29-ネオ・マンハッタン潜入
アッパー・ティアへの潜入を控え、アマディオはサマラの隠れ家でスニーキングスーツの最終調整を行っていた。
サマラから贈られたその特殊戦闘服の正式名称は『ソ連軍ステルスアーマー』。漆黒のケブラー繊維がアマディオの体躯をしなやかに包み込んでいる。
「そのスーツの、もっとも先鋭的な技術を紹介するわ」
サマラはそう言うと、アマディオの頬に静かに手を当てた。
瞬間、スーツに搭載された『AR偽装機能』が起動する。黒い戦闘服の表面が電子の光粒に覆われ、瞬く間に上質な仕立てのテーラーメイドの背広へと変貌を遂げた。
さらにサマラは、アマディオの素顔の特定を防ぐため『フェイスカム機能』のスイッチを入れる。
無造作なミリタリーカットだった彼の髪は、光の屈折によってミディアム丈の濡れ感のあるオールバックへと変わり、顎にはセクシーな髭が浮き上がった。
「あら、若い頃のメメント・モリにそっくりじゃない?」
「ホログラムで、ここまで……」
「新ソ連が開発したステルス迷彩は、もう日本や韓国、中国じゃ若者の間で一般的な技術なのよ?」
「日本か……いつか行ってみたいな」
「行けばいいじゃない、仲間たちと。リサを救い出してからね」
サマラは言葉を切り、手元から一本の注射器を取り出した。
「その注射はなんだ」
「あなたのバイタルを安定させる鎮静剤よ。これがなければ、あなたの脳死状態が進行してしまうわ」
「リサのために回収した、あの栄養剤のようなものか」
「そうね……」
サマラは首肯すると、手早く注射を打ち、黙々とスーツの細部を調整し始めた。
「ローファーだとホログラムの繋ぎ目が不自然ね。ブーツにしましょう。それと、バッテリーが切れた時のために、上にトレンチコートを着て行って」
上からしなやかな羊革のレザーコートを羽織らされ、サマラの手による一人の『紳士』が完成した。
「うん。この方がいいわ、ミスター。素敵よ」
「……不愉快だ」
「それから……武器は持ち込めないわ。全部置いていって」
* * *
アッパー・ティア行きのトランジット駅。ホームには銀色の流線形を描く高速リニアが滑り込んできていた。
流れるような車内へ足を踏み入れる。周囲を行き交う上流階級の人間や企業の警備兵たちは、誰一人としてアマディオの正体に気付かない。
今回用意された彼の偽造IDは『クリスピン』。エシュロンの主要出資者の一人として、今夜のディナーに出席する手筈になっていた。
リニアが静かに滑り出し、やがてアッパー・ティアのホームへ滑り込む。
改札を抜けると、地下ロータリーの闇の中に一台の黒いSUVが静かに停車していた。
車のドアが開き、運転席から声がかる。
「……乗りなさいよ」
そこにいたのは、先に運び手としてアッパー・ティアへ潜入していたセッカだった。
黒髪のツインテールに鮮やかな赤い瞳。首元には白いマフラーを巻き――ディナーパーティの偽装に、仕立てのいい黒いブレザーを着ていた。
「悪いな」
アマディオが助手席に乗り込むと、セッカは前を見据えたまま静かに問いかけてきた。
「……ねえ。私の話、覚えてる?」
「……もちろんだ」
「私は戦争で育った。でも、戦争を無くしたい。エシュロンの『戦争』をビジネスにするやり方は……許せない」
セッカはステアリングを握りしめ、冷ややかな声で言葉を継いだ。
「エシュロンは市民にこう教える。2たす2は5――昔の文学の皮肉も、帝国主義の企業が国を支配し、家族制度さえ崩壊した今では笑えないわ」
彼女は一瞬だけ視線をアマディオへ向けた。
「……アマディオ。あなたは、親のもとで育った?」
「……いや。物心つく前から、俺の親は死んでいる。君も、元孤児だったな」
「……都市下層に住んでいる人は皆同じよ。地元ギャングや犯罪組織のもとで、読み書きを教わって育つわ。あはっ……家族制度の崩壊、ダークウェブの掲示板のシステムも、エシュロンにとっては都合のいい兵士を生み出すための意図された破綻かも」
静かな走行音の後、車は目的地の高級ホテルの地下駐車場へと滑り込んだ。
「作戦のブリーフィングは覚えてる? 電子キーを強奪する時は、スマホをかざしてね。ダウンロードさえすれば、それでいいから」
「君は、これからどうする?」
「エシュロンの私設兵に変装して、あなたの任務のサポート。あなたの武器の搬入もやっておくから、感謝しなさい。さ、行って」
「助かる」
アマディオは車を降り、身なりを整えると、他のVIPたちの後に続いてホテルのエントランスへと足を踏み入れた。
「クリスピン様、お待ちしていました。お部屋は47階、3号室。会場は22階です」
洗練されたスタッフの案内に頷き、アマディオは静音エレベーターに乗り込んだ。
* * *
47階、3号室。
電子キーで扉を開けて自室へ入ると、上質なベッドの脇に、見慣れぬ巨大な黒い楽器ケースがひとつ置かれていた。
アマディオは首筋の通信ノードに指を当て、ライル・シェンへ交信を開く。
「ホテルに潜入した。俺が預けた武器はこの中に?」
『ああ。こちらで少々メンテナンスも済ませておいた。修理が難しいものは、君が気に入りそうなものに買い替えた。弾薬の質も一つずつ手作業で確認済みだ』
アマディオは慎重に楽器ケースへ手を伸ばし、ダイヤルロックを合わせて解錠した。
重い蓋が開くと、内部のクッションに収められていたのは――分厚い火力を誇る『ネゲヴ・コマンド』と、一丁の『キンバー・タクティカルII 1911』だった。
「むっ……!」
その漆黒に輝くキンバー1911を手に取ると、アマディオが長年愛用してきた標準的なガバメントとの違いは歴然だった。
実戦的かつ高精度な改良が施されたタクティカル仕様のサイドアーム。ピカティニーレールが標準装備され、アマディオのガン・フーの威力を最大限に引き出す堅牢さを備えている。
サプレッサー装着用のネジが切られた延長バレル。持ち手には、深みのあるダイヤモンド模様のチェッカリングが美しい、深紅のカスタムグリップ。
窓の外に広がるネオ・マンハッタンの銀色の摩天楼と比べても見劣りしないその洗練された佇まいは、流石はライル・シェンの見立てであった。
新しい相棒の感触を確かめたアマディオは、満足げにそれを羊革コートの下のホルスターへと収めた。
「準備は出来た。ディナー会場に向かう」
『気をつけろ、アマディオ。ケインは侮れん』




