第十一章 血染めの熊
よろしくお願いします
川辺での作業を始めて間もなく、ケットシーが再び毛を逆立てて唸り始めた。
「みんな、何か来るわ……!」
エルザの声に、全員が身構えた。木々の隙間から、足音も気配もなく、赤黒い毛並みの巨体がぬっと現れた。
四本の腕、鋭い爪。立ち上がれば二.五メートル近い体高がありそうだった。
「くそ、ブラッディベアか……あの色合いなら独り立ちしたばかりの個体か? だとしても厄介だな」
ガレンが低く舌打ちしながら、素早く見極めた。
「悪いけど、あなたたち自分の身は自分で守ってちょうだい。ここから余裕がなくなるわ」
エルザの声には、それ以上の説明を許さない真剣さがあった。マリーが緊張した面持ちで頷き、俺の隣へと下がった。
俺は特に異論もなく、その場で成り行きを見守ることにした。
「よし、やるぞ」
ガレンの合図で、三人と一匹の連携が動き出した。バルドが大盾を構えて前に出る。ブラッディベアの右の二本の腕が同時に振り下ろされ、盾を打ち据えた。重い衝撃音が響き、バルドの足が地面にめり込む。
体勢を立て直す間もなく、今度は左の二本が横薙ぎに払われた。バルドは辛うじて盾で受けたが、衝撃でバランスを崩し、片膝をつく。
その隙を突かれる前に、ケットシーが幻影を放った。バルドの傍らに、もう一人のバルドが現れる。本物と寸分違わぬ姿に、熊が一瞬混乱したように爪を振るった。幻は爪を受けた瞬間、霧のようにかき消える。だがその隙に、ガレンが横合いから斬りかかった。
刃が肩口を捉え、赤黒い毛皮が裂ける。だが浅い。
「硬えな、この毛皮……!」
ガレンが顔をしかめた。熊は苛立ったように咆哮を上げ、標的をガレンへと変えて突進する。狙いが完全にガレンへと向いた瞬間、バルドが素早く横へ回り込み、シールドバッシュを叩き込んだ。衝撃で熊の意識が再びバルドへと引き戻される。
そこからさらに幾度か、同じような攻防が繰り返された。爪の一撃、盾で受ける、幻影で意識を逸らし、ガレンが浅く斬りつける――だが決定打には至らない。矢も何本か放たれたが、いずれも厚い毛皮に阻まれ、大した傷にはならなかった。
「なかなかしぶといわね……」
数合の攻防を経て、エルザが苦々しくそう漏らした。そして腰の矢筒から一本、他とは異なる色をした矢を取り出す。
「仕方ない、とっておきを使うわよ。高いのに!」
弦を引き絞り、狙いを定めて放つ。矢は熊の脇腹に深々と突き刺さった。次の瞬間、刺さった箇所から青白い雷光が弾け、熊の全身を駆け巡った。
「ガアアアッ……!」
熊が硬直したように動きを止める。その隙を、ガレンが見逃さなかった。地を蹴り、一気に間合いを詰めると、剣を大きく振り上げ、熊の首へと叩き込んだ。刃が毛皮を裂き、肉を割って骨に達する。二撃目、三撃目と続けざまに刃を叩き込むと、切り裂かれた毛皮の間から赤黒い肉と骨が覗いた。
止めの一撃で、巨躯がゆっくりと傾ぎ、地響きを立てて倒れ込んだ。
「……終わった、か」
ガレンが息を整えながら、傷だらけの熊を一瞥した。
「毛皮はこの様だけど、内臓と魔石はそこそこの値段になるはずよ」
エルザがそう言いながら、緊張の解けた笑みを浮かべた。バルドも盾を下ろし、大きく息を吐く。
「くそ、盾が少し歪んじまったぜ……」
バルドが呆れたようにそう言って、盾の縁を軽く叩いた。
その時、森の奥から、地を揺るがすような咆哮が響いた。
「グオオオオオオッ!!」
木々をなぎ倒しながら現れたのは、先ほどよりもさらに二回りは大きい、四本腕の熊だった。血走った目が、倒れた個体を捉えている。
「くそっ、親離れしてなかったのかよ……!」
ガレンが顔を歪めた。エルザは矢筒を確かめ、その手が僅かに強張る。
「矢も、もう残り少ないわ」
「仕方ねえ、こいつも倒すか!」
バルドが盾を構え直しながら、覚悟を決めたように言った。
「マリー、ごめん! 何とか逃げる時間は稼ぐから――」
エルザが叫んだ。その声に被せるようにマリーが声を張り上げる。
「皆さん、下がってください!」
その声に、熊がぐるりと首を巡らせ、マリーたちの方へと視線を向けた。標的を変えるように、じりじりと足を踏み出し始める。俺は熊に向かってゆっくりと歩を進めた。
巨大な熊が、俺の姿を認めて咆哮を上げ、威嚇し立ち上がった。俺より明らかにデカい体だ。
俺は一足で大きく踏み込み、振り下ろそうとする四本の腕の間を潜り抜けた。狙いは一点――胸の中心。右の腕を突き入れ、そのまま指先を熊の胸の奥深くへと沈める。
肋骨の砕ける感触が伝わった直後、心臓と、その奥に脈打つ魔石を、纏めて掴み取り、引き抜いた。
熊は喉の奥から大量の血を吐き出し、そのまま巨体をぐらりと傾け、地響きを立てて倒れ伏した。
辺りに、しばしの静寂が満ちた。
エルザ、ガレン、バルドの三人が、言葉を失ったようにその場に立ち尽くしている。ガレンは口を半開きにしたまま、倒れた熊と俺を交互に見比べていた。
俺は手に残った心臓と魔石を一瞥し、それを地面に投げ捨てた。返り血で汚れた自分の服に目を落とし、僅かに顔を顰めた。
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