08-『無礼者』の契約
酒場〈パッチ〉の最奥にあるVIPルーム。
かつての地下鉄待合室を転用したその空間には、沈み込むような革製ソファと、重い空気をかき消すための安煙草の匂いが満ちていた。
円卓を囲むのは、ハイヴの命運を握る四人――アマディオ、サイモン、ノヴァ、そして先ほど合流したハッカーのスパーク。
「アマディオ……生きてたんだねぇ! もう、心配させないでよ〜!」
スパークがミルクベージュの髪を揺らし、甘い声を上げて抱きつこうとしたが、アマディオは疲れ切った手でそれを優しく押し返した。
「……スパーク、後にしてくれ。今は……そんな余裕がないんだ」
ソファに深く身を沈めたアマディオの顔は青ざめ、額には嫌な汗が浮いていた。
かつて戦場で見せていた冷徹な凄みは影を潜め、そこには一度命を落とし、生と死の狭間で追い詰められた一人の未熟な若い傭兵の必死さだけがあった。
「サイモン……頼む」
アマディオはかすれた声で、向かいに座る老情報屋を見つめた。
「俺一人の力じゃ、もうリサを守り切れない。エシュロンの追手はどこにでも現れる……俺はどうすればいい? どうすれば、リサを救える? どうすれば……俺の死を避けられるんだ」
必死に助言を求めるアマディオの姿を、サイモンは紫煙の向こうから静かに見つめていた。
その瞳には、未熟な青二才に対する呆れと、不器用な親友を放っておけない老獪な温かみが混ざり合っていた。
「……情けねえ顔するんじゃねえ、バディ」
サイモンは噛み潰した煙草を灰皿に揉み消すと、重々しく背もたれに寄りかかった。
「お前一人で世界を相手にできるわけがねえだろ。未熟な傭兵が背伸びして自滅するのを見ていられるほど、俺の性格は腐っちゃいねえよ……俺が助けてやる」
「サイモン……?」
「腹を括れ」
サイモンは不敵に口角を上げた。
「長年、このドブ底で腐らせていた『あの計画』を動かす時が来たようだな……エシュロンの喉元、セントラルOSの核を内側から引きずり下ろし、奴らの統制システムを完全に破壊する」
その言葉に、同席していたノヴァが目を見張る。
「本気か、サイモン! あの無謀な計画を今動かすっていうのか!?」
「今しかねえだろ」
サイモンはアマディオの肩をポンと強く叩いた。
「お前が連れてきたその小娘……『Pアリス』は、奴らのシステムを内側から食い破れる最高の鍵だ。俺たちがエシュロンを倒し、都市の支配を終わらせる。その混乱に乗じて、お前とリサの逃げ道を作ってやる」
サイモンは力強い眼差しでアマディオを見つめ返した。
「だからお前は、死んでもその娘を守り通せ……いいな、アマディオ」
「……ああ」
アマディオは力強く頷いた。未熟な自分を差し出された手で引き上げてくれた古株の言葉に、瞳に再び生気が宿っていった。
* * *
作戦会議を終えた後、アマディオはスパークに連れられ、彼女の隠れ家である『ハッカースペース』へと足を踏み入れていた。
無数のホログラムモニタ、乱雑に伸ばされた高規格ケーブル、そして電子機器の排熱臭が漂う狭い部屋。
「ちょっと! ボクはハッカーであって、医者じゃないんだよ!?」
スパークはぷんぷんと頬を膨らませながらぼやき、部屋の中央にある簡易ベッドにアマディオを強引に座らせた。
「上着脱いで! まったく、バイタルデータが滅茶苦茶なんだから……」
言われるがまま、アマディオは煤けたスカーフとジャケットを脱ぎ捨てた。
スパークは機材から伸びる生体スキャナーのコードを手に取り、アマディオの無数の傷が刻まれた胸元や首筋にペタペタとセンサーを貼り付けていく。
その冷たい指先が彼の肌に直接触れた瞬間――ビクッ!
アマディオは全身の筋肉を強張らせ、背中を大きく跳ねさせた。
「ちょっと、暴れないでよ」
スパークはいたずらっぽく笑うと、逃げようとするアマディオの肩を押し込み、ベッドの上に押し倒すようにして身体を上に乗せた。
「……っ」
「……どう?」
距離が一瞬で縮まる。互いの吐息が触れ合うほど間近で、スパークのミルクベージュの髪がアマディオの頬にさらりと落ちた。
「……スパーク」
「名前で、呼んで」
目の前にある、スパークの大きな瞳。
あまりの距離の近さにアマディオは息を呑み、耳まで赤くしながら必死に視線を泳がせた。
「……ハナ」
「意外と可愛いところ、あるんだね。ジョシュア」
くすくすと囁いたスパークは、すぐに表情を真剣なハッカーのそれに切り替え、目の前に展開した透過ホログラムの脳波波形を見つめた。
「……やっぱり。ねえ、アマディオ」
「……なんだ」
「信じられないよ……キミの脳、本来なら完全に焼き切れてる」
スパークの声から冗談の色が消えた。
「ただの機能障害じゃない。医学的にも論理的にも、キミの脳神経はとっくに死んでるんだよ……でも、彼女のノード・アクセス能力が、常識を超えたシナジーを発揮してキミの神経系を代行・補完してる」
スパークはアマディオの胸元にあるセンサーを調整しながら、感嘆の息を吐いた。
「キミたちは……本当に『二人で一つの生命』なんだね。彼女がキミの死んだ脳の演算を肩代わりして、命を繋ぎ止めている……こんなデータ、見たことないよ」
スパークは端末のキーを素早く叩き、アマディオの生体信号に付着していた暗号化ノイズを消去した。
「ついでに、追跡用の信号も偽装しておいたよ。サマラの奴、フィクサーまで雇ってキミたちを追わせようとしてたみたいだからね」
スパークはアマディオの上から体を起こし、満足そうに胸を張った。
「はい、メンテナンス終了!」
「……助かった、スパーク」
アマディオは身体を起こし、少し照れくさそうに首元を擦りながら、頼もしい仲間のハッカーに静かに感謝を告げた。
【データベース】
サイモン 年齢48歳 身長180cm 体重74kg
アマディオの旧友。
表向きはロウワーティアにある地下鉄を再利用した酒場『パッチ』を経営する実業家。だが真の姿はエシュロンの監視の目から外れた無法者であり、同じくしてロウワーティアに追放され、ハイヴと揶揄されるようになった市民が最後に駆け込むことが出来る場所『ハイヴ・ギルド』を設立、ハイヴが世捨て人や落伍者を揶揄する言葉ではなく、ギャングに準ずる影響力を持つ存在としての立場を確立した。
ハイヴ・ギルドが組織として巨大になった際、サイモンはある計画を実施した。
『「エシュロンの打倒」と、その支配から完全に独立した「ハイヴ社会の樹立」』。
サイモンはロウワーティアにあったエシュロンの中継基地をジャックし、独自の〈ハイヴ・ノード〉を網の目のように張り巡らせた。
そしてオプティック含め、電子機器を高度に改造し監視機能を解除した「ダーティ・デバイス」を提供。
この計画はロウワーティアにしか及ばず、ついにミッドティア、アッパーティアを解放し、エシュロンコープそのものを妥当することは叶わなかったが、サイモンの愛する故郷ロウワーティアには思想警察の目も届かない、汚泥にまみれた自由の地が広がった。
アマディオとはかつて決別した事もあった。
スパーク 年齢30歳 身長161cm 体重60kg
本名ハナ・シャキラ(Hana Shakira)。
アマディオが軍隊式のやり方で生き延びる中、スパークは自室から、サーバー室から出ずに、遠隔のハッキングだけで生き延びて見せた。
ザ・ゴースト。
企業のAI監視網の隙を突き、セキュリティの裏口をこじ開ける専門家、それがハッカー。
だが彼女は有象無象のハッカーとは決定的に違う。
コードを破る速度。ウィルス、アプリの開発技術。
彼女はダークウェブを流離う『幽霊』だった。
アマディオの事を兄貴分として見ており、彼に追いつくために必死に努力した秀才。
大人になってから武器の扱いにも習熟し、自身に馴染むようカスタマイズしたサコーTRGスナイパーライフルを使ってハイヴ・ギルドに舞い込んできた契約を攻略している。
元孤児。アマディオと同じ孤児院で育つ。
アマディオに好意を寄せているが、彼が軍に入隊してから距離ができる。
アマディオが軍から離脱し、帰還してからも、アマディオは殆どのハイヴから追放されてしまった為、接近する機会はなかった。
現在はノヴァと肉体関係を持っている。




