心を絆す旋風
あれ以来、アリオスの瞳から迷いが消えた。
女勇者の語った『力を持って生まれた者は、それを使って誰かを守らなければならない』という言葉。それがアリオスにとっての行動原理となっていた。
彼は以前のように、過去を悔いて寝込むことをやめた。自分を責める時間があるのなら、一匹でも多く村の脅威を排除する。その一点において、彼の精神は鋼のように硬質に、そして無機質に安定していた。
「……次の依頼はあるか」
ギルドの窓口で、アリオスは淡々と告げる。
返り血を浴びた「白磁の肌」は、今やどれほど凄惨な現場を潜り抜けても、拭えば元の美しさを取り戻すだけの冷たい器に過ぎない。
一年の月日が流れた。
その間、アリオスとパーティを組もうとする者は現れなかった。
彼自身の強さが常人の理解を超えたこともあったが、何より、彼が放つ「人間としての気配のなさ」が、他者を本能的に拒絶させた。彼と組んだ者は必ず死ぬ。そんな不吉な噂を否定することさえ、彼は時間の無駄だと切り捨てた。
アリオスは一人で森を歩き、一人で魔物を屠り、一人で村へと帰る。リリアンが持ってくる「村を脅かす魔物の情報」を、ただ愚直に、機械的に処理し続ける。
それが勇者に託された宿命であり、自分が生きる唯一の理由だと信じ込んでいた。
孤独は、もはや彼を蝕む毒ではなかった。感情を殺し、ただ「力」という役割を全うする日々。
周囲が畏怖を込めて彼を「白磁の死神」と呼び始めた頃、アリオスはもはや、自分という個人の意志すら持たぬ、一振りの剣として完成されていた。
そんな空虚な「死神」の前に、再び心を開く転機が訪れるのは、それから間もなくのことである。
――バァン!
と、乱暴な衝撃音が鳴る。
遅れて鈴の音がカランコロンと頼りなく鳴り響く。湿った昼下りの空気を蹴り開けるようにして、酒場の重い扉が跳ね上がる。
「……ふぅん。噂通り、景気の悪い面構えばかりだね」
こうしてアリオスとフレイアは出会った。
「アンタ、仲間を殺しているのか」
突に投げつけられた言葉に、アリオスは伏せていた視線をわずかに上げた。失礼な奴だ。そんなわけがないだろう。だが、否定する言葉を紡ぐことさえ、今の彼には億劫だった。
「噂なんてのは、実力のない奴が吐く言い訳だ。運が悪い? 死神が付いている? 結構じゃないか。あいにく、私も死神なら心当たりがあるんだよ。少し前にね、親友を殺してきたところさ」
死を、知っているのか。
その言葉とは裏腹に、彼女から放たれる生の匂いはあまりに強すぎた。
不遜な笑み、研ぎ澄まされた気配。そこまで言うのならばいいだろう。組んでやる。
死んだところで自業自得だ。
「私はプロだ。自分の首を安売りする気はないね」
罠は大丈夫だ。カイルたちの時のような、あんな無様な失敗を繰り返させはしない。
「季節柄、毒虫が大量発生、か。火炎で焼き払えば済む話だね。さて、歩いていけば1日半というところだ」
先に見た火炎があれば虫は大丈夫だろう。香を持っていけば操ることだってできるだろう。
万が一に備え、解毒薬は持っていこう。
「だけど、たった一人の親友だった相棒が死んだ。そいつが死んだとき、冒険だの栄光だのって言葉が、砂みたいに味気ないものに思えてね」
ああ、そうだ。冒険は砂のように味気ない。
無味無臭で、ざらざらとした舌触りであるべきなんだ。
俺のような未熟者が、軽々しく足を踏み入れてこないように。
「またここで本当に楽しい夜にしてやる。逃げられると思うなよ。私の敏捷さは、さっき示した通りだからね」
女戦士みたいなことを言う奴だ。
「……寝不足は任務の成功に支障をきたす。先に眠らせてもらうよ」」
だが、判断は正しい。
戦いというものを、何が生き残るために必要なのかを、この女はよく理解している。
「……死神さん。……本当に、楽しい夜に、したかったんだけどさ。それこそ、いつかは旋風にだって……」
かつての仲間たちが、あの幼い勇者が、そうであったように。成すすべもなく、またしても俺の手から指先が離れていく。
どうして。どうしてこうも愚かなのか。
他者と関わり、希望を抱いた自分の甘さが、吐き気がするほどに呪わしい。
毒に蝕まれつつある体は思うように動かず、視界は赤く染まっていく。 『力を持って生まれた者は、それを使って誰かを守らなければならない』
そんな呪縛が、薄れゆく意識を繋ぎ止めようとする。
だが、もういい。
力など持ちたくなかった。
力を持たなければ、戦わなくていい。
誰かを守る宿命に引き摺り回されることもない。
毒よ。
そのまま俺を包んで、みんなのもとへ連れて行ってくれ。この地獄を、ようやく終わらせてくれ。
……ああ、だが。
「あ……アリオス様。……おはようございます」
リリアン。なぜ君は、俺を逝かせてはくれないのか。
なぜこれほどの絶望の中に、俺を繋ぎ止め続けるのか。




