14=必要かどうか
「ヤヨイちゃんは、絶望捜査官がこの世界にとって、本当に必要だと思う?」
言葉が出てこなかった。そんなことを言う人がいたなんて。
クレハが言うのなら分かる。絶望を抱いていても、わずかな希望でもいいから見出せばいい、と考えているクレハなら、絶望捜査官は全く不要のものだと切り捨てるだろう。しかしそれは絶望を抱えてしまったからこそ出てくる考え方だと思っていた。
「……必要か、どうか?」
「私だってさ、その、絶望に溺れた人、とか言うんだっけ? そういう人何人か見てきたけど、別に攻撃的じゃなかったよ。確かにこんなボロボロになってまで生きるのなんて嫌だ、もういっそ死んだ方がいい、みたいな人はいたけど、それで周りの人を巻き込んでやろうって人はいなかった」
言われてみればそうだった。妻に不倫され、最愛の息子を持っていかれてしまった島永さんは、無関係な他の人には迷惑をかけないように気を遣っていた。それより前に私が処理した人たちも、死ぬことに抵抗こそしたものの、他の人を道連れにしようとはしなかった。
「それにさ、絶望捜査官って怖いガスマスクしてるじゃない? あの変なやつ。あれって意味あるの?」
「あれは、絶望を感染されないためのものよ」
「そうかな? 絶望ってホントに空気感染するもの? もしそうだったら今頃、あちこち絶望だらけだと思うんだよね」
あっけらかんとした言い方で、シノちゃんは的確に指摘した。
実際に絶望が空気感染すると思っている人はほとんどいないだろう。あれは絶望を忌み嫌う習慣の象徴であり、絶望を抱けばこうなる、と周りに知らせる見せしめのために存在するのだ。しかし外向きにはあくまで、絶望が感染らないように、と言うことになっている。
「それは……」
「やっぱり。別に絶望って他人に迷惑かけるものじゃないし、感染するものでもないんでしょ? だったら、わざわざ絶望をなくす必要はないと思うし、そのための職業も要らないと思うんだよね」
さも当たり前のことかのようにシノちゃんが言う。いや、実際当たり前なのかもしれない。絶望している人を見て気分が沈む人はいるかもしれないが、全く同じ理由で同じように絶望することはないはずなのだ。
「シノちゃん」
「……あ、ごめん。言いすぎたね。いくらヤヨイちゃんだって言っても絶望捜査官だし……それに、たぶんこういうのは思っててもあまり口に出さない方が……」
「……よく言ったわ」
「え?」
私は素直に驚いていた。たとえ表に出さなくても、そういう風に考える人がいたなんて。絶望捜査官のような仕事をする人がいなければ、この世界は成り立たないとみんな考えているものだと思っていた。
「……きっと、それが正しいんだと思う。もしかすると私のそばにいてくれたから、シノちゃんは気づいたのかもしれないけれど」
「それはそうかも。絶望捜査官ってどうしても怖い人、ってイメージがあるし、たぶん私もヤヨイちゃんがいなかったら避けてたと思う。でもヤヨイちゃんを見てたら、怖い人ばかりじゃないんだな、って思った」
実は一度だけ、巽さんから注意されたことがある。絶望を抱えた人の前でためらう様子を見せるな、と。絶望捜査官は警察の役割を果たす立派な仕事なのだから、特に絶望を抱く者に対しては威厳を持って接しなければならない、と。その時は絶望捜査官の側が舐められて反撃でもされたら困るから、と納得して終わっていた。
「……一つ、シノちゃんにお願いをしてもいいかしら」
「お願い? なに、改まっちゃって?」
「その考え方、大事にしてほしいなって。あまり大きな声では言えないかもしれない。けれど、絶望捜査官っておかしいんだって思い続けてくれれば、それでいいと思う」
「うん。まあ昔から思ってたことだから、思い続けるって感じはあんまりないけどね」
私はシノちゃんに助けてもらってばかりだ。今までだってシノちゃんがいなければ、父からかけられていた圧力が異常だとは気づけなかった。元からそういう環境で育てば、その環境自体がおかしいと自分で気づくのは相当難しい。
そして今も。絶望捜査官をはじめとする制度がおかしいと思う人が身近にいたことに、私はひどく安心していた。
「じゃあ私からも、一つお願い」
「シノちゃんの?」
「そう。絶望捜査官の仕事が辛くなったら、まず私に言うこと。間違ってもお父さんには言っちゃダメ」
「どうして?」
「今までヤヨイちゃんを絶望捜査官にしようとしてきた人が、辞めるなんて許すと思う? 私はありとあらゆる手を使って、ヤヨイちゃんを引き留めようとすると思うよ。……例えば、ヤヨイちゃんの記憶を消すとか」
そんなまさか、とは言えなかった。父には前科がある。クレハを正しい方向に教育できなかった母を、一時期でも天満家の一員だった、という記憶を抹消して追放したのだ。
「……そうね。父なら、そうするかもしれない」
「でしょ? 無理はしなくていい。辛くなったら逃げ出せばいいんだもん。天満家を逃げ出したくらいじゃ、人生は終わったりしないよ。私も一緒についていくし」
「それは……いいの?」
「いいよ。まあ、私が天満家を出て行ってからどうするのかは決めてないけどさ。でも何とかなる。少なくとも、そのまま天満家にいるよりは何とかなる」
そしてシノちゃんは優しかった。シノちゃんがいなければと思うと、私は恐ろしくなる。
「……ありがとう。シノちゃん」
「どういたしまして」
すでに空は暗くなり、街灯の光が恋しいくらいになっていた。私が立ち上がるとシノちゃんも自然に私の横に並んで、二人で帰途についた。
* * *
結局父に呼ばれて会議に同席したのは、翌日の午後になってからだった。それまでは私の使用人や、私の世話に割り当てられた父の使用人にも休むように言って、シノちゃんと二人で短い間にできることをしておいた。向かい合って食事をとったり、お風呂に一緒に入ったり、近場に遊びに行ったり。
自分の立場を忘れて、純粋な気持ちで遊んだのは何年ぶりだろう、と思っているうちに会議が終わり、第六特別区に戻らなければいけなくなった。
「っていうか、むしろあんまり長い間ここにいたくない。そんな感じでしょ」
「まあ、そうなるね」
シノちゃんはこういう時も的確に、私の気持ちを言い当ててくる。私は父の元から早く離れたかった。離れれば、その圧力から少しは逃げられる気がするのだ。
「忘れないでね。私のお願い」
「それを言うなら、シノちゃんも」
「ヤヨイちゃんのお願いはそんなに大事じゃないでしょ。元から私が思ってたことなんだし。それより、私の方が大事だから。辛い時に辛いって言えないのが、一番よくないの」
「……ええ」
約束だよ?とシノちゃんは何度も念を押した。私も同じ数だけうなずく。シノちゃんが訝しげな表情を見せた。
「ほんとに分かってる?」
「分かってる。間違っても、父に相談なんてしないわ」
それでようやく私たちは別れた。シノちゃんは天満家の使用人としての日々へ。私は絶望捜査官の任務へ。たった数年顔を合わせていなかっただけなのに、いざ会うと急に今までなぜ平気だったのか不思議になった。そして、会った後はもう当分会えないような気がした。
シノちゃんの満面の笑みを、私は小さくなるまで見ていた。




