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26-故郷

 病院を去り、アッパー・ティアの静寂をあとにしたアマディオは、ひとりミッド・ティアの廃墟にある隠れ家へ帰還した。


 重厚な鉄扉を押し開けると、冷気とともにサーバーラックの低い駆動音と、無数のモニターが発する青白い光がアマディオを迎え入れた。


 広大な地下空間を埋め尽くすモニター群には、監視カメラのジャック映像、通信ノードのトラフィック、警備ドローンの巡回ルートが目まぐるしく点滅していた。


 スパークが残したハッキング・ツールと、ノヴァが構築した通信基盤を継ぎ接ぎし、サイモンが独力で組み上げた作戦基地。


 それは既に、ニューヨーク都市全域のデータフローをカバーする巨大な蜘蛛の巣と化していた。


 モニターの光に照らされたデスクで、サイモンは一本の煙草に火を点け、紫煙を天井へと燻らせていた。


「帰ったか、アマディオ」


「ああ」


 サイモンは酒の残る喉を鳴らし、壁に並ぶホログラム・マップを見つめながら、ポツリと呟いた。


「……また、パッチみたいな店をやりたいよ」


 失われた溜まり場。仲間が集い、くだらない愚痴をこぼしながら酒を汲み交わしたバー『パッチワーク』。その面影はもうどこにもない。


「だがな……もうチンピラや低ランク傭兵の寄せ集めじゃダメだ。次こそ、本物の『軍隊』を作る」


 サイモンは手元の情報端末を呼び出し、フィクサー連合の公式アプリの画面を表示させた。そこにはネットワーク上に登録された凄腕傭兵たちのデータベースが並んでいる。


 サイモンが画面をスクロールさせていると、ふと手が止まった。


「……お前、いつの間にAランクの傭兵になったんだ?」


 画面には、顔写真の代わりに黒い影(ファントム)のアイコンと、いくつもの最難関ミッションを単独達成した記録、そして『ランクA』の刻印が踊っていた。


 アマディオは腰のM1911の感触を確かめながら、視線を外した。


「……まあな」


「ケッ、大層なお侍様になったもんだ」


 サイモンは可笑しそうに鼻を鳴らし、頭をガリガリと掻いた。


「まあ、とにかく……ちょっと出ようぜ。息が詰まる」



 * * *



 二人が向かったのは、ミッド・ティアの最外縁部、崩落した高速道路の影にひっそりと広がる郊外の墓地だった。


 近未来のニューヨークにおいて、土地は富裕層の専有物だ。死者を土に還すような贅沢は一握りの人間にしか許されないはずだったが、ここは旧文明の残骸が奇跡的に残り、貧民たちが密かに死者を弔う静かな聖域となっていた。


 濡れた苔と冷たい墓石が立ち並び、酸性雨の合間に覗く鉛色の空が低く垂れ込めいている。


「いい場所だろ。古き良き旧文明の情緒……っていうには程遠いかもしれんがな」


 サイモンは歩みを止め、新しく立てられた一角の無銘の墓石に、ゴツゴツした大きな手を置いた。


 スパークとノヴァの遺体が埋められた場所だった。


「……こいつらには、生まれ育ったロウワー・ティアの方が良かったかね」


「酷い場所だが……それでも俺たちの故郷だった」


 アマディオの短い答えに、サイモンは静かに頷いた。


「そうだな……行ってみるか。あそこへ」



 * * *



 地下深くに存在する最下層――ロウワー・ティア。


 太陽の光が一度も届いたことのないその暗黒街は、化学物質の混ざった汚水が天井から滴り、錆びた鉄骨と崩落したコンクリートが剥き出しになったスラム地帯だ。


 彼らは、かつて自分たちが育った『ネオ・ハーレム地区』の殺人通り(マーダー・ストリート)へと足を踏み入れた。


 ストリートギャングの縄張り争いと暴力が日常茶飯事の危険地帯。だが、サイモンは懐かしい香気でも嗅ぐかのように、目を輝かせて周囲を見回した。


「ハッ、廃墟同然のアパート。無人のマーケット……ああ、これぞ俺たちの住処だ」


 落書きだらけの路地を奥へ進むと、半分崩れかけた赤レンガの建物の前で二人は足を止めた。


「ここは閉館して随分経つな……思えば、お前らはここの最後の孤児だった。ジョシュア、ノヴァ、ハナ……」


 サイモンが名前を口にする。アマディオの胸の奥が微かに揺れた。


「……で、ガキ大将のサイモンが行き場を失くした俺たちを拾った」


「そうだ。俺の下から出ていって軍の犬に成り下がったお前は、恩知らずにも程があるぜ」


「……結局、上手くいかなかったけどな」


 アマディオの自嘲気味な呟きに、サイモンは「違いない」と低く笑った。


 かつて身を寄せ合った幼い孤児たちは、それぞれの道を歩み、傷つき、そして再びこの地獄で巡り会ったのだ。



 * * *



 最後に二人が足を運んだのは、メメント・モリの襲撃時に、サイモン自らの手によって焼き払われたバー『パッチワーク』の跡地だった。


 焦げた木材と溶けたプラスチックの悪臭が漂う黒く煤けた廃墟。


 だが、足元の瓦礫を掻き分けて地下へ降りると、そこには奇跡的に焼失を免れたハッカースペースの残骸が存在していた。


 焦げたラックの中で、いくつかのサーバーのインジケーターが、死にかけの心拍のように弱々しく明滅している。


「……俺は、この場所が好きだった」


 サイモンは黒焦げた床に、どさりと膝を着いた。

 大きな背中が、微かに震えている。


「俺は大企業が嫌いだ……ノヴァも、スパークも、皆、奴らのやり方に殺された……アマディオ、お前だけは死なせたくねえよ」


 絞り出すようなサイモンの声。仲間を全て失い、残された唯一の弟分に向けられた、剥き出しの祈りだった。


 アマディオは静かに歩み寄り、膝をつくサイモンの肩へ手をもやった。


「俺たちは地獄に落ちる……むしろ、地獄こそが俺たちの唯一の居場所で、俺たちの帰るべき家だ」


 アマディオの言葉に、サイモンは顔を上げた。その目には、再び燃え上がる底ぐろい闘志が宿っていた。


「……ああ、その通りだ。まだ、俺たちの『パッチワーク』は完全に焼け落ちちゃいねえ」


 サイモンは固い拳で自分の胸を叩き、立ち上がった。


「リサを連れて、ここへ帰るぞ。アマディオ」


「……ああ」


 焦げくさい暗闇の中、死線を超える覚悟を固めた二人の男の誓いが、静かに響き渡っていた。


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