31-自分の意志
死の淵から滑り出してきたVTOL機がミッド・ティアの影に没し、アマディオとセッカは命からがら隠れ家の重い防音扉をくぐった。
降り注ぐ冷気と摩擦熱の残り香を纏った二人を迎えたのは、優雅にステムの細いワイングラスをあおぐライル・シェンだった。彼は両手を大げさに広げ、キザな微笑を浮かべる。
「よくぞ生還してくれた。これで――敵の本拠地に乗り込む準備は整った」
「……エシュロン本部か」
アマディオが吐息混じりに呟くと、ライルはグラスの赤を揺らしながら頷いた。
「アッパー・ティアの中央にそびえ立つ巨塔『ブラックウォーター・パーク』。あそこがエシュロンの本陣だ。我々は本部に潜入し、そこで核兵器の座標を突き止める……ただ、リサの居場所だが。彼女は現在『アンダークロフト』に移送中だ。流石にその詳細な足取りまでは、我々でも掴みきれなかった」
「つまり、エシュロン本部に乗り込んだら、その足でアンダークロフトへ直行する必要があるということか?」
「そうだ。ブラックウォーター・パークの中央エレベーターは都市のすべての階層――最上層のアッパーから最下層の遺跡地帯までを一直線に繋いでいる。まさにネオ・マンハッタンの心臓といったところだな……アマディオ。この作戦の成功には、君の力が必要不可欠だ」
アマディオは青痣の出来た肩を抱え、苦い顔で目を伏せた。
「……ガレス・オブライエン。あいつが、俺との決着を待っている。なのに、俺の身体は……日を追う事にボロボロになっていってる」
「なにも正面から勝てとは誰も言っていないだろう。俺たちも全力であんたをサポートする」
ライルは歩み寄り、アマディオの無骨な背中に温かい手をポンと添えた。
「大丈夫だ。あんたは一人じゃない」
「アマディオ。スーツの様子を見せて」
そこへ、研究ファイルを抱えたサマラが息を切らせて駆け込んできた。
彼女はすぐさまアマディオの前で膝をつき、彼の全身を覆うアーマーと生体ノードを素早く精査し始める。
至近距離で真剣な眼差しを向けられ、アマディオは照れくさそうにふいと顔を逸らした。
「……やっぱり。フェイスカム機能とAR偽装のバッテリーリソースが大きすぎたわ。生命維持装置の機能が……30%もダウンしている」
サマラの手が激しく動き、アマディオの胸元や首元のコネクタをさぐる。その声は悔しさに震えていた。
「私としたことが……あなたにこんな不便を強いてしまった。研究者失格ね」
サマラはハッとしたように手を止め、遠い目をした。
「私ね……本当は、人の役に立つ研究がしたかったの。私は幼い頃、脳の不可逆的な障害を患った祖父を救えなかった。人間の能力には限界がある。人間の欲求は、命を救うようにはできていない……だから、科学の力で人を救えたらどんなに幸福か、そう思ってこの道に進んだの。リサの件に携わったのも、彼女の『ノード・アクセス能力』の研究が人間の脳医学の発展に貢献できると信じていたから……でも、大企業による独裁政権下では、そんな理想なんて何の意味もなかったわ」
「……初めて君の過去を聞いた」
サマラは立ち上がり、そっとアマディオの肩に手を重ねた。
「……最初の出会い方は最悪だったけど。私、あなたと出会えて本当に良かったと思っているわ。あなたは医学的には……今でも脳死状態よ。でも、そんなあなたがこうして現実を認識し、痛みを感じ、私たちと話をしている。これって……本当に凄いことなのよ」
「……サマラ」
アマディオは低く絞り出すような声で言った。
「俺は……死にたくない」
沈黙が落とされる。アマディオは強く目を伏せた。
「あの研究所でリサを救い出し、企業との契約を破棄した理由も……今、命を懸けてリサを取り戻そうとする理由もそうだ。振り返ってみれば、俺は生きてきて一度だって自分のために何かをしたことがない。孤児院で育ち、兵役に服し、企業の雇われ傭兵となり、銃創を負いながら安い賃金でその日暮らしだ……俺は、本当に自由意志を持った人間と言えるのか?」
アマディオの巨体が、かすかに震えていた。
「……お前たちは言ったな。この街には観測者、調停者、執行者の役割があると。サマラ、そうなのか? 教えてくれ。どこまでが真実なんだ?」
サマラは悲しげに、けれど決意を込めた瞳で彼を見つめ返した。
「……いいわ。すべてを話す。だけど……決して、悲観しないで」
三人は場所を移した。
そこは隠れ家の一角にあるアマディオの自室だった。鉄パイプのベッドと無骨な机、簡素なコンピュータ、そして壁一面の武器庫だけが置かれた、あまりにも殺風景で冷たい部屋だ。
サマラは端末のキーを静かに叩きながら、重い口を開いた。
「私はエシュロンのやり方に嫌気がさして、この研究プロジェクトを強引に横取りしようとした奴らを裏切ると決めたの。そしてコンタクトを取ったのが……ライル・シェン。新アメリカ合衆国政府に所属する、CIAのエージェントよ」
「どうも」
ドアのフレームに背を預けていたライルが、ワイングラスを軽く掲げて冗談めかして応える。
「アメリカ政府は教えてくれたわ。未来の予測を可能とする『システム』の存在をね。私たちのオプティックや身の回りの電子機器……いいえ、このスマートシティと化したネオ・マンハッタンを統制し管理する都市OS『サム・システム』は、居住者の個人情報をすべて拾い上げ、データ化している。そしてその統計が……未来を予測するために使われているのよ」
ライルがコホンと咳払いをし、補足を加えた。
「正確には『起こりうる未来の可能性』を何度も試行し、超並列演算するのがサム・システムだ。そこに『役割』を持った人間が介入し、データ通りの演習をこなす。なあアマディオ、何度もビジョンに同じ広告が出て、店にも同じ商品しか並ばない。俺たちは必然的にその商品を買うことになる……だろ?」
「そう。そこでフリーの傭兵だったあなたに目がつけられた」
サマラがアマディオを直視する。
「ガン・フー使いのソロの傭兵。ガンマンとハッカーの適性を両立させ……エシュロンの最強の掃除屋『ガレス・オブライエン』に最も近しい男よ」
「つまりだな、アマディオ」
ライルがニヤリと笑った。
「俺たちの思惑はこうだ。独裁政権を打倒する『作られた英雄』を仕立て上げ、水面下で我々の破壊工作をおこなう」
「あなたはチェ・ゲバラの再来よ。ただし……アメリカを救うためのね」
サマラは小さくため息をついた。
「これが、この事件の真相。エシュロンを倒す英雄と、エシュロンを陥落させる事件を仕立て上げる。私は『観測者』として、ずっとあなたのデータを監視していたの」
アマディオは自嘲気味に口元を歪めた。
「……じゃあ、俺は『選ばれし者』というわけか。光栄だな」
彼はポケットから歪んだ煙草を一本取り出し、唇に咥えた。
サマラが即座に顔を顰める。
「……アマディオ、煙草なんて吸ったらその分だけあなたの身体が蝕まれていくわ! 生命維持装置の負荷が増大して、あなたに残された時間も減っていくのよ!?」
「これは……」
アマディオは、銀メッキのオイルライターをカチリと音を立てて机の上に置いた。
「……俺に残された、最後の自由意志だ」
「違うわ、アマディオ!」
サマラが強く叫び、彼の両手を握りしめた。
「あなたが戦うのは、システムに仕組まれたからじゃない。あなたの意志がそうするからよ! それは私たちも同じ。私たちが作りたい未来のために戦っているの。システムはそのためのルートを作っているだけに過ぎない……ストーリーを変えるのは、いつだって私たち人間なのよ!」
まっすぐなサマラの言葉が、アマディオの胸を強く突き動かした。
アマディオは唇の煙草を見つめ……静かにそれを床へ落とすと、ブーツの底でしっかりと揉み消した。
「……ライル。エシュロン本部にはどうやって乗り込む」
ライルは満足そうに微笑み、ワイングラスを置いた。
「こちらで既に潜入ルートを確保している。あとはお前の準備次第だ」
「……了解した」




