↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/38

02-プロトタイプ・アリス

 都市の下層から中層を繋ぐカーゴ・リフトの呼び出しボタンが緑色に光った。


 アマディオは、エシュロンの監視を逃れるため、旧文明の遺産である狭くアナログな旧式カーゴ・リフトを利用した。


 リフトがキイキイと音を立て、歯車が動き出す。

 十数分後、都市中間層のミッド・ティアに到達。

 リフトのドアが開き、一歩足を踏み出すと光が広がった。


 高い景色から見渡せるのは、無機質なブロック状の集合住宅や工場。

 そして、張り巡らされた電線とリニア・トランジットの線路。

 街全体から、常に機械の騒音と化学物質の匂いが漂う。


 アマディオはリフトを出てすぐの手すりの前で立ち尽くした。

 ネオンの光、狭い路地を走る車、そしてリニアの光の粒が、絶え間なく彼の視界を横切る。


 しばらく景色を眺めていると、右耳のオプティックに、依頼主であるザ・ラボからのビデオ通話要請がかかった。


 着信に応答すると、眼前にホログラムのワイプがフラッシュ表示される。

 現れたのは、ドクター・サマラ。三十代後半、褐色の肌と眼鏡を持つ、冷静でスマートな女性だ。


『ミスター。ジェネシス・ラボトリーズの緊急コードに基づき、次の高額報酬の任務を提示します』


「単刀直入に」


『ミッド・ティアの施設から〈プロトタイプ・アリス〉の研究データチップを回収してください。エシュロンのデータ調査が入る前の、時間との勝負よ。報酬は前回の三倍を提示します』


「お前たちの管轄下の施設に、何故俺のような外部の人間が潜入する必要がある。エシュロン内部の派閥争いか?」


『……あなたの懸念は理解します。ただ、データチップの回収は緊急を要する。あなたなら、あの厳重なセキュリティを「ノイズ」としてすり抜けられるでしょう。ファイルと施設情報を送信します』


 サマラは概略を伝達すると、通話を切断。ノード上からオフラインになった。


(この仕事はいつもより厄介だな……ザ・ラボとやらの素性もわからない)


 アマディオは兵役時代のカンから、一抹の不安を覚えた。

 しかし、金払いの良さと、エシュロンを怒らせるという事実だけで、彼の体制への反骨心は十分に刺激された。



 * * *



 アマディオはすぐに端末からノードにアクセスし、オプティック拡張機能を作動。

 エシュロンの監視システムに自身の生体信号を偽装する。


 路地裏に出ると、スチーマーズ・タクシー社の黒いハイブリッドタクシーを捕まえ、エシュロンのGPS管理を抜けてターゲットのビル前に到着した。


(ここだな。窓が一つもない建物。ジェネシス・ラボトリーズの最高機密基地)


 彼は壁面の重厚な鉄扉に目を向けた。

 複雑な電子ロックだ。このコードを破れるハッカーはそうそういない。


 ――キィィン――


 オプティックの拡張機能で、視界に回路のグリッド線がフラッシュ表示される。

 光る線を辿り、建物を登った先で閉回路ボックスを停止させると、鉄扉のロックが解除される。


 ガタガタッと、路地に電子音と歯車の音が反響し、アマディオは開いた扉から施設に足を踏み入れた。



 〈PM15:49〉――ミッド・ティア、ジェネシス・ラボトリーズ秘密研究施設。


 アマディオは暗い通路を、電子ロックを解除して進んだ。

 内部は無機質な外壁とは違い、レイアウトは白い幾何学模様の壁、明るい照明、汚れ一つない床で構成されている。


 ロビーを巡回するドローンを確認したアマディオは、すぐに懐から小型EMPパルス・グレネードを取り出し、ドローン群と監視カメラを機能停止させた。


 ――角の向こうから、重い装備をまとった企業警備兵の足音が近づいてくる。


 企業のプライベート・ソルジャーが履くタクティカルブーツが、金属製の床を鳴らす。

 規則的な足音。人数は一人。


 アマディオは音もなく壁に背を預け、愛銃のM1911〈ガバメント〉を胸の前に引き寄せた。

 銃口は下。視線は角の先、床に伸びる相手の影だけを捉えている。


(……3、2、1)


 影が角を切り取った瞬間、アマディオは自ら踏み込んだ。

 警備兵が息を呑むより早く、その懐へ滑り込む。


 兵士の右手が、スリングで吊られたSMGのグリップを握りかけた。


 反射が、思考を追い抜く。

 アマディオは一歩でその懐を殺した。


 相手が銃口を持ち上げるより早く、アマディオの左手が敵兵士の持つSMGのボルトを上から力任せに掴み、フレームごと胸元へ強く押し付けた。


 金属と、強化樹脂が激しく擦れ合った――これで敵兵士の右指はトリガーガードの外側にロックされ、引き金を引く空間を失う。


 仮に撃たれても、ボルトの後退をアマディオの左手が物理的に阻んでいるため、初弾のガス圧で給弾不良(ジャム)を起こして沈黙する。


「なっ――」


 敵兵士が声を漏らそうとした瞬間、アマディオの右掌底がその顎の下を正確に跳ね上げていた。

 ガツン、と歯の噛み合う鈍い音が小気味よく響く。脳を揺らされた兵士の視線が泳ぐ。


 だが、まだ意識は飛んでいない。

 敵兵の左手が、腰のホルスターのハンドガンへ伸びるのが見えた。


 アマディオはSMGを固定していた手を一瞬で下へ滑らせ、兵士の左手首を上から強かに叩き落とす。


 そのまま敵兵士のハンドガンのグリップごと、その手をホルスターの奥へ縫い付けるように自重で圧迫した。これで副兵装(セカンダリ)も抜けない。


 両腕の自由を奪われ、完全に棒立ちとなった敵兵士の懐へ、アマディオは右肘を最短軌道で突き刺した。


 狙いはみぞおち。防弾ベストのわずかな隙間、ストマックガードの直下だ。


「が、ふっ……!」


 肺の空気をすべて強制排気された敵兵士が、エビのように身を折り曲げる。

 すかさず、ホールドしていた敵兵の手首を巻き込むようにして、アマディオは相手の背後に回り込んだ。


 動きを封じられた兵士の首筋に、アマディオの右前腕が深く食い込む。

 頸動脈を締め上げると、その時には既に暴れるだけの酸素は、もう兵士の脳には残っていなかった。


 ギチギチと、タクティカルベストのナイロン繊維が擦れ合う音が静寂に響く。


 3秒。4秒。兵士の指先から力が抜け、緊満していた巨体が、急速にただの肉塊へと変わっていく。


 完全に意識が落ちたのを確認し――アマディオは、ダメ押しに敵兵士の身体に脚を掛け、床へと投げた。


 ――ビタァァァアッン!!!!


 硬質な地面に叩きつけられた敵兵士。これで完全に意識を失い、テイクダウンを取られたことだろう。

 それは、日本の柔道に近い技巧だった。


 これこそが夢幻の戦士(ザ・ファントム)の技術(スキル)、『ガン・フー』。その技術系統(スキルツリー)の初歩段階に位置するCQCの基本的な型だ。


 携行された銃器はどれも一度も火を噴くことなく、その役目を終えていた。


 ――かくして、巡回する兵士を次々とガン・フーで討ち倒し、クリーンな未来型の通路を進む。


 それは、『単独潜入任務』の極意。アマディオの『ガン・フー』の真髄は、隠密行動とゲリラ戦術の組み合わせにあった。


 後ろから、掴みかかって『投げ』に転ずる。


 正面から接敵すれば、素早い徒手空拳の連打、その合間、合間には敵の利き手を押さえることで反撃を許さず、的確に『テイクダウン』を狙うCQCへの発展。


 サイドアームとして選択したM1911を用いた『関節技』。首を絞めれば、投げ、寝技へと発展させられる。


 アマディオは『ファントム』の異名に相応しい隠密作戦を展開し、敵兵士と接触(コンタクト)することなく、目的地であった施設の中枢部へ辿り着いた。



 * * *



 隔離区画の重いハッチを開けると、そこは無機質で冷たい青い光に満ちていた。


 黒い遮光カーテンを切り裂いた先、強化ガラスで覆われた巨大な培養ポッドの中に『それ』はいた。


 肩まで伸びた黒髪、透き通るような白い肌、そして全身の至るところに刺し込まれた太いデータプラグとチューブ。信号が点滅するたび、液中で少女の細い体が微かに跳ねる。


「……これが、お前たち(ザ・ラボ)の言う『回収対象のデータチップ』だと?」


『……そうよ。それは『超心理学』の被験体。最新の重要な研究データの生きた標本よ』


 アマディオの本来の目的は、企業間戦争の裏で取引される極秘情報の奪還だった。だが目の前にいるのは、情報ではなく人間そのものだ。


「……わかった。回収する」


 彼が思わず水槽に手を触れ、ガラス越しに少女の素肌へと指を重ねた――その瞬間。


 警告音が鳴り響き、背後の防音ドアが爆破された。


「侵入者確認! 排除せよ!」


 重装甲を纏ったESFサイバネ兵が雪崩れ込んでくる。


「なっ――」


『そんな……罠が仕掛けられていたというの!? ミスター、応戦をッ――』


「わかった、ネットで支援してくれ!」


 アマディオは反射的に身を翻し、腰の『M1911』を抜いた。


 ――パン、パンッ!


 マズルジャンプを抑え込んだ寸分の狂いもない頭部射撃。二つの肉塊が汚水へ倒れ込む。アマディオは瞬時に敵の懐へ飛び込み、手首を破砕しながらM4カービンを奪い取ると、ガン・フーの流れるような動作で後続の兵士たちを格子状の火線で薙ぎ払った。


『アマディオ、聞こえる!? 敵の電子諜報戦部隊が介入してきたわ! 今すぐそこから離れ――』


「電子諜報戦部隊、だと!?」


 サマラの切迫した通信を、突如として脳内を駆け巡った超高圧の痛みが引きちぎった。


「ぐッッ――――おおぉおーーーッ」


 敵ハッカーによる強力なニューラル・クラック。アマディオのオプティックが赤く血に染まり、脳の視床下部が灼熱の火で焼かれていく。


「あ……が……ッ……!」


 視界が暗転する。M4カービンが手からこぼれ落ち、膝が折れた。


『……ミスター? 応答して! ミスターッッ!!』


 耳元でリフレインするサマラの悲鳴が、急速に遠のいていく。アマディオの心臓が不規則な警告音を打った後、完全に停止した。


「……侵入者のバイタル消失。脳死および死亡を確認!」


 ESF兵の冷静な報告が響く。しかし、アマディオが絶命したその数秒後――戦場は異様な沈黙に包まれた。


 ――ブチッ、ブチチチッ。


 ポッドから液体が噴き出し、無数のプラグが強引に引きちぎられるエアー音が響く。


 水槽の破片とともに床へ降り立った少女――リサの青い瞳が、怪しく発光していた。


「……な、なんだこの出力は!? ね、ネットワークがオーバーロードッッ――ぎゃアッ」


 兵士たちが頭を抱えて悲鳴を上げた瞬間、全員のサイバネティクスが一斉に発火した。


「がああああッッッッ耳がッッ!! 止めてくれえええええッ!!!!!」


「本部!! 助けてくれ!! どこかにハッカーが――ああああッ」


「小さい子供が……あぁあッ」


 リサの正体。それは超心理学と量子的脳干渉を融合させ、あらゆる電子網および生体の神経系を無意識下で瞬時に破壊・統御する『次世代の兵士』――究極の生体兵器「プロトタイプ・アリス」の実体であった。


 全滅した兵士たちの死体が重い音を立てて倒れる中、リサはアマディオの亡骸へと歩み寄った。

 彼の胸に小さな手を重ね、耳元でそっと囁く。


「……起きて」


 その言葉と同時に、強力な精神波がアマディオの焼損した神経回路へと流れ込んだ。


 リサの異常な脳能力が、アマディオの死んだ脳機能をバイパスとして代行・補完する。二人の命と意識が、不可逆の領域で『リ(・)ン(・)ク(・)』した瞬間だった。


 ドクンッ!


 アマディオの目に光が宿り、途絶えていた息が荒く吐き出された。


 覚醒した彼の脳裏に、サマラの通信ノイズを押し退けて、直接リサの声が響き渡る。


『……私を連れて行って。自由になれるところへ』


「う……うう……」


 アマディオは本能的に悟った。この少女を引き渡せば、この少女と離れれば、この少女を見失えば――自分の生命は終わる。


「わ……わかった。お前を自由にしてやる……だが――俺の生殺与奪権を掌握したと思ったら、大間違いだぞ。もし俺を用済みと判断したなら、小娘……お前も殺す。道連れだ」


 アマディオはリサに銃口を向けながら、覚束無い動きでサマラの通信回線をミュートした。もはや依頼人への報告も、契約の履行も意味をなさない。


 アマディオは研究データが眠る中央端末を破壊し、施設のエネルギー核である動力炉へC4爆薬を隙間なく貼り付けた。


 タイマーセット――その数秒後、背後で巨大な水柱と炎の嵐が巻き起こり、プロトタイプ・アリスに関する一切の不都合な真実が爆圧の中に消え去った。


 混乱と悲鳴が飛び交うミッド・ティアの市街地を、アマディオはリサの手を固く握りしめたまま駆け抜けた。


 背後では警報が鳴り響き、追撃のヘリが空を切り裂いている。


 滑り込んできた深夜のカーゴ電車のドアを力任せに開け、二人は暗闇の中へと躍り出た。


 遠ざかる都市の灯りを見つめる二人だけの車内。

 組織を裏切り、生体兵器を奪い去ったアマディオと、生体兵器そのものであるリサ。


 彼らは二度と表の世界の光を浴びることはできない。

 全米のデータベースに刻まれた最上位の『ブラックリスト』として、二人の終わりのない逃避行が今、始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
cqcとcqbの違いがわかっているあたり、作者様、『本物』ですね! いやー渋い銃撃戦の連続で大興奮です。兵役経験があることを度々示唆されている主人公ですが、一体どんな過去があったのか今から楽しみです…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。