34-巨大二足歩行戦車『メドゥーサ』
大深度エレベーターが辿りついたのは、果てしない闇と静寂が支配する深淵――『アンダー・クロフト』だった。
かつて都市をうるおしていたハドソン川の支流は、いまや旧文明の壮絶な瓦礫によって完全に埋め立てられている。
再建されたニューヨークの地下深くには、地上からは想像もつかない広大な遺構の迷宮が広がっていた。
「これが……二十世紀の遺跡なのか」
アマディオの呟きが、冷え切った地下空間に低くこだました。
返ってくるのは、自らの声の反響のみ。頭上に覆いかぶさる朽ち果てた石造りの梁、赤錆びた鉄骨の骨組み、そして何十年も前に刻みが止まった機械の残骸。それは、忘却された過去のアトモスフィアそのものだった。
アマディオは静かに光学迷彩のスイッチを切った。
肌にまとわりつく湿った空気、旧時代の埃と金属の匂い。この遺跡を吹き抜ける地下の風を、己の素肌で直接感じたかったのだ。彼は両手を広げ、そっと目を閉じる。百年前、まだ青い空の下で人々が息づいていた頃の世界に思いを馳せた。
静寂を打ち破るように、オプティックのバースト通信からミオラの声が途切れ途切れに滑り込む。
『アンダー・クロフトに入ったのか……気象制御から溢れ出た恒常汚染霧のせいで、電波がままならナイ。これではそちらの生体情報を読み取りづらいナ』
「どうするつもりだ?」
『セッカを既に、機内に搭載していた偵察用スピーダー・バイクで先行投入済みダ。核兵器を確実に押さえるため、我々は機体を整備して遅れて合流スル』
通信が途絶すると、アマディオは提示された幾何学的な座標を頼りに、薄暗い地下の回廊を進み始めた。
途上、懐中電灯の光を乱反射させながら巡回する、エシュロンのサイバネ強化兵部隊と遭遇する。
アマディオは目にも留まらぬ手つきでキンバー1911を抜き放つと、銃口に減音器を装着した。
シュッ、シュッ――。
密閉された空間に、水滴が弾けるような乾いた消音弾の打撃音だけが残る。敵兵が叫び声をあげる隙すら与えず、一瞬で路上の脅威を排除して奥へと歩を進めた。
* * *
「あ、アマディオ……!」
「セッカか……!」
岩陰から飛び出してきたのは、スピーダー・バイクを乗り捨てたセッカだった。
合流を果たした二人だったが、目前の道は無慈悲な行き止まりとなっていた。巨大な崩落壁が頭上数十メートルまで切り立っている。
上を見上げれば何とか飛び移れそうな足場はあるものの、生身の跳躍力では到底届かない高さだ。
引き返そうと振り返った瞬間――ズズンッと地響きが轟き、今来たばかりの坑道が大量の土砂とともに落盤した。完全に孤立無援の密室と化す。
「な……あはは……これじゃ出られないね」
セッカは呆然とした後、半ば自暴自棄になったようにアマディオの腕にしがみついた。
「出れな〜い、出られなぁ〜い」
「……静かにしろ、セッカ。今の落盤……企業間抗争の時に体感したのと同じ振動だ。恐らく、すぐ近くから足音が近づいている」
アマディオはセッカの腰を抱き寄せ、巨大な岩の陰に身を潜めた。
直後、暗闇の中から姿を現したのは、鈍い光沢を放つ黒塗りのUGVだった。無人の警戒センサーを走らせ、滑らかな脚部駆動音を立てながら徘徊している。
「あれを奪い取る」
「えっ、正気!?」
セッカの制止を振り切り、アマディオは影の中から疾走した。
気づいた戦車が重機関銃の砲身を巡らせ、火花を散らして掃射を開始する。アマディオはアクロバティックな滑走と横飛び、滑らかな受け身を連続して繰り出し、弾幕の隙間を紙一重ですり抜けた。
疾走の勢いのまま、腰のポーチから手榴弾を引き抜く。狙うのは戦車の巨体ではなく、その足元――湿った地表の僅かな窪みだ。
ピンを抜いて滑り込ませた弾頭が、狙い過たず爆発。
足元を掬われた大型機体がバランスを崩し、盛大な金属音を立てて横倒しになった。
パイロットが予期せぬ衝撃にパニックを起こし、火器管制から機体制御へ意識を奪われたその刹那、アマディオは滑り込むようにコクピットの装甲へと跳び乗った。
非常用ハッチを力任せに抉り開け、中の兵士に冷たい銃口を突きつける。
「降りろ」
戦意を失ったパイロットは悲鳴を上げ、這うようにして機体から逃げ出していった。
「セッカ、乗れ! この機体の跳躍力なら、あの壁を越えられる」
「……ふ、二人で、これに乗るの!?」
「そうだ……狭いが我慢してくれ」
二人は狭小なコクピットへ押し込まれるように乗り込んだ。
一人乗りの操縦席に大人二人が入れば、当然、密着せざるを得ない。機体が再起動し、装甲が揺れるたびに、二人の身体は嫌応なしに強く擦れ合った。
コクピットを覆う赤褐色の遮光ガラスの内側。外からの光を遮られた密室で、二人の頬は紅潮しているように見えた。
「……この距離だと、お前の匂いも体温もダイレクトに伝わってくるな」
「あのさぁ……あんたって、自分が変態だって自覚ある?」
「……す、すまん。素直に思ったことを言っただけだ」
「じゃあ……こういうのはどう?」
セッカはルビー色の瞳を妖しく光らせると、アマディオの膝の上で小悪魔のように少し腰を揺らした。
至近距離で伝わる柔らかい感触に、アマディオの顔が一気に朱に染まる。
「や、やめろ……操縦桿が上手く握れない……!」
「ごめんごめん、冗談よ。大事な任務中だもんね。でも……ふふ、今回は私の勝ちね、アマディオ」
* * *
奪取した歩行戦車は、力強い関節駆動で切り立った崩落壁を跳び越え、アンダー・クロフトの不整地を破竹の勢いで踏破した。
辿り着いたのは、広大な地下空洞の最深部――ハドソン川の旧河床。
水底に佇む旧時代の原子力潜水艦の姿が見えたが、ハッチは開き、中の核兵器は既に一基、引き揚げられた後だった。エシュロンの手によって核の安全装置が解除されるまで、もう猶予はない。
そして、アマディオとセッカは、その広場の中央で言葉を失う光景を目撃した。
「歩行戦車が……こんなに大量に……」
暗闇の中に整然と列をなす、黒塗りの機体群。彼らが搭乗しているものと同型の小型兵器が、十数機近く眠っている。
だが、それ以上に二人を圧倒したのは、広場の中央に鎮座する異様な存在だった。
他の機体を遥かに凌ぐ巨躯を持った、寸胴体型の大型二足歩行兵器。建築物と見紛うほどのその威容は、旧時代のアメリカの象徴である『自由の女神像』を模していた。
だが、そこに母性や希望の面影はなく、生きとし生けるもの全てを喰らい尽くす悪魔の像にしか見えない。
超大型歩行兵器『メドゥーサ』。
潜水艦から引き揚げられた核兵器をあの巨体に装填すれば、いつでも都市を焦土に変える移動発射台と化す。
「あれを破壊しなければ……エシュロンの暴走を止めることはできない」
「……私たちなら、できるわ」
セッカはアマディオの首に手をつまむと、その唇に愛おしそうに誓いの口づけを落とした。
アマディオは意を決し、ハッチを開けて機体を降りた。
「援護を頼む。俺が生身で突入し、あの大型機を内部から破壊する」
「生身で……!? ふふ、いいわ、最っ高じゃない! 私があなたの『伝説』の目撃者になってあげる!」
セッカが操る歩行戦車の機銃が、機関砲弾の装填音を響かせる。肩部ミサイルポッドの蓋が開き、四連装の弾頭が牙を剥いた。
セッカが猛然と火気を吐き出し、敵の注意を引きつけている隙に、アマディオはAR迷彩を起動。姿を透明な幻影に変え、敵の中枢へと潜入を開始した。
ドガガガガッ!!
セッカの機体が地を蹴って跳ぶ。一斉に起動した敵の小型機群がセッカを包囲し、十字砲火を浴びせる。セッカは散弾で対抗し、地下遺跡の巨大な柱や破片を遮蔽物にしながら、驚異的な操縦技術で敵機を次々と撃破していった。
だが、多勢に無勢。敵の最終包囲網から、無数の対戦車ミサイルが尾を引いて迫る。
最初の一発は機体を捻って回避したものの、直後、背後で起きた爆風の衝撃波が機体を叩いた。
「あぁあッ……!?」
激しい衝撃がコクピットを襲い、セッカの視界が白く明滅する。強烈な脳震盪。
「くっ……あ……っ」
セッカの機体が力尽きたように膝をついた。その瞬間、死の宣告のように、無数の赤色レーザーサイトが一斉にセッカ機の背部へと照射される。
絶体絶命――。
その時、アンダー・クロフトの天井を破るかのように、一機のVTOL機が豪快にドックインした。
パァンッ!! と夜空を彩る花火のごとく無数のデコイが散布され、セッカに向けられていたミサイル群が一斉に軌道を逸らして周囲の岩壁を吹き飛ばす。
「あっ……し……死ぬかと思った……」
岩陰にへたり込んだコクピットの中で、セッカは膝を抱えて丸くなり、青ざめた顔でガタガタと震えていた。
『おいおい、セッカ嬢。あまり無理をするものではないよ』
通信から流れたのは、ライルの軽薄で頼もしい声だった。彼は荒っぽい操縦でVTOL機を地下遺跡の狭小空間に力ずくで滑り込ませたのだ。
続いて機内からミオラの叫びが響く。
『核兵器はどうなっていル!?』
「まだ……確保できていないわ……っ!」
* * *
その頃、アマディオは大型兵器『メドゥーサ』の前へと悠然と歩み出ていた。
光学迷彩を解き、肩にはどこから調達したのか〈RPG-7〉を担いでいる。
メドゥーサのカメラ・アイが、血のように重々しい赤に発光した。
(無人機……やはり、リサの脳波を中継して遠隔操縦しているのか……!)
アマディオは躊躇なく照準を合わせ、弾頭を発射した。
――ズドォンッ!!
激しい爆発がメドゥーサの装甲を揺らすが、分厚い複合装甲に阻まれ、一発目では殆どダメージを与えられない。
アマディオが手早く二発目の弾頭を装填しようとしたその時、メドゥーサの巨大な多角機関砲がギギギと音を立ててアマディオの全身を捉えた。
死が迫る――その瞬間。
『処理能力を散漫にさせてやるゾ!!』
ミオラが解き放った数十機の攻撃ドローン群が、蜂の群れのようにメドゥーサの頭上を高速旋回し始めた。無数の電子ノイズとダミー信号が撒き散らされ、巨大な演算処理回路が一瞬の隙を見せる。
敵の射撃線が狂った隙を逃さず、アマディオはコンクリートの破片を蹴ってメドゥーサの背後へと回り込んだ。
歩行兵器の弱点――冷却用排気口が存在する、無防備な背面。
「これで終わりだッ!」
至近距離から解き放たれた二発目のロケット弾が、メドゥーサの排気ダクトへ突き刺さり、内部で大規模な誘爆を引き起こした。
轟音とともに、自由の女神を模した巨体が崩れ落ちていく。
しかし――メドゥーサが完全に機能を停止したその瞬間、アマディオの身体からも、まるで糸が切れたかのように一切の力が抜けた。
「ぐ……あっ……!?」
視界が急速に明滅し、アマディオは冷たい泥の上に膝を着いた。
メドゥーサのシステムは、脳波を同期させていたリサの精神と深く繋がっていたのだ。
兵器の破壊による強烈な脳波フィードバックがリサの脳を撃ち抜き、そして彼女のノードと接続していたアマディオの生体維持装置をも、連動して停止させるというエシュロンの罠だった。
意識が遠のくアマディオの耳に、静かな足音が近づいてくる。
ハドソン川に沈む潜水艦のハッチから、優雅に姿を現したのは――ディレクター・ケイン、そしてその傍らに控える死神『メメント・モリ』ガレス・オブライエンだった。
ケインは倒れたアマディオを冷たく見下ろし、せせら笑うように言った。
「哀れだな、旧時代の亡霊ども……お前たちの時代は完全に終わりだ。さらばだ、古き良きアメリカよ」




