03-アメリカの最高執行責任者
都市上層〈アッパー・ティア〉に位置する極秘研究施設『ザ・ラボ』。
広大なホログラム会議机を囲む白衣の研究者たちは、青白いモニタが映し出す破滅的なデータに顔面を蒼白にさせていた。
「地下動力炉の完全破壊を確認……! プロトタイプ・アリス――リサを連れ、契約傭兵のアマディオが逃亡しました!」
「バカな! エシュロンの最新鋭セキュリティだぞ!? なぜたった二人に破られた!」
怒号と狼狽が交錯する中で、ただ一人、完璧な静寂を保つ者がいた。
ドクター・サマラ。彼女はタイトなスーツの裾を無造作に整えると、冷たい光を反射する眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げた。
「騒ぐのはおやめなさい。見苦しいですよ」
「サマラ! 君は事態の重さが分かっているのか!」
年配の主任研究員が、血走った目で卓上を叩いた。
「問題はアマディオの裏切りだけじゃない! 現場の映像を解析した結果……あの制圧部隊の中には、我々が配備した覚えのない『上層部直轄』の非公認サイバネ兵が紛れ込んでいた……! プロジェクト・アリスの存在は、すでにエシュロン本局の上層部にも察知されている……奴らもまた、力尽くで被検体を奪おうとしていたんだ!」
上層部による介入の痕跡。サマラは吐き捨てるように薄く笑った。
「でしょうね。上層部の豚どもが、人類史上最も危険な生体兵器を前にして指をくわえているはずがありません。ですが……より興味深いのは、その先ですよ」
サマラが指先でホログラムを操作すると、アマディオとリサの生命バイタルデータが二重らせんを描くように重なり合って表示された。
「敵ハッカーの脳波攻撃により、一度は心停止したアマディオの脳……その損傷部位を、リサの超心理学的ノード・アクセスが瞬時に補完・バイパスしました。驚くべきことに、現在二人の生命機能および脳神経系は完全な『不可逆の量子リンク』状態にあります」
「なんだと……? 生命機能のリンクだと!?」
主任研究員が叫ぶ。
若手の女性研究員、アリア・キムが息をのんだ。
「つ……つまり……どちらか一方が絶命すれば、もう片方の脳も即座に道連れで破壊されるということですか?」
「その通りです。リサは自らの意思で、あの男を『生存のための絶対的な基盤』に選んだ。アマディオはもはや単なる護衛ではない。リサという狂気を繋ぎ止める、唯一の安全装置となったわけです」
「安全……装置……」
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
上層部からの抹殺圧迫と、暴走すれば世界を崩壊させかねない危険兵器の逃亡。
二重の詰み状態に、科学者たちは言葉を失っていた。
サマラはゆっくりと立ち上がり、扉へと歩を進める。
「……で、どうするつもりだ、サマラ」
主任研究員が掠れた声で問う。
「決定は明白です」
サマラはヒールの音を響かせて立ち止まり、冷酷な笑みを浮かべて振り返った。
「表向き、我々ザ・ラボはエシュロンの忠実な管理下として動きましょう。二人を最優先抹消対象として指名手配し、表の追手として『追跡』のポーズを取る……ですが裏では、彼らに秘匿回線で補給と情報支援を行い続けます」
「支援だと……!? テロリストに協力するというのか!」
「違います。これは実験の次のフェーズです」
サマラの瞳に、狂信的とも言える知的探求の光が宿った。
「箱庭での観察期間は終わりました。野に放たれた最高峰の傭兵と最凶の生体兵器……彼らが極限の逃避行で見せる『外の世界での生きた実戦データ』を回収するのです。そして何より――上層部の刺客や他企業の追撃からリサを護るための最強の盾として、アマディオを利用する。これ以上に効率的な運用法がありますか?」
言葉を失う研究員たちを背に、サマラは部屋の扉を開けた。
「皆さん、怖がる必要はありませんよ。リサとアマディオが逃げ続ける限り、我々のプロジェクトは進歩し続ける……そう、すべてのシステムは、正常に進行しています」
* * *
『――こちら、イヴ・ヴァンスです。エシュロン治安維持局の発表によりますと、先日のミッド・ティアで発生した大規模な爆発は、無秩序を好む過激派犯罪者によるテロ行為であると断定されました。現在、エシュロン・コープは対象区画の民間人へ外出禁止令を発令しており、これに違反する者には即時逮捕、または重武装部隊による武力行使といった断固たる措置を……』
――都市上層〈アッパー・ティア〉、エシュロン・タワー最上階。
巨大なガラス張りの窓の外には、毒気のない透き通るような青空が広がっている。眼下には、幾何学的に配置された超高層ビルの群れと、完璧なダイヤグラムに沿って血液のように循環する車列、そして蟻のように這い回る人々の姿があった。
ディレクター・ケインは、ネオ・フロンティア最高峰に位置するこのオフィスの窓に映る自身の姿を見つめ、シルクのネクタイを締め直していた。
都市の高密度に組み上がったシステム。全てが完全に管理され、計算通りに可視化されるこの景色を見下ろす瞬間を、彼は何よりも愛していた。
壁面の巨大な液晶スクリーンでは、トップキャスターであるイヴ・ヴァンスが、昨日の爆発事件を淀みなく報道し続けている。
――彼女は良い仕事をしている。大衆に与えるべき『真実』を的確に流布する、これぞ本物のジャーナリズムだ。
ケインはそんな皮肉めいた称賛を脳内で送りながら、ソファの前のコーヒーテーブルに置かれたホログラム装置を作動させた。
青白い光が網目を結び、猛火に包まれて崩壊していくミッド・ティアの施設を空中に投影する。
分厚い防音ガラスに守られた彼のオフィスは、完璧な静寂に包まれていた。
「旧合衆国の亡霊……我が完璧なシステムを乱す、忌まわしき不具合め……」
この男こそ、エシュロン・コープのCOO〈最高執行責任者〉にして、『特別代替大統領』メイナード・ケイン。
白金に輝く完璧になでつけられた髪と、感情を削ぎ落とした合成の碧眼。仕立てられたスーツの上に羽織る、皺一つないシルバーの機能性シールドコート。
それは、富と権力の象徴であるアッパー・ティアの『クリーン・サイバネティクス』を体現したような、無機質な美しさだった。
だが、ケインは微かに眉間に皺を寄せ、苛立ちと共に机を叩いてホログラムの映像を切り替える。
クリーンな外見とは裏腹に、彼の喉の奥から漏れ出た低く濁った唸り声は、さながら密林で獲物を狙う貪欲な猛獣のそれだった。
ケインの合成眼球がギラリと冷たい光を放つ。
空中に投影されたのは、施設を破壊したテロリスト――アマディオの顔面データだった。
「データ化できないファントム……即座にデバッグし、消去すべきバグだ」
ケインは誰もいない空間に向けて、絶対的な権力を持った冷徹な声で命じた。
「――マザーシステム。エシュロン私設軍の全追跡プロトコルを起動しろ。脅威レベル、コード・レッドだ」
オフィスの照明が、警告を示す薄暗い赤色へと切り替わる。
「奴らの逃走ルートを全ネットワークから割り出せ。ネオ・フロンティアの秩序を乱す異分子は……塵一つ残さず排除しろッッ!!」
【データベース】
〈ネオ・フロンティア〉……文明崩壊後の新体制、再建された『新アメリカ合衆国』。
旧合衆国の「自由と開拓精神」を建前にするが、実態はエシュロン・コープが支配する企業寡頭制国家。
文明が再興された都市の外は、汚染され生態系が死滅した死の大地が広がっている。
〈都市『メトロポリタン』―アッシュスカイ・シティ〉……旧文明の上に再建された、ネオ・フロンティアの首都機能を持つ垂直方向に極端に発展した新アメリカ合衆国の首都『メトロポリタン』。核戦争後のニューヨークの廃墟から再建された。
上層、中層、下層、地下の4つの区画で構成される。
富裕層、企業幹部が居住する上層と、貧困層が居住し、工場地帯が広がる中層・下層の格差が極限まで進んでいる。
また、メトロポリタンの周囲を囲むようにヘリオス01~ヘリオス09までの外縁部が存在。それぞれが小さなドーム状のコロニー型都市となっている。
そのヘリオスモデル、ヘリオスシリーズと呼ばれるプレハブ型の都市は新合衆国の都市国家モデル『メトロポリタン』よりミニマムだが、設備はメトロポリタンに匹敵するものが備わっている。
主な産業はスカベージング。
盛況な文化は違法レース。
〈グレイ・ヘイズ〉……恒常汚染霧。大気上層の汚染粒子により、太陽光が遮断された恒常的な状態。地上は常に薄暗く、大半の居住区は酸性雨と重金属汚染に苦しむ。
ウェイストランドは、この汚染霧に常に健康を蝕まれる環境となるが、霧を避けることができる“オアシス”も確かに存在し、そういった場所では『部族』が暮らしている、という噂もある……
〈エシュロン・コープ〉……ネオ・フロンティア政府の軍事・インフラ・情報・金融の全てを掌握する最大のコングロマリット。社のロゴは「頂点に向かう階段」を模して考案された。
元々は映画を製作する会社だったが、次第にテーマパークを開園し、世界一の企業に。旧文明のアメリカ合衆国の大統領にまで登り詰めた創始者は、高度な都市計画を発案。それが今の都市国家『メトロポリタン』と新アメリカ合衆国である。
本部であるエシュロン・タワーは地上150階、地下50階に渡る大規模な構造物。
〈ニュー・オーダー法〉……エシュロン・コープが主導して制定させた法律。市民の遺伝子情報・行動履歴の常時監視、治安維持名目での即時処刑権を警察・軍隊に与える。
〈ノード・ネットワーク〉……電子情報ネットワーク。インターネット。
〈オプティック〉……埋め込み型・神経チップ。個人認証、健康管理、仮想インターフェイス投影、そして脳のノード常時接続を担う。エシュロン・コープが製造、販売。市民の行動・思考・感情の監視の要である。
違法に改造することでエシュロンの監視を切る他、ノードへの侵入・脆弱性の攻撃も可能となる。
〈スマートフォン、ノートPC〉……エシュロン・コープが市民に提供・管理する標準端末であり、オプティックと連携した機能を持つ。専ら企業による常時監視の窓口である。
ハイヴはオプティック含め、これら電子機器を高度に改造し監視機能を解除した「ダーティ・デバイス」を使用する。
〈ザ・ハイヴ〉……ネオ・フロンティアの下層、地下世界で活動する反体制派、アウトロー、元企業戦士、廃墟の住人など、社会のはみ出し者たちの総称。
そんな地下世界の住人であるハイヴの集合体『ハイヴ・ギルド』のネットワークは主に情報・密輸・傭兵稼業で成り立っており、専ら非合法的な活動が彼らの生命線である。
〈プロトタイプ・アリス〉……ジェネシス・ラボラトリーズが極秘に進める人体実験プロジェクトのコードネーム。リサは数多く存在するPアリスの中の「完成形」あるいは「特殊な変異体」である。
〈ノード・アクセス〉……オプティック拡張の機能を海馬にインストールする人体実験により、あらゆる電子情報ネットワークに無意識下でアクセス・干渉できる能力。この力を扱うリサの脳は、巨大なサーバーネットワークのように機能する。ただし、能力を使用すると肉体に大きな負担がかかる。




