。板には紋章のようなものが刻まれている。
「これを、従魔の首に。街中を歩く際、これがないと不審者として扱われることもありますので」
娘が戸惑いながらそれを受け取り、俺の方へと差し出してきた。
(つけろってことか)
俺は特に抵抗もなく、首元にそれを通させた。金属板がひんやりと肌に触れる感触があった。目立つことこの上ない代物だが、実用上必要だというなら仕方がない。
「それをつけていれば、正式に登録された従魔だと、一目で分かりますから」
役職者の言葉に、娘は小さく頷いた。俺は首元の重みを一度確かめるように動かしてから、特に気にする様子も見せず、次の話へと意識を移した。
手続きが一段落したところで、俺はふと自分の格好に思い至った。頼りない腰蓑ひとつの格好は森の中では気にすることもなかったが、こうして人通りの多い場所に長くいると、色々と都合が悪い。特に、気が昂った拍子に何が起きるか分からないという点は、自分でも薄々自覚していた。無用な騒ぎを起こす前に、何か身につけておいた方が賢明だろう。
俺は娘に向かって、念話でその意図を伝えた。
(何か、着るもの寄越せ)
娘は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに頷いた。
「……わかりました。探してみます」
娘は報酬の一部を手に、近くの商店へと向かった。店では人間用の既製品では俺の体格に合わないらしく、店主と何やら相談した末、大判の布地と頑丈な紐を買い求めてきた。
「これでとりあえず……」
娘が布を差し出しながら、俺の様子を窺うように、少し身を引いていた。俺はそれを受け取り、不器用な手つきで身体に巻きつけていく。何度か布がずり落ちそうになりながらも、どうにか紐でしっかりと固定することができた。
(こんなものかな)
出来上がりを見下ろす。決して格好の良いものではなかったが、好意的に解釈すればトーガのように見えなくもない。これでひとまず必要な備えは整った。
街の喧騒の中を歩きながら、俺は自分の腰回りを何度か確かめた。人間の暮らしに近づく、その最初の一歩を踏み出せたような気がしていた。
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