知られてしまった秘密
ドゥメル祭が終わって数日が経った。その間にアンナと幸太郎の生活は変わらず、アンナはドロシーを開け、幸太郎はユーリたちと冒険する日々を送っている。
少しだけ変化があるとすれば、幸太郎がアンナの元へ来る頻度が減ったことだろうか。
(幸太郎、今日も来ない……)
アンナは扉を見た。ドアペルは鳴らず、鳴ったとしても来店した客だけだ。
ドゥメル祭が終わればドロシーは忙しくなる。祭りで材料を使い切った店からの追加注文が殺到するからだ。この時ばかりは店を頻繁に空けることが多い。もしかしたら幸太郎はタイミング悪く来て会えなかったのかもしれない。そんなことを思って頭を振った。
(なに考えてるの! 少し会えないだけじゃない!)
それに、幸太郎がアンナから離れるのを望んでいたのは自分だ。
それなのに、貰った花は飾ってあるし、幸太郎専用のマグカップはいつでも使えるように戸棚の一番前に陣取っている。
(……ダメよ)
アンナはハーブを個包装する手を止めて、もう一度出入り口を見る。そこに人の気配はない。
その時、カランとドアベルが鳴って、アンナは勢いよく視線を投げた。だが、そこに人の影はない。代わりにトコトコと店のカウンターへ入ってきた可愛い相棒が帰ってきた。
「トトか……」
「ただいまアンナ。誰か待ってた?」
ハーブのお使いを終えたトトが、椅子に飛び乗ってバスケットをテーブルにおいた。
「おかえりトト。別に、誰も待ってないよ」
「うそ。アンナ最近ずっと元気ないよ?」
「そんなこと……」
「ずっとそばにいる僕が言うんだよ? アンナのことは分かるよ。いつもドアを見てるし溜息ばかり」
トトが心配そうに「くぅーん」と鳴いた。
首元のオズの遺産は今日も輝いていて、キラリと光りを反射した時に幸太郎の顔が浮かんだ。
彼はトトと初めて出会った時は無愛想な表情が驚きに変わり、トトを撫でる時は目元が緩んでいた。
細かった体は、今ではガッシリとしてきて、少年の顔は青年へと丸みが取れてきていた。表情は分かりにくくとも穏やかさと優しさは変わらないのに、体だけが成長していく。幸太郎を見つめる女性の瞳が色を乗せていたことも気づいていた。それは喜ぶべきことなのに……。
「アンナは幸太郎を待ってるの?」
「待って、ないよ……」
幸太郎を思うと胸が締め付けられる。
恋とはもっとキラキラして楽しくて毎日が喜びで溢れるものだったはずだ。だからこの気持ちは違う。だって告白された時にアンナは苦しかった。どうすれば良いか、分からなかった。
あの日、幸太郎は言った。
「アンナが望むなら、このままの関係でも良い。でも少しでも考えてくれるなら好きになってほしい」
そんな大人な対応が出来るのは、幸太郎がアンナの気持ちを一番に考えてくれているからだ。それに気づかないほど馬鹿じゃない。でも答えが見つからない。
(幸太郎が私を好きだなんて思ってもみなかった)
アンナはギュッと目をつむった。眉根を寄せすぎて痛いくらいだ。
「アンナ、もしかしてあのコトを気にしてるの?」
「っ、」
「アンナが言ってた前世の記憶」
トトはアンナが前世の記憶を持って産まれ、そしてこの世界が本の中のものだと知っている。それはアンナが密かに教えていた。これから同じ時を生きるのなら、事情を話していても良いのではないかと思ったのだ。
「幸太郎とアンナが幸せになる未来はないの?」
グッと唇が引き締まる。苦しくて息が詰まった。
「っだって! シナリオの中では幸太郎は主人公で私はヒロインの一人なんだよ!? 原作の通りなら他のヒロインたちが出てくるの! シナリオ通りに生きたくないよ……!」
声を荒げた反動で、ハアハアと肩で息をする。こんなにも感情を爆発させたのは久しぶりだった。
「それ、どういうことだ?」
カランと、ドアベルが鳴り、扉が閉まると同時に外の光が閉ざされていく。
バッと弾かれたように出入り口を見れば、幸太郎が呆然と立っていた。
「こう、たろう……」
「シナリオってなんだ? 原作って何の話だ?」
「あ、幸太郎、その」
「教えてくれ」
鬼気迫る表情で一歩を踏み出してきた幸太郎は自分には聞く権利があると言っている。
「こ、幸太郎おちつて」
「トトは黙っててくれ。今はアンナと話す」
いつもトトの優しい幸太郎が、視線も送らずぴしゃりと言った。
アンナはガタリと椅子を引き、迫り来る幸太郎に体が震える。
「アンナ」
「っわ、かった……」
もう隠し通すことは出来ない。
アンナは震える唇を薄く開いて、自分の知っていることを話した。
ここは前世で読んだ本の世界で、幸太郎はその主人公。アンナはたくさんいるヒロインの中の一人で、幸太郎のことが好きになること。最後に元の世界に帰ることが出来るかはわからないこと。
「なんだよ、それ」
「こ、幸太郎」
震える肩に慰めの手を置こうとするとアンナの手は振り払われた。
「アンナは知ってたんだな? 知ってて俺を遠ざけようとした」
「…………」
「じゃあ、俺がアンナを好きな気持ちも本の中だからってことなのか? シナリオ通りなら、セシリアもミリアリアの気持ちも全部作り物なのか。俺が今までしてきたことも決められてたことなのか」
「待って! それは違う! セシリアたちは本当に幸太郎を信頼してる! それは嘘じゃない! それに私だって……!」
「黙ってくれ!」
「っ!」
大きな怒鳴り声が店内に響いた。その声は怒りと悲しみで満ちている。
「帰る」
「こ、幸太郎!」
踵を返した幸太郎の後を追いたいのに、足が見えない糸に引っ張られているようで上手く歩けない。
「幸太郎! 待って! ねぇ!」
いつの間にか開いた歩幅は、アンナを簡単に引き離してトアノブに手を駆けた。
「今までありがとう。これからは会い来ないから安心してくれ」
「まって、」
アンナの声は扉が閉まったことで幸太郎には届かなかった。
アンナはギュッと拳を握る。震える肩は収まらず、それどころか大きくなるばかりだ。
振り払われた手がジンジンと痛みが走る。それが、まるで幸太郎の傷心の深さを表しているようで、この痛みは罰なのだと絶望する。
「アンナ……」
トトが心配してアンナの服を食んで引っ張るけれど、今はその優しさを受け入れることは出来ない。幸太郎には寄り添ってくれる相手もいないのだ。その役目を担えるのは、幸太郎が異世界転移者だと知っているアンナだけだった。
「手が、」
「ん?」
「幸太郎の手がね、ゴツゴツしていたの」
ドゥメル祭で告白された時、幸太郎はアンナの手に触れた。その手はアンナより大きく、そして指は肉刺だらけで皮膚は固くなっていた。それは彼がこの世界で生きていくために、必死で努力した証だった。それがシナリオの出来事なんて絶対に思わない。そしてアンナの胸の痛みも。
(私だけが原作とは違うって思ってた。でも間違ってた。この世界は作り物じゃない。嘘じゃない。思考があって感情があって生きている。生きてる人間なんだ)
脳裏に浮かぶのは、幸太郎がやってきた日々のことばかり。毎日が騒がしくて忙しくて――。
(楽しかった……)
必死に生きている幸太郎を応援していた。
仏頂面で感情が分かりにくいのに、隠せない優しさに好感を持っていた。
来る度に苦手なコーヒーをちびりちびりと舐める姿を可愛いと思っていた。
訪ねてくるのに話すのはアンナばかりで、そこには必ず幸太郎が買ってきたアンナの好物があった。
今なら分かる。アンナに寄り添ってくれていたのは幸太郎だ。
好きな色なんて初めて聞かれた。
自分を真摯に見つめる眼差しの強さを初めて知った。
自分の手を包んだ体温に胸が張り裂けそうなほど強い鼓動の意味にようやく気付いた。
「わたし、幸太郎を好きになってた」
遠くなっていく背中を追いかける勇気はない。そんなことをしても、どうすれば良いのか分からない。
好きだと伝えてどうなるんだろう。
それすら彼を傷つけてしまいそうで、アンナは泣き崩れた。




