12-兵士と少女の記憶 その②
モーテルの小さな一室。
リサは一人、静かな時間に包まれていた。アマディオは仕事で外出している。
使い古されたエプロンを身にまとい、彼女は拙い鼻歌を口ずさみながら、手持ちの食材で温かいスープを作っていた。コンロの上で鍋が煮立ち、小さな部屋に湯気が広がる。
その緊張の切れた一瞬を、暗闇は逃さなかった。
無音で開いた背後のドアから、黒ずくめの影が滑り込む。気づいた時には、強靭な腕がリサの首筋を冷酷に抑え込んでいた。
「きゃッ――」
小さな悲鳴は、即座に分厚い手袋によって封じ込められた。
* * *
モーテルへ戻ってきたアマディオは、外階段を登り、己の部屋の前に立った瞬間に足を止めた。
オプティックが微細な違和感を捉える。ドアノブの周囲に刻まれた、微細な傷とこじ開けられた痕跡。
息を詰めたアマディオは、腰のホルスターから愛銃である白銀のM1911ガバメントを抜き放つと、迷いなく鍵の壊れた扉を蹴破った。
――バァン!
滑り込みながら銃口を前方へ向け、部屋の死角を瞬時に走査する。
静まり返った室内。だが、台所からはポコポコとスープがグツグツ煮立つ音だけが虚しく響いていた。人の気配はない。
「……クソ、やられた」
その時、オプティック内に緊急の着信通知が点滅した。
『アマディオ、大変だ! リサが……リサが誘拐された! 地区一帯を監視していたんだが、俺の網を潜り抜けて奪われた!』
「……わかっている。リサはどこだ?」
『リサはB角の路地に連れ込まれた後、黒いバンに押し込まれた。そこから別の車両へリレー式に乗り換えられて追跡を撹乱されている。見事な手口だ……!』
「俺のオプティックに映像を回せ」
サイモンの操作により、アマディオの視界の隅に複数の監視カメラのワイプ映像が展開される。ナノマシンが視神経と同期し、高速でフレームを処理しながらリサの足取りを追跡していく。
『アマディオ、この手口……間違いない』
「……エシュロンのやり方だ」
そう呟いた直後。アマディオとサイモンの暗号化回線に、強引なノイズとともに第三者の割り込み通信が介入した。
『――アマディオ。気がついたか? 貴様が研究所から連れ出した少女「リサ」は、我々が確保した』
「知らない声だな。目的は何だ」
『要求は二つ。一つ、リサの持つ〈ノード・アクセス能力〉の使用権限。意味は分かるな?』
「リサを兵器として扱うつもりか?」
『二つ、貴様の投降だ。我々のアジトへ向かい、大人しく従うなら、お前もリサも無事だ』
「馬鹿げたことを……!」
『いい返事を待っている』
一方的に通信が切断された。同時に、アマディオのオプティックのマップ上に、ある特定の座標が明滅し始める。
「……サイモン。敵は追跡を撹乱しておきながら、俺には正確なアジトの座標を送ってきたぞ。罠か?」
『おそらく犯人はエシュロン本体ではないな。企業兵や警察部隊の追跡を避けるために撹乱工作を行い、お前だけを誘い出すつもりだ』
「リサの能力を何に使う気だ……? 確かに彼女の潜在能力は未知数だが、精神的には未だ無垢な少女だ。熟練のハッカーやデータ解析屋のような使い方ができるとは思えない」
『今できることを考えろ、アマディオ。奴らの要求に耳を貸すな。リサを救い出し、戻ってくるんだ』
「了解した」
通信を切ると同時に、アマディオはモーテルを飛び出した。愛車のAudi A7へ滑り込み、アクセルを踏み込む。
ナビが示した目的地は、『ロウワー・ティア』と都市の最深部に広がる広大な地下遺跡『アンダー・クロフト』の境界に位置する旧時代の下水処理施設だった。
現場に到着したアマディオは、施設外縁の防犯カメラをハッキングして内部を偵察する。
コンクリートの広大な敷地を巡回しているのは、高度な連携を見せる黒ずくめの兵士たち。単なるギャングではない、訓練された特殊部隊の動きだった。
施設の最奥に置かれた巨大なタンクの前で、ロングコートを纏った大男が、拘束具に繋がれたリサを見下ろしている。
(正面突破はリスクが高すぎる……潜入だ)
アマディオはコンクリートの頑丈な外壁に沿って影のように移動し、施設裏手の排気ダクトの格子を外すと、その暗闇の中へと姿を消した。
* * *
ダクトを抜け、警備の死角を突いて最奥の区画へと到達したアマディオは、壁の影から一歩を踏み出し、静かに銃口を突きつけた。
「俺はここだ……子どもを人質に取る気か? リサを離せ。男らしく勝負しろ」
「ジョシュア・アマディオ……待っていたぞ」
ロングコートの大男が振り向き、ゆっくりと顔の覆面を外した。
痩せこけた頬に伸び放題のブロンド髪、目の下には濃い赤隈が浮かぶ、凶悪な人相の男。
「俺の計画には……貴様が必要不可欠なのだ」
「くだらんことを」
「かつての戦友である貴様の力が必要なのだ!!」
咆哮する男に対し、アマディオは眉ひとつ動かさずに言い放つ。
「何を言う。俺にお前のような友はいない」
「ふん……あの時の俺たちは知る由もなかった。新アメリカ合衆国の内政がエシュロンに委任され、俺たちの部隊が解体されるなどとはな……だが我らの師『ガレス』をはじめ、エシュロンに残り軍組織を再編した者たちもいる」
男は腰のホルスターから、一丁の銃を引き抜いた。
使い込まれた、白銀のM1911ガバメント。
「このガバメントは、貴様も持っているはずだ……」
「な……なに!?」
「新合衆国のハイテク特殊部隊『KANINE』。その白銀のガバメントは、隊員に授けられた『勲章』だろうが!」
「なら、俺を軍に連れ戻しに来たのか……!?」
「そうとも! 軍のベースキャンプこそ、俺たちが帰るべき場所――では、ないッ!!!!」
男はコートを激しく翻し、眼光を鋭く光らせた。
「ジョシュア! 貴様にも分かるはずだ! 新合衆国も、エシュロン社も……どちらも欺瞞に満ち、俺たち兵士を裏切った敵だということが!」
「……お前の名を聞かせてくれ」
「俺の名はイライジャ。お前と共にあの地獄のようなフィラデルフィア企業間紛争を戦い抜いた同志だ」
「同じ隊にいた……ブロンド髪……お前が……あの時の、イライジャ少尉なのか……?」
アマディオの記憶にある『イライジャ』は、規律正しく正義感に溢れた好青年だった。だが目の前に立ちすくむ男は、憎悪と狂気に身をやつした悪そのものに変貌していた。
「そうだ、ジョシュア中尉。思い出したか?」
「リサを奪い、俺を誘い出したお前の目的は何だ。言え」
「エシュロン社への宣戦布告……そして、ニューヨークのハード・リセットだよ」
「ハード・リセットだと……? 俺の思い違いなら謝るが、お前は……『核弾頭』のことを言っているのか?」
「……そうだ。俺の狙いは、ニューヨークのどこかに眠っているという、核弾頭を搭載した旧時代の原子力潜水艦だ」
イライジャは、拘束具の中で恐怖に震えるリサへと歩み寄った。
「旧文明が滅び、起動コードを知る者も死絶えた。となれば、核弾頭の起爆回路のロックを解除できるのはリサの超感覚だけだ」
イライジャが卑劣な手つきでリサの頬をなでる。
「……ひッ!」
リサは怯え、拘束具の中で力なく体を強張らせた。
「だが、この娘を調べて興味深いことが分かった。脳を焼かれた貴様を、この娘が復活させたということだ……俺がリサを利用するのに貴様と戦ったら、リサに何が起こるか分からないな?」
「俺とリサの生命機能は共有されている。リサに迫る厄災は、俺にも降りかかる」
「ふん、本当か? 確認だ。お前が研究所からリサを連れ出した後……何度傭兵仕事で命を張った? お前の身の危険が、そのままリサの危険になるとは限らん」
アマディオは口を噤み、ガバメントを握る手に力を込めた。
「……俺の見立てでは、貴様は殺せるッ! 殺していいのだッ! アマディオッ! 心待ちにしていたぞ、貴様を撃つこの瞬間をーッ!!」
イライジャが銀の銃口を跳ね上げる。同時に、アマディオの銃口も既にイライジャを捉えていた。
「イライジャ、やめろ! 俺たちが戦う理由はない。リサを返せ……お前も別の道を探せ!」
「うるさい……! 俺たちは、許されざる罪を犯したじゃないかッ! 貴様だけが、なぜその過去を振り切って生きていられる!!」
――バァン!
イライジャが引き金を引く。アマディオは瞬時に側方へローリングし、コンクリートの柱の影へと滑り込んだ。
「振り切ってなどいない、イライジャ! 今も俺は、軍で叩き込まれた『ガン・フー』で汚れ仕事をこなしている! 人を殺す仕事だ! 過去など捨てられていない……だが、今の雇い主は国家ではない! 俺たちがあの地獄から逃れるためには、別の道に進むんだッ!」
アマディオは柱の陰から腕だけを出し、正確な連続射撃を放つ。
――パパァン!
イライジャも即座に身を翻し、遮蔽物の後ろへ逃れた。
「ふざけるな! 貴様は汚い企業の犬に成り下がっただけだ!」
静寂。アマディオが死角から気配を探るが、イライジャの位置が掴めない。
ポジションを変えようと踏み出した瞬間――背後の頭上から、イライジャが襲いかかってきた。
「どうした! ガン・フーの腕はお前が一番だったはずだろ!?」
至近距離での凄まじい銃格闘。
互いに銃口を相手の急所に向けさせまいと、腕を絡め合い、拳と肘が交錯する。同じ打突と回し蹴りが激突し、互いの体が弾け飛ぶ。
「くたばれぇッ!」
イライジャがアマディオの腕を力任せに掴み、ガバメントの重いスライドで顎を砕こうと振り下ろす。
アマディオは間一髪で首を捻って衝撃を逃すと、そのまま相手の重心を突き崩し、掴まれた腕を利用して逆にイライジャの体幹を固めた。
関節を極めながら、イライジャの膝裏へ容赦ない蹴りを叩き込む。
崩れ落ちるイライジャのこめかみに、アマディオはガバメントの銃口を叩きつけた。
「やめろ。俺たちが殺し合う意味はない」
「俺たちには……あの地獄を知る俺たちには……報復の機会が必要なんだ……!」
「イライジャ……!」
説得を拒絶するように、イライジャが狂ったように腰のナイフを抜き、アマディオの腹部へ突き立てようとした。
揉み合いの中で、アマディオの指が限界まで引き金に絞り込まれる。
――パァン!
乾いた銃声。イライジャの身体が跳ね、胸元から鮮血が噴き出した。
「かはッ……ア……アマディオ……貴様は……貴様は、仲間を見捨てた……」
胸を押さえ、イライジャはその場に膝から崩れ落ち、二度と動かなくなった。
アマディオは静かに銃を収め、亡骸の傍らで力なく膝をついた。
* * *
「おい、大丈夫か!?」
遅れて、施設の破られた搬入口からノヴァとスパークが駆け込んできた。
ノヴァが周囲を警戒する中、スパークが素早くリサの拘束具を解除する。
「リサちゃん、大丈夫だよ! ボクたちが来たからね!」
拘束を解かれたリサは、返事の代わりに力無く首を振り、真っ直ぐにアマディオの元へと駆け寄った。そして、膝をついたままのアマディオの首に必死でしがみついた。
「アマディオ……!」
「無事か、リサ」
リサはアマディオの肩に顔をうずめ、震える声で問いかけた。
「リサは……兵器、なんですか……!?」
「違う!!」
「見せられた……恐ろしい、大量破壊のイメージを。この街に住んでいる人が、溶けて、消えていくのを……」
アマディオはリサの小さな背中を力強く抱きしめた。
「そうはさせない……お前を兵器として利用しようとする奴は、俺が全員始末してやる。お前は、俺の大事な……」
ふと、アマディオの言葉が途切れた。
血と硝煙の匂いの中、彼は腕の中のぬくもりを確かめるように静かに紡いだ。
「……唯一無二の少女だ、リサ」




