27-契約:暗殺『チャイナタウン』
ミッド・ティア、地下駐車場の隠れ家。
湿ったコンクリートの静寂を破り、通信端末からライルの軽快で薄っぺらな声が響いた。
『仕事だ、ファントム……客は“ニューヨークで一番の殺し屋”を求めている』
アマディオは短く息を吐くと、返事代わりに通信を切った。
薄暗いクローゼットの奥から、久しく袖を通していなかった暗い仕立てのスーツを引き出す。
保管の粗雑さゆえに皺だらけだったが、今の彼には装飾などどうでもよかった。
引き締まった肉体に皺のついたジャケットを引っ掛け、ガンホルスターを忍ばせる。
隠れ家の奥で待ち構えていたのは、新調した深紅のスポーツカーだった。日本製。
低く唸るロータリーエンジンの排気音が、地下空間に重厚な振動を伝えていく。
アマディオはアクセルを踏み込み、雨に濡れるミッド・ティアのハイウェイへと車体を滑り込ませた。
指定された目的地は、ネオンの光も届かない退廃的な路地裏だった。
路面には無数の空薬莢が水たまりに沈み、酸性雨に洗われて鈍い光を放っている。
アマディオは車を停め、影に隠された半開きのガレージへと足を踏み入れた。
薄暗がりの中、オイルと硝煙の悪臭が漂う空間に、蜂の巣にされたかのような弾痕だらけの旧式車両がポツンと佇んでいた。
その車のスモークガラスが下がり、後部座席から小柄な少女がぬっと身を乗り出してきた。
「オマエが殺し屋カ?」
「……そうだ」
少女はアジア系だった。おかっぱ頭の髪を陶器のように真っ白に染め上げ、極彩色のアニマルタトゥーと、過激なまでに露出させたサイバー義体の継ぎ目を、最新のストリート・ファッションのように全身で主張している。
そして何より、その一筋縄ではいかない胡散臭い雰囲気は、どこかライル・シェンを彷彿とさせた。
「乗レ……」
「……待て。この契約は? 説明しろ」
「フィクサー連合の邪魔をした政治家官僚を撃テ」
「ふうん、なるほどな」
アマディオは躊躇うことなく少女の車へ乗り込んだ。
少女は慣れた動作でアマディオの隣、助手席へと滑り込む。アマディオがハンドルを握り、ナビゲーションの示す表示に従って車を路地裏から発進させた。
「私はミオラ・シェンだ。お前を送り込んだライル・シェンは、私の兄ダ」
「……やっぱりあいつの……まあいい。ターゲットの情報を話せ」
「エシュロン社に有利な法案を作る、新アメリカ合衆国の官僚を誘致した。チャイナタウンにいル。パレード中に気付かれずに始末しロ」
* * *
雨の降るチャイナタウン。
赤と金の鮮やかな提灯が夜空を彩り、爆竹の破裂音と巨竜の舞が街を埋め尽くしていた。
車を降りたアマディオは、賑やかな喧騒から外れた人気のない路地を通り、パレードの中心地へと向かった。
路上にひしめく警官や警備ドローンたちは、熱狂する大群衆の警備にすっかり目を釘付けにされている。
アマディオはスーツジャケットの下に手を差し込み、ぬめりとしたポリマーフレームの感触を確かめた。
ライルから借り受けた、長大なサイレンサー付きの『FN-P9』ピストルだ。
人ごみの奥、大きな中華風天守閣の麓に位置するベンチに、ターゲットの男が座っていた。
新アメリカ合衆国の政治家官僚――アレキサンダー・ライトニング。数人の護衛を従え、高みの見物を決め込んでいる。
アマディオは雑踏の影を縫い、何食わぬ顔でアレキサンダーの背後へと忍び寄った。
爆竹の連射音が街を激しく揺らした、その瞬間。
屈んだアマディオの左手が、電光石火の速さでアレキサンダーの口を塞ぎ、悲鳴を封じ込める。
同時に、右手に握られたP9ピストルの冷たい円筒状サプレッサーを、彼の背中――心臓の裏側へ強く押し当てた。
――シュッ、シュッ。
くぐもったごく微小な打撃音が二回。
亜音速の9mm弾が背骨と大動脈を撃ち砕き、アレキサンダーの身体から一瞬で力が抜けた。
アマディオは男の体をゆっくりとベンチに寝かせると、何事もなかったかのようにスーツの乱れを整え、雑踏の中へと消えていった。
彼がチャイナタウンの喧騒を遠く離れ、静かな路地を抜けた頃。
背後の遠くで、ようやく男の死に気づいた群衆の悲鳴とパニックの怒号が響き渡り始めた。
* * *
暗殺の完了を受け、ミオラから指定されたのは、ミッド・ティアの静まり返った路地裏だった。
雨の降る路上で、アマディオは待機していたミオラの前に佇んだ。
「任務を完了した」
アマディオが淡々と告げると、ミオラは車のボンネットに腰かけたまま、ゆっくりと顔を上げた。
真っ白な髪の下、感情の光が一切宿っていない黒い瞳が、アマディオの姿をじっと見つめ返す。
「……協力に感謝スル」
ミオラの無機質な感謝の言葉が、酸性雨の降る夜の路地にぽつりと落ちた。




