15-もう一人の『ガン・フー』使い
――ダッ、ダッ、ダッ。
モーテルの錆びついた扉を押し開け、アマディオは軋む床を急ぎ足で踏みつけた。ベッドの上で身体を丸めていたリサの前に膝をつく。
「栄養剤を手に入れた……急かすようで悪いが、これを流し込んだらすぐにここを離れるぞ」
「アマディオ……? 顔色が悪いわ。何かに追われているの?」
リサはすぐに察知した。百戦錬磨の傭兵が見せる、滅多にない焦燥。冷徹だった緑の瞳に揺らめく影。
(クソッ、この計画は最初から詰んでいたんだ……奴が動いたとなれば、エシュロンへの反撃どころか生き残ることすら至難の業だ)
アマディオはジャケットの袖を強く握りしめ、リサの大きな青い瞳を見つめ返した。言葉で彼女を安心させる術を、彼は持ち合わせていなかった。
(まずはリサを安全な教会へ逃がす……それしか手はない。だが、脱出経路は――)
カーテンの隙間から街路を覗き込む。遠くで黒煙が上がっていた。
サイモンの酒場『パッチ』が襲われ、消滅した証拠だ。メメント・モリの手が、すでにそこまで伸びていたのだ。
――ふっと、鼻腔を突くものがあった。
かすかに漂う、紅茶の甘く冷たい香り。
死を象徴する男が、すぐ近くまで迫っている動かぬ証拠。
「リサ、俺のそばを離れるな」
アマディオが戸惑うリサを引き寄せたその瞬間――廊下から乾いた足音が近づいてきた。
「3つ数える。衝撃に備えろ……3、2、1」
アマディオが端末を操作しようとした矢先、扉が静かに開いた。
滑り込んできたのは、息を荒らげた青髪の密輸業者――ノヴァだった。
「ノヴァ……!? なぜここが」
「サイモンに言われたんだ! お前たちの安全を確認してセーフハウスへ運べって……」
「動くな、伏せろ!」
アマディオは即座にM1911の銃口をノヴァに向け、力任せに彼女の首根っこを掴んで窓際へと引きずり落とした。
「な、なんだよ急に――!?」
「静かにしろ。奴が来ている」
窓の外、雨の煙る路地に佇む人影が見えた。
仕立ての良いロングジャケットに、大口径リボルバーの冷ややかな鈍光。
アマディオは躊躇なく携帯端末の起爆信号をタップした。
「耳を塞げ!」
――――ドカァァァンッ!!
モーテルの外壁に仕掛けられていたトラップが炸裂した。
激しい閃光と爆音、吹き荒れる爆風と火の粉が室内を包み込む。危険を賭した、乾坤一擲の陽動作戦。
「けほっ……! アマディオ……っ!」
「裏手に銀の4ドアを停めてある! 俺に構わず、リサを乗せてセーフハウスへ走れ!」
爆風で崩落した壁の穴を指し示す。そこはそのまま裏路地への非常口となっていた。
ノヴァが血相を変えてリサの腕を引く。去り際、リサが悲痛な顔で振り返った。
「アマディオ、死なないで!」
「安心しろ……簡単にくたばる気はない」
アマディオは湿ったスカーフの下からタバコを取り出し、火をつけた。紫煙の香りで無理やり鼓動を鎮める。
* * *
煙と火の粉が舞う中、影が揺れた。
メメント・モリ――ガレス・オブライエンは、爆発の余波など最初から存在しなかったかのように優雅な動作で、ジャケットの埃を払っていた。
――ブルゥン!
裏路地でサルーンのエンジンが爆音を上げ、ノヴァたちの乗った車がタイヤを悲鳴させながら急発進する。
ガレスは動じず、大口径リボルバーの銃身を緩やかに脱出車両へ向けた。
「まずい、ノヴァ――ッ!」
ハンドルを握るノヴァの背筋に、絶対的な死の予感が突き刺さる。
「ノヴァさん! 回避確率、0.3%……っ!」
「く……くそったれがぁぁッ!!」
ズドン! ズドン、ズドォンッ!
重厚なマグナム弾が車体を容易く撃ち抜き、エンジンブロックを砕く。制御を失った車は金切り声を上げて煉瓦の壁に激突した。
「あぐっ……! あ……脚が……ッ!?」
エアバッグで一命を取り留めたものの、ノヴァは潰れたフレームに足を挟まれ、血を流して転がり出た。リサも衝撃で路面へ投げ出され、呻き声を上げる。
「ほう、あの衝撃を生き延びたか。結構なことだ」
重厚でカリスマ性を帯びたガレスのバリトンボイスが、雨の路地に響き渡る。
「その小娘――『Pアリス』を生きたまま確保するのが、俺に与えられた絶対の契約でね。死なれては困るのだよ……そしてついでに言えば、俺はアマディオの命を取ることも禁じられている」
ガレスの目が、冷酷に横たわるノヴァを見下ろした。
「だが……お前のような雑魚を生き残らせろとは、依頼書のどこにも書かれていない」
「くっ……殺し屋の……クソ野郎が……!」
「仕事だ。悪く思うな」
ガレスがノヴァの頭部へ向け、躊躇なく引き金に指をかけようとした、その時。
* * *
バチン、バチンッ!
――ブツン。
路地の電灯が一斉に立ち消え、あたりは完全な暗黒に包まれた。
「……ほう。都市インフラの強制シャットダウンか。ネットワークも光も遮断する、暗闇のゲリラ戦術。俺の視界を奪う気か?」
ガレスは暗闇の中で耳を澄まし、勘を頼りにモーテルの二階へ向けて一砲を叩き込んだ。
ズドン! パリンッ!
「頬を掠めたろう、ファントム。お前の気配は消えていないぞ」
その直後――ガレスの意識の外から、風を切る超音速の断頭音が迫った。
――――ジャギンッ!
『頭を貰ったわ……呆気ない幕切れね、メメント・モリ』
通信回線に、ハイヴの精鋭ハッカー・スパークの艶やかな声が滑り込む。
彼女は向かいのアパートの3階から、サコーTRG狙撃銃でガレスの眉間を完璧に撃ち抜いた――はずだった。
『停電はアマディオの戦術じゃない。ボクたちのアプリさ。読み違えてくれたおかげで、伝説の傭兵を殺す隙ができたわ――』
「……そいつはどうも。俺も焼きが回ったかな」
パッと街路灯の予備電源が復旧し、路地が照らし出される。
そこには、メタリックに輝く義手の左腕で、サコーの大型狙撃弾を「握り潰して」止めたガレスが平然と立っていた。
『なっ……嘘……でしょ!?』
「スパーク・ザ・ゴーストか。お前のオプティック信号はタグ付けした。アパートの3階だな……探す手間が省けた」
ガレスはリボルバーの銃身をヌッとアパートの3階へ向けた。
『や、やめ――』
ズドォンッ!!
.357マグナム弾がサコーTRGのスコープを貫通し、その背後で構えていたスパークの顔面と頭部を容赦なく吹き飛ばした。短い悲鳴すら、銃砲音にきれいに打ち消される。
「さて、狙撃手は排除した。害虫の処理はこれで終わりだ」
ガレスは身をよじるリサの襟首を、丸太のような太い腕でいとも簡単に掴み上げた。
「あ……う……あぁ……っ」
「不必要な苦痛は与えん……出てきたらどうだ、ファントム。お前の連れは全員片付いたぞ」
――ザッ。
瓦礫を踏みしだく音とともに、燃え盛るモーテルから男が姿を現した。
濡れたレザージャケット、口元を覆うマスク、腰のホルスター。そして、過剰なまでの警戒心を宿した緑の瞳。
二人のガン・フー使いが、血と雨に濡れた路地で真正面から対峙する。
「……久しいな、アマディオ。手にしているのはガバメントか。昔と変わらず手入れが行き届いているな。あの頃よりも良い顔をしている」
「生きていたか……ガレス・オブライエン」
アマディオの低い声が、雨の音に混ざる。
ガレス・オブライエン。かつて特殊部隊『ディサイプルズ』の最高指揮官であり、アマディオに殺戮の技術……『ガン・フー』を叩き込んだ元凶。
「ああ、生きているとも……お前も、俺の教えを忠実に守り抜いてきたようだな。お前にガン・フーを授けた者として、頼もしく思うよ」
ガレスはリサを小脇に抱えたまま、ゆっくりとアマディオへ歩み寄る。
「言ったはずだ。俺の任務は『この小娘を生きて確保すること』だと。そして依頼主からの指令により、お前を殺すことも許されていない……だが、俺の邪魔をする者……お前を守ろうとする、有象無象のハイヴは別だ。容赦なく屠る」
「……」
「立ち塞がるか、アマディオ? かつての教官であり、死を運ぶ男であるこの俺に」
ガレスが大口径リボルバーの銃口を、ゆっくりとアマディオの胸元へと突きつけた。
「さあ、お前のSENSEを見せてみろ」




