06-ザ・ゴースト/Hana Shakira
〈AM04:55〉。
ミッド・ティア。崩落しかけた廃ビルの屋上から、くすんだ都市を見下ろす影があった。
――彼女の名はスパーク。スパーク・ザ・ゴースト。
ハイヴの連中でその名を知らぬ者はいない腕利きのハッカーであり、狙撃手だ。
ミルクベージュの髪を冷たい風に遊ばせ、無造作に放り出された太腿の横には、場違いなほど無骨なボルトアクション・ライフル〈サコーTRG〉が据えられている。
長距離狙撃のポイントを定めたその瞬間、彼女のオプティックに、聞き慣れたガラガラ声が割り込んだ。
『おぉいスパーク。手を貸せ。アマディオの件、耳に入ってるか?』
「……あー、サイモン? ボクは今、仕事中なんだ。あのおバカさん、今度は何をしたの?」
『エシュロンの公式アナウンスじゃ、奴は「バイタル消失・脳死判定」……要するに死亡確認が出された……だがその数分後、施設を丸ごと一つ吹き飛ばして、アンダークロフトで追撃部隊を返り討ちにしやがった』
「は……? じゃ、一度死んで蘇ったってこと? ゾンビじゃあるまいし、気味が悪いニュースだ」
スパークは呆れ気味に呟きながらライフルを固定し、スコープを覗き込む。
円形の視界の先、数百メートル下の路地裏では、スーツ姿の重役がストリートギャングと裏取引の真っ最中だ。
「で、その生き返ったおバカさんは今どこに?」
『アンダークロフトの迷宮を抜けて俺の店に向かってる。だが、奴を追うドローン群を弾かなきゃ、コープの連中に俺の店まで嗅ぎ付けられちまう』
「……〈ザ・ゴースト〉の出番ってわけかー」
スパークは指先に意識を集中させた。引き金に触れる。一瞬の静寂。
――ズウンッ!
重圧なアウターバレルが火を吹き、大口径弾が取引を終えようとしていた重役の頭部を、一瞬で赤い霧へと変えた。
スパークはやれやれと溜息を吐き、ライフルを傍らに置くと、膝の上に携帯型PCを展開する。
企業のAI監視網の隙を突き、セキュリティのバックドアをこじ開ける電子諜報戦の専門家。
それが『ハッカー』だ。彼女の指が、キーボードの上で目にも止まらぬ速さで舞い始める。
「それにしても……エシュロンのセキュリティなんて、ボクに言わせればガバガバなのよね。追跡ドローンの足を止めるなんてちょろい作業」
『……大企業さまも、放置したバグのツケが回ってきたかァ』
「違うよ、サイモン。彼らはわざと『穴』を残してるんだ」
スパークの瞳の中で、膨大なアクセスログが超高速で流れていく。
「今のニューヨーク・メトロポリタンは、あらゆる端末や設備が相互接続された『モノのインターネット』の高度統合社会。セントラルOSが都市の全インフラを支配している。でも、そのOSの根幹には不自然な脆弱性が放置されていて、ESF軍の不正アクセスログでいっぱいなの。わざとボクらみたいなハッカーが侵入できる隙間を作って、テロリストを泳がせているんだよ」
『……都市を完璧に管理・監視する口実作りのために、あえて武器庫の鍵を開けておくってのか?』
「そう。すべてを繋げたうえで、あえてノイズを生み出す。それも含めて都市の『統制システム』なの。今のボクたちにできるのは、そのシステムに可能な限りのノイズを叩き込んでやることだけ」
* * *
――都市上層〈アッパー・ティア〉、エシュロン・タワー。
ラボの最深部、重厚な防音壁に守られた執務室には、痛烈な静寂が満ちていた。
巨大なホログラムモニタの前に立つのは、ディレクター・ケイン。
背筋を一切曲げず、整髪剤で完璧に固められた髪と、仕立ての良いスーツを纏った威厳ある組織の長だ。
その数歩後ろで、ドクター・サマラが静かに頭を下げていた。
「……一度心停止した被検体獲得用のアマディオが覚醒し、プロトタイプ・アリスを奪取して逃走。さらには施設一つが崩壊か」
ケインの声には怒声の欠片もなく、ただ絶対的な低温の圧迫感だけが存在していた。
「サマラ。説明を」
「は。全ては私の統括不足にございます、ディレクター・ケイン」
サマラは表情一つ変えず、忠実な科学者としての態度を崩さない。
「現場には上層部非公認のサイバネ兵の乱入が確認され、混乱に乗じた被検体のノード・アクセスがアマディオの脳機能を補完、予期せぬシナジーを発生させました。ですが……全ては私の責任です」
ケインはゆっくりと振り返り、サマラを冷徹な眼光で見据えた。
「謝罪は不要だ。私は結果しか求めん。プロトタイプ・アリスの身柄回収は、我がエシュロンにおける最優先事項だ。手段も予算も問わん。ESF直轄部隊の全域配備を許可する……サマラ、二度目の失敗は許されないぞ」
「御意に。直ちに追跡網の再構築に入ります」
サマラが深く礼を差し出すと、ケインは無言で踵を返し、執務室をあとにした。
威厳に満ちたその背中が見えなくなると、サマラはゆっくりと顔を上げる。
彼女の瞳には、冷酷な従順さの裏にある、狂信的な科学者としての暗い熱が宿っていた。
(ええ、仰せの通りに……ディレクター。ですが、私の実験を貴方に邪魔させるわけにはいかないわ)
サマラは周囲の目を盗み、私物のハッキング端末〈ダーティ・デバイス〉を起動した。
アマディオの体内に秘かに仕込んでおいた特殊な生体追跡チップが、エシュロンの監視網の目を潜り抜け、静かに応答を返す。
「……見つけたわ。ロウワー・ティアの酒場〈パッチ〉。潜伏場所としては上出来ね、アマディオ」
【データベース】
ネオ・フロンティアの都市「メトロポリタン」はSWの惑星コルサントのようだと思ってくれればいい。
都市のメガロポリス化開発が進むにつれて既存の都市の上に骨組みが覆い被さるように、極端な垂直方向の未来都市コロニーができた結果、地表は埋まり、巨大な摩天楼と路地がいくつも重なって階層ができた。(作中に登場するアンダー・クロフト、地下世界はその実旧文明の構造物やその上に少しずつ積み上げられていった、ネオ・フロンティア初期の都市化計画の名残りとなる古いインフラが眠る)




