35-双頭の炎/Between Twin Mighty Hounds
その時、轟音とともにアンダー・クロフトの巨岩を破り、アメリカ新政府軍の先鋒がなだれ込んできた。
大型の四輪駆動車が列をなし、機関砲の連射音が洞窟内に鳴り響く。
海抜が著しく上昇した現代において、ハドソン川と大西洋の境目は、まるで怒涛の滝のように激しい濁流と化していた。水煙が巻き上がる危険極まりない経路を、軍の強襲ボートが激流を押し分けて次々と滑り込んでくる。
米軍のUGV群が重厚な金属音を立てて進軍し、エシュロンが展開していた防衛部隊と衝突。薄闇の地下空間は、一瞬にして凄惨な大規模戦の舞台へと変貌を遂げた。
「アマディオ……っ!」
膝をついて倒れていたアマディオのもとへ、セッカが駆け寄る。彼女はその細い肩を必死に抱き上げた。
「ッ……ク、クックックッ……」
暗い吐血とともに、アマディオの口端から掠れた笑いが漏れた。
「……あの潜水艦のマザーシステムに、リサを幽閉したのか。ケイン、ガレス……お前たちだけでも、この混乱に乗じて逃げ切るために……!」
衰弱し切っていたはずの肉体に、復讐と執念の血が勢いよく巡り始める。アマディオはセッカの手を借り、自身の足で力強く立ち上がった。
ハドソン川の旧河床で、水煙を撒き散らしながら巨大な影がゆっくりと浮上してくる。
ガレス・オブライエンは、冷たい手つきで愛用の.357マグナム・リボルバーのシリンダーに弾丸を装填していた。
「この艦の全貌を、まだ拝んではいまい。我々の狙いは単なる核弾頭ではない。この艦こそが、我々に必要な真の兵器だ」
水面を破って完全に姿を現したのは、次世代型原子力要塞艦『アーク』。
既存の潜水艇という概念を根底から覆すその姿は、一棟の海上軍事基地そのものだった。先ほどまで猛威を振るっていた大型歩行兵器『メドゥーサ』すら霞むほどの、圧倒的な大鉄塊である。
「これより本艦は浮上を維持したまま、あの激流の滝へ突入する! お前たちに追撃は不可能だ」
艦橋に立つディレクター・ケインが言い捨て、ハッチの奥へと引き下がっていく。
だが、ガレスはなおも鋼鉄の甲板の上に佇んでいた。彼には、死神としての最後の仕事が残されていたからだ。
「アマディオ。この俺に与えられた最後の任務だ」
「……逃がしはしない」
アマディオは崩落した岩壁を力任せに蹴り飛び、巨大要塞艦の甲板へと着地した。ふたりは数メートルの距離を挟み、真正面から対峙する。
アマディオが腰から抜き放った『キンバー1911』の銃口が、真っ直ぐにガレスを捉えた。
「行くぞおッ!! アマディオーッ!!」
「ガレスッ!!」
咆哮とともにガレスのマグナムが吠えた。
アマディオは甲板の構造物の影へ身を滑り込ませ、死の弾丸を紙一重でかわす。
――キィンッ!!
甲板を穿った弾丸が甲高い跳弾音を響かせ、火花を散らした。
遮蔽物の陰で、アマディオの身体が微かに震えていた。
「どうした? 死に臨んで、いまさら怯えたか?」
構えを崩さず、ガレスが冷ややかに問う。
「……違うッ!」
アマディオは遮蔽物から一歩踏み出し、身を曝した。その瞳には、燃え盛る鬼火のような闘志が宿っていた。
「俺は……死神など恐れない!」
「なんだと……? 愚か者めッ!!」
ガレスが躊躇なくリボルバーのトリガーを引き、殺意の弾丸を放つ。
その刹那、アマディオの足先が鋼鉄の床を力強く叩いた。
――震脚。
地面を震わせる衝撃とともに、全身の軸を独楽のように超回転させる。押し寄せる空気圧の歪みが弾丸の軌道をわずかに滑らせ、死弾はアマディオの頬を撫でるだけで空を切った。
ガレスの目が、初めて驚愕で大きく見開かれる。
「銃闘術奥義……『弾丸滑り』かッ!?」
「ガレスッ!!」
アマディオの影が、一瞬にして視界から消え去った。
消失したのではない。人間の肉体の限界を限界突破した、異常なまでの初速が生み出した加速度。
「――『縮地』ッッ!!」
間合いが一瞬でゼロになる。
ガレスは即座にリボルバーの銃身を突き出した。ガン・フーの最も基礎的な迎撃の型。
だがアマディオは即座に身を捩り、鉄の塊と化した銃身の打撃をかわした。
ガレスは至近距離からカスタム.357の銃口をねじ込もうとするが、アマディオはそれを許さない。滑り込ませた左手でガレスの銃身を掴み、強引に外側へと弾き飛ばす。
ここからは、練り上げられた殺意と技術が超近距離で激突する、泥沼の肉弾戦だった。
ガレスが軍制式のCQCを叩き込む。これこそがガン・フーの源流。
鋭い右肘打ちがアマディオの側頭部を狙うが、アマディオは前腕で鋭くブロックし、そのままガレスの首元を掴んで垂直の膝蹴りを突き上げた。
ガレスはそれを掌で受け流すと、アマディオの重心を崩し、その腕を複雑に絡めて関節を破壊せんとする。
だがアマディオは関節が極まる直前、自ら全身を回転させて力を逃がし、逆にガレスの軸足を力強く払った。
鏡写しの攻防。ガレスが仕掛ける流麗な格闘に対し、アマディオはより荒々しく、より実戦的なカウンターを叩き返していく。
もつれ合い、拳で互いの顔面を砕き、血煙を上げながら甲板の上を転がるふたりの亡霊。
「ちいッ!」
ガレスは体勢を崩しながらも外側へ向けてリボルバーを一射し、その反動を利用して間合いを空けると、艦内へと続く通路の内部へ滑り込んだ。
「待てッ!」
逃走する背中を追い、アマディオも凄まじい執念で要塞艦の暗い廊下へと躍り出た。
* * *
通路に一歩踏み込んだ瞬間、フルオート射撃の猛威がアマディオの頬を掠めた。
「ッッ……!」
通路の奥、旧式のAKMライフルを構えたガレスの凶悪な高笑いが響きわたる。
「ハッハッハッハッ! この狭射路で面制圧を止められては、弾丸滑りも縮地も使えまい! ガン・フーは俺が組み上げた戦術だ。敵に肉薄できなければ、何の意味も持たんのだよ!」
アマディオは壁の窪みに身を隠すと、腰にマウントしていた重火器『ネゲヴ・コマンド』を引き抜き、見当をつけてガレスの方向へ牽制の連射を放った。
狭い要塞艦の通路で、銃声と跳弾が甲高く反響し、戦況は完全な膠着状態に陥る。
そこへ、通路の前後からエシュロンの電脳化強化兵部隊がなだれ込み、アマディオの退路を完全に塞いだ。
挟み撃ち。だが、この敵陣を破りさえすれば、ガレスへ肉薄する最短のラインができる。
アマディオはネゲヴ・コマンドの砲口に鋭利な消炎器を装着すると、陣地を捨てて包囲網の真っ只中へ躍り出た。
正面の兵士が銃口を向けるより早く、アマディオは身体を捻って射線をかわし、至近距離からの連射で眉間を撃ち抜く。
そのままネゲヴ・コマンドの頑丈なスチールフレームを相手の首元に引っかけ、大外刈りの要領で床へ叩きつけると、両脚で頸椎を強固に締め上げた。
二人目、三人目の強化兵が迫る。
アマディオは締め上げた敵の体を盾にしながら最小限の弾丸で正確に頭部を撃ち抜き、敵の包囲網を一瞬で制圧していく。
トドメの打撃とともに敵を投げ捨て、間髪入れずにガレスへと照準を合わせた。
洗練された近接殺傷のキルストリークが、ガレス・オブライエンへの距離を確実に削り取っていく。
――ドガガガッ! ドガガガッ!
アマディオとガレスの撃ち合い。アマディオは、敵の回避行動を限界まで読んだ指切り射撃を放ち、距離を詰めながらガレスの防具と肉体を着実に削っていく。
ついにガレスは弾切れを起こし、通路の曲がり角へと追い詰められた。
「アマディオ……俺の勝ちだ。リサはもう人間には戻れん。あの小娘は兵器だ! 我々の理想郷を実現するためのコアなのだ! リサは不朽の機械となり、お前はここで果てる……! その前に、この俺が苦痛から解放してやる!」
ガレスは空になったAKMを投げ捨てると、再び愛用のリボルバーを手に取り、素早い手つきでシリンダーへ弾丸を装填した。
「ここまで辿り着いたことは褒めてやろう……だが、この俺を超えられるかな!」
角から飛び出したガレスは、腰だめの低い構えからリボルバーの銃口を突きつけた。
アマディオは身体の超回転による『弾丸滑り』で初弾の軌道を完全にかわすと、その遠心力のまま強烈な旋風脚を繰り出した。
ガレスの顎に足甲がめり込み、巨体が大きく仰け反る。
アマディオは右手で『キンバー1911』を握り直し、左手には戦術ナイフを逆手に構えた。ライフルを捨て去った、超至近距離での最終戦闘。
ガレスが執念の拳を突き出してくる。だが、アマディオはその軌道を完全に読み切っていた。
伸び切ったガレスの腕の関節を鋭く極め、そのまま鋼鉄の床へと激しく叩きつける。
ガレスは痛みに顔を歪めながらも、決死のソバットを放ってガン・フーの死線から間一髪で緊急脱出した。
だが、アマディオの思考は既にその二手先を進んでいた。
――スパァンッ!
暗闇を切り裂く一閃。ガレスの右肩が撃ち抜かれ、血飛沫が舞う。
「ッッ――――!?」
死神が初めて見せた、一瞬の怯み。
その絶望的な隙を、アマディオは見逃さなかった。
身体の中心線へ瞬時に照準を合わせ、全ての決着をつける最後の一撃を放つ。
――ズドンッ!!
重厚な.45ACP弾がガレスの胸腔を正確に貫通した。
* * *
激しい静寂が通路を包み込む。
アマディオは静かに、硝煙の昇る銃口を下ろした。
「メメント・モリ……アメリカの死神。俺の……かつての恩師よ」
胸を穿たれ、大量の血を吐き出しながら、ガレスは力なく壁に背をあずけた。
「……どうだ、アマディオ。闘いほど、己の生を実感するものはないだろう……心の底から、澄み切った喜びが湧き上がるだろう……?」
「ガレス……!!」
「俺は……闘いがありふれた日常であることを望んだ。エシュロンにこの身を捧げたのも……すべてはそのためだ。裏社会の血生臭い抗争、企業同士の泥沼の紛争――闘いに身を投じ続ける限り、俺の居場所が消えることはない。俺が必要とされる時代が……終わることはないのだからな……」
膝から崩れ落ち、ガレスの巨体が鋼鉄の床へと倒れ伏した。
「アメリカ政府が威信を失い、行き場をなくした我が弟子……お前たちと同じようにな。この俺もまた……人を殺し続けた罪という過去から逃れることはできなかったのだ……俺たちは、等しく罪人なのだよ」
激流の音が響く艦内。ふたりの死闘の跡に、どこから迷い込んだのか、一羽の幻想的な青い蝶がひらひらと舞い降りてきた。
ガレスは残された左手の鋼鉄の義手を微かに伸ばし、その蝶を掴もうと空中を泳がせる。
その枯れ木のような手を、アマディオはそっと力強く握りしめた。
「その罪は……生き残る俺が背負い続けよう、戦友よ。俺のこの身体は……闘いの日々に散っていった亡霊たちの依代なのだから」
ガレスの瞳からすっと光が消えていく。最後に微かな満足感をたたえて、男は囁いた。
「……ありがとう」




