14-メメント・モリとは何者だ
深夜、ロウワー・ティアの廃工場区画。
降りしきる酸性雨が、錆びついたトタン屋根を不規則かつ執拗に叩き続けていた。
水たまりにはネオンの毒々しい光が滲み、重油と腐敗の混ざり合った湿った風が地下路地に吹き抜ける。
そこはエシュロンの末端にあたる、低級データ中継局。
情報屋『ディム』と、その妹で運び屋の『スリット』率いる十数名のハイヴ・メンバーは、絶好の獲物にありついたと信じて疑っていなかった。
彼らはセキュリティを突破し、薄暗い中継局の心臓部へとなだれ込む。
点滅するサーバーラックの青い光が、彼らの興奮した顔を照らしていた。
「よし……これさえ盗り出せば、エシュロンの奴らに一泡吹かせられる」
ディムが歪んだ笑みを浮かべ、データスチール製のケースを開いた――その瞬間だった。
サーバーラックの影から、静かに『死』が踏み出してきた。
一言の警告も、威嚇の咆哮もない。
暗闇から現れた男――ガレス・オブライエンは、洗練された仕立てのコートを揺らし、ヌメりとしたクロームの光沢を放つ〈.357カスタムリボルバー〉を滑らかに抜き放った。
次の瞬間、空間が弾け飛んだ。
ガレスの『ガン・フー』には、一切の無駄が存在しない。
アマディオの流れるような体術と連続射撃による「制圧」とは対極をなす、一撃一撃で命の灯火を正確に刈り取る『処刑』の技。
――ズドン!
重厚なマグナム弾が空間を裂く。
最初に銃を構えかけたディムの頭部が、防弾ヘルメットの上から正確に撃ち抜かれ、脳漿がサーバーラックを真っ赤に染めた。
「ディム――」
悲鳴を上げようとしたスリットの胸前に、ガレスの影が肉迫する。
プロテクターの隙間、心臓の直上を捉えた第二弾。重い爆発音が絶叫をかき消し、彼女の身体は糸が切れた人形のように弾け飛んだ。
引き金を引く。打撃で敵の関節をへし折る。腕を滑らかに交差させ、一瞬の澱みもなくシリンダーへ弾丸を装填する。
銃口が向くたび、ハイヴのメンバーは一人、また一人と沈んでいく。
それは戦闘ではなく、無機質な外科手術だった。
叫ぶ隙も、反撃の引き金に指をかける猶予すら与えられない。
わずか十数秒。
硝煙と血の匂いが満ちる沈黙の中、ガレスは熱を帯びたリボルバーを静かにホルダーへ納めた。
彼の周りには、このドブ底には到底そぐわない、上品でかすかなアールグレイの紅茶の香りが漂っていた。
* * *
〈PM19:59〉。
酒場「パッチ」の地下作業室。
換気扇の鈍い回転音だけが響く空間に、アマディオが足を踏み入れた。
死線を潜り抜けた冷や汗と、アッパー・ティアの無機質な空気、そして手に入れた、生体スタビライザーの入った金属ケースの重みが手元にあった。
自分とリサの命を繋ぎ止める劇薬を手に入れた安堵も束の間、作業室の異様な重苦しさにアマディオの足が止まる。
「……サイモン?」
サイモンは血のついた工具を握りしめたまま、深く肩を落として座り込んでいた。
傍らのホログラムモニタには、廃工場で回収されたディムとスリットの、無残な遺体写真が映し出されている。
「戻ったか、アマディオ……」
サイモンの声は掠れ、恐怖と悲痛で震えていた。
「なにがあった」
「あいつら……エシュロンの壁を叩きに行きやがった……そしたら、壁のほうから『化け物』が降りてきやがったんだ」
サイモンは震える指先でモニタの画像を拡大した。
「見てみろ、この傷口を。装甲の上から一発で脳幹を打ち抜いてる。心臓も、眉間もだ。一切の無駄がない……こんな神業のような殺しができる奴は、この都市に一人しかいねえ」
サイモンはゴクリと唾を飲み込み、その忌まわしい名を口にした。
「都市の生ける伝説……『メメント・モリ』だ」
「――ッ!?」
その瞬間、アマディオの息が止まった。
「あの……『メメント・モリ』が、だと……!?」
アマディオは声を失い、目を見開いた。
手の中のケースを握る指先が、強烈な戦慄で白く強張る。
(ガレス・オブライエン……! なぜ……なぜ奴がここにいる!?)
驚愕が、アマディオの脳裏を落雷のように突き抜けた。
銃闘術ガン・フーのすべてを叩き込み、感情を殺した兵器として仕立て上げたアマディオの『師』が、目と鼻の先にいる、と。
『死を想え』。
かつて軍の暗部で、地獄のような訓練の中でアマディオにその言葉を刻みつけた絶対的な存在。
感情を持たぬ完全な殺戮機械であり、アマディオにとっての『かつての悪夢』そのもの。
「今朝方、ミッド・ティアの巨大ギャングをたった一人で壊滅させたって噂だ……」
サイモンはアマディオの内心の動揺に気づかず、怯えたように言葉を続けた。
「奴の現場にはな、いつも『紅茶の匂い』が残ってるらしい。アッパーの、冷酷で優雅な死の匂いだ……いいかアマディオ、奴はただの暗殺者じゃねえ。お前以上のスキルを持った、完全な死神だ」
(……奴が俺の前に現れたら、俺は……勝てるのか?)
アマディオの背筋を、冷たい汗が伝い落ちる。
ガレスは、リサと出会わずにただ殺戮兵器として完成してしまった、自分自身の影だ。
「……そいつは、俺たちの狙いを知っているのか?」
「知らねえ。だが奴はエシュロンの飼い犬だ。一滴の血からでもお前たちの足跡を辿ってくる……パッチももう危ねえ。ノヴァとスパークは逃がした。お前もすぐにリサのいるモーテルへ戻れ! その薬剤を使って、一刻も早く遠くへ潜伏するんだ!」
「お前はどうする……『あの計画』は!?」
「店じまいして追手をごまかす。状況が整ったら連絡する……死ぬなよ、アミーゴ」
【データベース】
ディム 年齢22歳 身長178cm 体重66kg
スリット 年齢23歳 身長164cm 体重50kg
〈.357カスタムリボルバー〉……クロームフィニッシュ仕上げ、傷ひとつない銀色の逸品は、大口径のマグナム弾を制御するブルバレルとグリップにより高い精度と火力を両立し、ガレスの『一撃の美学』を実現している。
〈メメント・モリ〉……本名ガレス・オブライエン。63歳。新合衆国軍特殊部隊出身。アマディオと同じ訓練を受けたガン・フーの熟練者だが、倫理観を完全に捨て去り、エシュロンの最高位の「排除請負人」として生きる。
白髪をオールバックにし、汚れひとつない真っ白なフランネルシャツ、袖をまくった上質な黒い革のロングジャケットに、グリーンの戦闘ズボン、メタルアーマーを兼ねた戦闘用サイバネティックアームで覆われた左腕が特徴的。
彼を一言で表すと、『上品な残虐性の持ち主』。発音は上流階級のように洗練されており、移動中や戦闘前には茶葉にこだわった紅茶を優雅に嗜む。
しかし、エシュロンの排除命令を受けた瞬間、ターゲットが女性や子供であっても一切の躊躇なく引き金を引く、非常に残虐な二面性を持つ。
〈ウェイストランド〉……ネオ・フロンティアの外界に広がる死の大地。文明崩壊とグレイ・ヘイズによる影響が直接及ぶ、広大な世界が都市の外に広がっている。
かつての大自然は、核兵器や環境破壊、そして汚染霧によって完全に枯渇している。土壌は汚染され、水資源は酸性化し、植物のほとんどは存在しないとされている。
都市近郊は、風によって運ばれてきた「灰色の塵」に覆われた、文字通りの死の風景が広がる。




