15=絶望の中の希望
何となく空気が違う。
そう感じたのは、第六特別区内に入ってほどなくしてのことだった。具体的に言葉にすることはできない。しかし、帰省のためにこの街を出た時に比べて、何か重要なことが変わっている気がしたのだ。
「気のせいだろう。アタシとノノカはここにずっといたが、特に変化は感じなかったぞ」
家に帰り、久々の三人での食事の時にその話を切り出してみたが、クレハは首をかしげてそう言った。ノノカちゃんも、
「いつもどおりだったよ」
とのことだった。
「じゃあやっぱり、気のせいなのかもしれない。けれど、気のせいってするにはいやにはっきりしていた……」
「そういうものは考えてもどうにもならないことが多い。それより数日前までの生活に、早く戻すことだな」
私やクレハの力だけでは、絶望を抱えたままでも生きていける、ということを広めるのは難しい。それが天満家の影響力が大きすぎるせいだというのは、天満家出身の私が一番よく分かっていた。だがせめて、私たちにもできることをやっていかなければ、私たちのこの世界はいよいよ終わりだという気がした。
「……なぜ父は、あんな考え方になったのかしら」
「絶望に苛まれた人間は救われなければならない、と唱えた哲学者。その十二人の弟子はそれぞれ、師匠の教えに対して少しずつ異なった解釈をしている。精神統制法のもとになったのは、その中で最も急進的な考え方だという話は知っているか?」
「ええ。それはもちろん」
絶望捜査官を志す学生は、そのような哲学的な話も勉強しなければならないことになっている。だからこそ私は、『ユートピア』やその他いろんな哲学書を当たり前のように持っているのだ。絶望捜査官になる道が私の選択肢の中になければ、私の本棚はもっとすっきりしていただろう。
「あの男は、その弟子の考え方の盲目的な信者だ。アタシの目にもそう映るほど熱心だった。あの男の中では常に、絶望を完全に排除するという考え方が正しい。ノノカのように、その制度によって犠牲になる人間のことは二の次だ」
クレハにとっては、私の父はもはや親ではない。完全なる他人のような扱いだった。かく言う私も、父に対してはあまり親としての意味を見出していないから、同じようなものか。
「やっぱり、父の考え方が間違っている、と言いたそうね」
「当然だ。逆に聞くが、ノノカを前にしながら、お前は同じことが言えるか?」
「……言えないわね」
皮肉なことに、ノノカちゃんを見ることで、そして父を目の前にすることで、その考え方が間違っていると認識できた。そこまでしなければ気づけないほど、私はこの世界の制度に毒されていたのだ。
「しかしまだまだ精神統制法や絶望捜査官の制度には抜け道がある。今のうちに制度を変える努力をしなければ、この世界に未来はない」
精神統制法という制度に、私たちだけでも少しずつ抗ってゆく。そのためには、他の絶望捜査官が処理する前に私たちが見つけ出し、助ける必要がある。
「明日からまた仕事になるわ。遺体の用意をお願いできる?」
「無論だ。交渉は任せるぞ」
「ええ」
今度こそうまく、そして手短に説明しなければならない。
* * *
第六特別管理区の中心部は、遺体処理施設の周辺だ。三ノ宮駅の辺りは昔と同じく栄えてはいるが、そこに住む人はあまりいない。しかし、全くいないわけではない。
「シリアルナンバー75022、園田ミユキ」
私が今回担当することになった対象者は、そんな街の外れに住む一人だった。データベースの情報によれば、三ノ宮駅の近くで花屋を営んでいるらしい。二十代後半という若さにして、一人で店を切り盛りしているようだった。
「相変わらずの栄えようね……」
私は人混みがあちこちでできてせわしない三ノ宮駅の構内を通りながら、そんなことを考えてため息をついた。
三ノ宮駅はいつでも人が多い。が、それはその近辺に住んでいる人が多いからではなく、三ノ宮駅からどこかへ出かける人、あるいはどこかから三ノ宮駅まで来て、さらに職場や学校へ向かう人が多いからだ。もしかすると、わざわざこの近辺に用事があって来ている人は私くらいかもしれない。
「ここの角を左に曲がって、三つ目の建物……」
園田さんの住所もデータベースに載っていた。その情報を頼りに、私は目的地まで迷うことなくたどり着いた。駅から南に歩いてすぐの場所にあったが、本当に駅の近くかと思うほど寂れていた。そんな中でも、花屋は店を開けていた。
「ごめんください」
そう声をかけると、奥から華奢な体型の黒髪の女性が顔を出した。絶望捜査官だと一目で分かる私の服装を見て、園田さんは一瞬顔を引きつらせた。
まさか絶望捜査官がこんな形で訪ねてくるとは、夢にも思わなかっただろう。私もこんな形で絶望を抱えた人と対面するのは初めてだ。妙に緊張しているのが自分でも分かった。
「どちら様でしょう……?」
園田さんは私にそう返した。本来であれば、園田さんを殺しに来た、ということになるのだろうが、私の場合は違う。
「絶望捜査官の、天満ヤヨイといいます。園田ミユキさん。私が、あなたの担当になりました」
やっぱりか、といった風に園田さんは顔を引きつらせた。そして、何度か静かに呼吸をし、咳払いを一つしたところで、落ち着いた様子で口を開いた。
「……分かりました。ここで立ち話というのもよくないでしょうし、とりあえず中へどうぞ」
私はその言葉に従い、店の中へ足を踏み入れた。園田さんは私に話しかけることも、振り返ることもなかった。
店には色とりどりの花が並んでいた。この店の面している寂れた通りとは対照的に、花はどれも鮮やかで生き生きしていた。極端に数の少ない花もいくつかあって、今がたまたま客のいない時で、普段はよく来ているのだということが分かった。
奥の休憩室らしき場所で、私たちは席に着き向かい合った。
「……絶望を抱えているという話は、どこかで聞かれたのですか」
「私たち絶望捜査官には、絶望が見えるようになっています。ちょうどあなたを覆うように、黒い空気が見えるんです」
私は事実を伝えた。いるだけで周りまで暗いように感じる黒さが、園田さんを包んでいた。
「……両親と弟を、飛行機の事故で亡くして。たまたま私だけ用事があって、私以外での家族旅行だったんです」
「それが、絶望の原因ですか?」
「もしかすると、他の人はもっと深刻なのかも。でも少なくとも私は、家族を失って遺骨さえ拾ってあげられないと分かって、目の前が真っ暗になったんです」
その割には、ただ絶望を抱えているだけ、というわけではなさそうだった。園田さんの持つ雰囲気はちょうど、クレハのそれに似ていた。つまり、絶望の中にいくらか希望を持っているということか。
「……でも今は少し、立ち直れているんです。ようやく自分の花屋さんを持てて。小さい頃からずっと夢見てて、家族もずっと応援してくれていた夢なんです」
「少し希望が見える……のは、そういうことなんですね」
園田さんの話を聞いて、私は確信した。人間はこうあるべきなのだ。絶望を抱いても、なんとか希望を見出して必死に生きてこそ人間らしくなる。そんなクレハの言葉が、ようやく完全に腑に落ちた。
「……天満さん、ですよね。絶望捜査官と聞くともっと怖い人たちだと思っていたのですが。違ったんですね」
「その想像は残念ながら、合っています。私がたまたま、あなたの味方というだけです」
「味方……と、言いますと?」
「たとえ絶望を抱えていても、希望を持って生きようとしている人を殺すことは、私はしません。ですが私以外の人に目をつけられると困るので、少し処置を……」
――銃声。
一瞬その場だけ、空気がひどく張りつめた。それを感じ取った頃にはもう遅く、破裂音が私の耳を貫いた。同時に目の前の景色は一変する。椅子に座りまじまじと私を見ていた園田さんはバランスを失い、床に倒れ込んだ。頭部からは著しく流血していて、即死だとすぐに分かった。
「園田……さん?」
そこまで理解しても、私の頭は目の前の状況に完全には追いつけていなかった。園田さんが目の前で死んだ。なぜ? あの銃声はどこから? 誰が?
「天満ヤヨイ」
私の名が、背後から呼ばれる。反射的に振り返ってしまった。そこにはガスマスクをつけ、黒い警備服を着込んだ屈強そうな男が三人立っていた。
「精神統制法に基づく規定違反により、拘束する」
男の一人がそうつぶやくのとほとんど同時に、私の意識は遠のいていった。




