彼の存在理由
幸太郎の心がアンナに向いたのは突然のことではなかった。
アンナは気づいていなかったかも知れないが、彼女はよく気持ちが顔に出る。困っていたら唇が一文字に引かれるし、笑うと眉尻が下がる。
幸太郎自身は表情が分かりにくいと言われることが多く、特段それに不満を思ったことはない。その分、言葉にしてきたと思っているからだ。(実際は無口なので伝わっていないことが多いのだが)
だから、アンナのようにころころと表情という言葉を伝えてくるのは新鮮であり、そして嘘をついていないという安心感があった。
(最初は面倒くさがってたな)
そもそも人の顔を見て逃げ出すのだ。
薄情この上ないが、今なら何故だったのか分かる。
それでも、アンナは幸太郎の世話を焼いてくれた。なんだかんだ言っても結局彼女は人を放おっておけない少女なのだ。
幸太郎にとってアンナは自身の正体を知る唯一の人間で、それに幸太郎にとってこの世界で頼りになった。甘えてしまっていたところも多い。負担になっていないだろうかと憂慮したこともある。でも、それはそれだと、アンナが言葉にしない限りは側にいたいと望んだ。それが、いつの間にか色を変えていた。
名前を呼ばれれば嬉しいし、笑っていれば心に花が咲いた。戦えないアンナを守りたいと思う心が、強さを求める動力源の一端を担っていた。
それが全て小説の中のシナリオと言われて、幸太郎は目の前が真っ暗になった。何よりアンナの口から言われたことがショックだった。それじゃあ、アンナが見ていたのは田辺幸太郎ではなく、小説の中の主人公ということだ。
(今まで、〝俺〟を見ていた理由じゃなかった……)
もっと成熟している大人だったら「そんなこともあるか」と考えられるのだろうか。まだ少年である幸太郎には、そこから立ち直れる術が分からない。
それはこの世界に来て幸太郎が初めて涙を流した夜だった。
今までアンナの優しさに守られていた。だから応えたかった。幸太郎の行動原理の優先順位はアンナで、いつかその手を握られたらと思って、やっと触れられたというのに。
沢山の人のために薬をつくっている手は少しカサついており、ささくれも出来ていた。それが愛おしかった。
「よし、次の攻撃を防いで!」
「えぇ!」
「相殺は任せてください!」
鼓膜に響く怒号。
幸太郎はハッとした。今は戦闘の真っ只中だ。
今回の依頼はいつもとは少し違った。国直々から大量の大型オーグ討伐。最近オズ王国の周りに頻繁に出現していて、その凶暴性が危険視されていた。
そしてとうとう緊急性があると大勢の冒険者たちに沙汰があったのだ。
幸太郎たちはこの半年で新進気鋭のパーティとして注目を浴びている。今回は多くの冒険者とバーティを組んで大型オーグ討伐に参加していた。
剣を構えて足を踏ん張り、幸太郎は駆け出す。
ユーリの風魔法がオーグの棍棒を吹き上げた。
晒された腹に剣を指して左へ滑り込む。赤い鮮血が幸太郎の頬を筋状に濡らした。薄く裂けただけだが貴重な一撃だ。
次々と他の冒険者たちの熟練の技がオーグの命を削っていく。
「もう少しだ!」
「ぐおおおおおお!」
苦しみに棍棒を振り回すオーグが悶える。そこにセシリアの矢がオーグの目を射抜いた。痛みに地を揺らすほどの悲鳴に耳鳴りがする。
幸太郎は他のオーグが踏み荒らしていく草たちを見て目を見開いた。
そこはよくアンナがハーブを採取する場所だ。これでもない、あれでもないと眉を寄せながらも一生懸命、そして微笑みながら一つ一つ丁寧に摘む場所だ。
カッとなった幸太郎は荒らすオーグの膝を台に飛び上がる。
「幸太郎! 危ないですわ!」
ミリアリアの悲鳴が耳を劈く。
しかし幸太郎は止まれなかった。自分の存在が嘘であっても、アンナはここで生きている〝人間〟なのだ。その彼女が大切にしている場所を野蛮に扱う生き物など許して置けるはずがない。
制止する周りの声など耳に入らない。ただ目の前の獰猛な敵を掃討する。
相手から目を離さず振り上げる。体が覚えている剣の扱い方が、今幸太郎の力となる。
振り上げられた剣は、全体重をかけたことで頭から腹まで掻っ捌いた。
「ぐごごごごご!」
激痛に乱心する大型オーグは、体を大きく揺らした。その場で地団駄を踏んで、見える片目頼りに攻撃してくる。どうやら食い込みが甘かったらしい。致命傷にはならなかったようだ。
しかし、その隙を突くようにミリアリアの使い魔の鷲が爪牙で視界を塞ぐ。
奥歯を噛み殺して幸太郎は激情のまま走り出した。
(もう一撃、絶対に仕留める!)
その時、杖を構えたユーリが、スゥと息を擦って叫んだ。
「幸太郎さん! うまく避けてくださいね!」
ユーリの水魔法が多量で形成された水のランスとなってオーグと幸太郎を襲う。
「っ!」
バババ! と強い音はとても水だと思えない。強力な魔法使いであるユーリの攻撃力は桁違いで、同時に速度も言わずとも伝わると思う。そしてノーコンなのも。
水のトゲがオーグを貫き、吹き出した血が水に混じって薄い色になっていく。
幸太郎はオーグの脇を滑って避けるが、結局頭から水を被ってしまった。
ぽたぽたと滴り落ちる冷たい水滴に、頭にこもっていた熱が冷めていく。
(アンナへの気持ちが作り物でも、俺が何者であっても、彼女を守れることが出来るんだ)
「きゃー! 幸太郎さんごめんなさい!」
悲鳴をあげるユーリに、幸太郎は頭を振った。
「ありがとう、目が覚めた」
「え? 幸太郎さん寝てたんですか?」
「そういう意味ではありませんわ」
「ユーリって天然よね」
やれやれと肩を竦める二人に、フッと笑う。
この三人も生きている。
(ここが小説の世界でも、自分も生きている。行動すべてがシナリオ? どうでもいい。アンナの温もりを知れたことに感謝したいくらいだ)
「さ、帰るぞー!」
「はーい!」
血に塗れた大型のオーグの処理は残った冒険者がやってくれる。報酬は山分けだ。
(アンナに謝らないと。ハーブ畑ダメになったこと。でも本題はこっちか)
ひどい態度を取ってしまった。何はともあれ傷つけてしまったことに変わりない。なにか詫びのお菓子でも持っていこう。
(そうだ、フィナンシェ。アンナ好きだったな)
この濡れたまま行っても良いだろうか? そんなことを考えて、まあ自分が掃除すれば良いだろうと思って足を動かす。
逸る気持ちを抑えるにも無理が出てきて、幸太郎はオーグに背を向けた。
そのとき。
「っぐ、ぅおおおお!」
「コイツ! まだ動けたのか!」
ガッと足首を捕まれ、幸太郎は逆さに持ち上げられ鮮血に染まったオーグの顔が間近に迫る。
(食われる!)
大きな口が幸太郎を喰わんとばかりに開けられ、ギラリと光る太い牙が見えた。オーグの手足は震え、言葉どおり一矢報いる怒りにまかせて幸太郎を襲った。
(アンナに謝るまで死ねるか!)
濡れた剣の柄が滑る。幸太郎は両手で支え勢いのまま迫りくる口の奥、喉に刃を突き立てた。
ドスンと尻もちをついて上を見上げる。オーグは喉を貫かれたまま息絶えていた。
「はあ、はあ」
浅い呼吸を繰り返し、視点が定まらない。
「幸太郎大丈夫ですか!?」
「ユーリ! アンタ治癒魔法かけられないの!?」
「無理です! 治癒魔法が使える人は限られているんですよ!」
「おい幸太郎!」
「俺ポーション持ってるぞ!」
「しっかりしろ!」
どうやら戦闘中にどこか怪我をしていたみたいだ。激昂してアドレナリンが出ていたために痛みを感じなかったのだろう。よく見たら脇腹から血が滲み出していた。
(やばい。これは危ない気がする……)
ぼんやりしてきた思考の中、ぐるぐると過去から現在がエンドロールのように頭の中で浮かんだ。
(走馬灯ってやつか……)
最後の方になると、その絵はどこかにアンナが写っている。幸太郎を見つめるアンナの瞳は穏やかだ。まるで、そう。どこか安堵しているような。
(あ、そうか。アンナもか)
アンナはこの世界が小説だと知っていた。自分には前世の記憶があることも。記憶を持ちながら理解者がいない人生は長く孤独だったのかもしれない。
(それなら、この世界に来て良かったって思える)
霞んでいく視界の中、幸太郎は穏やかに瞼を閉じた。




